第三章 変態×アキバ=奇想天外7
MIDIキーボードが繋がったデスクトップパソコンをぽちぽち操作する朱翼とその画面を興味津々に覗き込む芽衣先輩の姿を俺はようやく発見した。
「お、来たわね坊主」
「俺はふさふさだわ」
意味不明な冗談だな。
「……坊主って髪型の事言ってんじゃないわよ」
いや、分かっててツッコんでやったんだけど!
そんなことはさておき朱翼はパソコン画面を俺が見える様に調節した。お外で遊ぶ小学生みたいな表情の朱翼は、
「これがアメリカのちょー大手株式会社マグが開発したMAGMSXよ。『初心者を中級者に、上級者をさらにその上へ』が謳い文句なだけあってこれならきっとアンタでもそれなりのものが作れるわよ! ベロシティの認識も優秀だし」
パソコンから俺へ視線を移しハキハキそう言った。
へー。ニコニコ楽しそうに説明してくれたは良かったが、まぁ正直ちょっと固有名詞ばかりで意味が分からなかった。
「んじゃちょっと触らせてよ」
俺は両手を伸ばす。まずは触ってみないと分からないだろう。
だが朱翼は、俺の予想の斜め上を行く回答をして来た。
「……触る…………私の胸を?」
「…………そっち触っていいなら触るぞ?」
バカなのか、こいつ。
俺はおっぱいもみもみジェスチャーをしてみる。きちんと朱翼のBカップを想定して。
「変態最低——死んで贖え」
……親の敵を見る様な下劣な目…………。怖いです怖いですお姉さん、え、その刀何処から出したの!? Dカップ想定でジェスチャーしとけば怒られなかったのかな?
だが俺にしては珍しく目的はそもそもおっぱいじゃないのだ。
「っちげえよ! そのパソコンだよ! 寧ろなんで胸になるんだ? おめーのちっちゃい胸なんて触りたくないわっ!」
「いやだってアンタの頭ん中ってエロい事でいっぱいなんでしょ? キッモい。あと、私の胸触りたくないは嘘よね」
画面を元に戻しキーボードとMIDIキーボードを物凄い速度で操作しながらそう言った。正直全部図星なので何も言い返せなかったぜ、テヘペロ! 俺は巨乳だろうと貧乳だろうと美しければ触りたい!
「ま、とりあえず、ん」
朱翼は警戒心丸出しで適度な距離を空けつつもパソコンを受け渡した。……最初っからそうしろよ。
俺も受け取るとなんとなく触ってみる。
「……まあ勿論意味不明なんだがな」
画面左手には大量の楽器イラストが敷き詰められているのがスコアと同じでそのパートを表しているのは何となく分かるが、それ以外はちんぷんかんぷんだ。意味不明なメーター、意味不明なボタン、意味不明な波形、意味不明なゲージ。えーなにこれ、俺の知ってるスコアとは大違い。これが五線紙なの? 俺は色々強く疑い、半信半疑な目で朱翼をじとっと睨んだ。
「なっ、なによ…………?」
「こんなのがパソコンの五線紙なのか? これなら紙の方がシンプルで分かり易くね?」
紙の五線紙は五本の線以外なにもないシンプル・オブ・シンプルだし。それに比べなにこのごちゃごちゃした画面。
すると朱翼は呆れた様に首を傾げ大きく溜め息をつく。
「あんたほんっーとアナログ人間ねっ。実は二十世紀生まれなんじゃないの?」
「いや実はも何も二十世紀生まれだが…………」
え、二〇〇〇年迄二十世紀だよね? うん、俺が正しいよね?
だが朱翼は「は?」と奇怪な物を見る様な目で俺を一瞥した。
そんな俺たちを見かねた芽衣先輩はつっこみを入れる。
「いやいや朱翼、二〇〇〇年迄二十世紀だから…………」
「へ——————?」
朱翼の顔は下からみるみる赤く火照る。
あーこれはこいつ、マジで知らなかったパターンだな! こいつの取り柄って本当外見だけだなぁ(遠い目)。
「も、勿論っ知ってたわよっ! そ、そう! これはギャグよっ! うん! ギャグ!」
噛み噛みで狼狽えながら目線を泳がせた。
正直見てて辛い! 流石に可哀想だよこの子!
それからも「いやーギャグにそんなマジコメントされるとこまっちゃうなー」と冷や汗たっぷりに棒読みする朱翼を、俺と芽衣先輩は温かい目で見守った。
「と、兎に角っ!」
机をばん!と叩き朱翼は仕切り直す。
「……私が一通り使い方教えてやるから…………感謝しなさいよっ!」
えーなにこいつツンデレキャラだったの? 誤摩化し方下手すぎて爆笑ものだな!
「いや、正直お前のデレは需要ないぞ」
「私はツンデレじゃないわよっ! もうっ、アンタと話してるとぜんーっぜん話進まないっ!」
続いて机をバンバンと二度叩きそう主張した。話逸らしてるのは主に朱翼かと!
それから「まーまず音符の打ち込み方を教えるね」と呟き、俺のMIDIキーボードを奪った。
すると朱翼は右胸ポケットから赤縁のパソコン眼鏡を取り出しすっと掛けた。——小さな横顔のラインを辿りなだらかに流れる美しい黒髪と両目の眉間を埋めるようにさらりと整った前髪。これがブラックダイヤの瞳をさらに輝かせていたのだが————ここにっ! 赤縁メガネのアクセントがプラスされるのもまた違った角度から朱翼の美しさを引き出す。例えて言うならショーウィンドウに並ぶチョコレートケーキとイチゴショート、どちらも食べたい、みたいな! 眼鏡なしで可愛い子に眼鏡をかける必用はないというのが俺の持論だったが、加点にはならないがかけるのもお好みであり、というパターンを今日初めて見た。これは俺史における貴重な進展だ。大化の改新くらいだ。
「…………視線がエロエロなんですけど」
朱翼は顔をビクっとさせ、両肩を抱きしめ防御態勢に入る。はぁ。そろそろ俺はただの監視者であって手出しはしない事を学んで欲しい。
「ふん、何度言えば分かる。これはエロではない————神聖な測定だ。今日も貴様から学ばせてもらった」
「……はいはい…………なんかツッコむの疲れて来たわ」
ぶっきらぼうにそう言うと俺に感心を無くしたようで直にキーボードとマウスを握った。
「ほれ、この左に書いてあるイラストが見える?」
「あぁ」
朱翼はマウスで画面左に陳列した楽器イラストを指差した。フルート、ヴァイオリン、ピアノ、クラリネット………………割と俺に馴染みのある楽器だ。わざわざこいつが馴染み在るのを選んでくれたっぽい。
「この楽器のイラストをクリックするだけでそのパートに音符を書けるのよ。……っと、そして録音ボタンをぽちっ」
すると朱翼はMIDIキーボードを俺に返す。
「はい、まずはヴァイオリンにしたから、これで何か好きなフレーズ演奏してみなさいよ」
「え、後はキーボードで演奏するだけで音符が打ち込めちゃうのか!?」
「えーそうよっ!」
朱翼は得意気にそう言った。
「はぁ〜〜たまげたなぁ————…………」
俺たち作曲家の主要任務『オタマジャクシの養殖(音符を並べる)』が最早必要ないなんて! こりゃ物凄く直感的で楽だが、時代の進化は悲しいね……! きっとモーツァルトが見たら腰抜かしてぎっくり腰で二ヶ月入院だろう。
さて、じゃあそいつが本当なのか試してみるか…………!
俺は頭の中で思いついたヴァイオリンのフレーズをMIDIキーボードで演奏する————
————————ッ!
——戦慄的な一撃——————
品やかに指を鍵盤に滑らせる——………………
鍵盤を叩くと、鍵盤は直ぐさま答えを返す————優秀なキーボードだ
両手を交差させ————連撃
和音をシルクの海に流し込み、波に身を任せる
旋律の流れはアリアの如く歌い、歌い、歌う————
そして和音と旋律が出会った瞬間————音楽は瞬く間に加速する
音は渦となり鷲の如き神速で音楽は勇猛邁進————怒濤の躍進
さあそしてフィナーレだ
トレモロ————クレッシェンド————アクセント————からの——最後はフォルティッシモッ!!
………………………………
ふぅ————。
演奏を終えた俺は深く息をついた。
「凄いなぁこれ! ピアノの鍵盤を叩くとヴァイオリンの音が出るのにはちょっと違和感あったけど本物のヴァイオリンの音そっくりに再生してくれるんだな!」
このMIDIキーボードで演奏するとなんとヴァイオリンの音でその旋律が再生されたのだ。どういう仕組みかは分からないが。
これは素直に感心した! 商業音楽も捨てたもんじゃない!
そう言い俺は振り返ると————
おててのしわとしわを合わせて目を輝かせる芽衣先輩と、スカートの裾を握りしめて震える朱翼が居た。
「すごーく上手な演奏だったよ! 輝くんピアノも上手なんだね! あれ、でも出てた音はヴァイオリンだから……ヴァイオリンが、上手…………?」
拍手をしながらそう言う芽衣先輩は、最後はきょとんとした。へにょっと垂れた目がむちゃくちゃ可愛い。やっべ芽衣先輩に褒められたよ! 幸せすぎ。
「い、いえいえーそんな事無いですよーこれくらい誰でも…………」
そう芽衣先輩に返した時、
「ま、まあ? アンタにしてはやるじゃない変態」
なんかものすごーぉく不機嫌そうに朱翼がそう遮った。
「ベートーベンのヴァイオリンソナタ『クロイツェル』よね、アンタが弾いたの」
朱翼は下唇を噛む。
「おお、朱翼クラシックの知識あんのか!」
「当たり前でしょっ! 一応私だって八芸音楽科だし……それにその曲、今練習中だし…………」
「えぇー! ヴァイオリンまで弾けるんだ!」
「……えっ、…………ま、まぁ……、うん、ちょっとだけ——————……」
すっと言葉尻をすぼませた。それからしゅんとすると行き場を失った視線を適当に泳がせるのだった。
そんな朱翼を見守るように縮こまった肩に手を置く芽衣先輩は、目線で俺に『話進めちゃって』と語りかける。芽衣先輩にお願いされてしまった……! よく分からないが芽衣先輩のお願いは絶対遵守なので俺は「そ、そういえばさ……!」と切り出してから適当な言葉を探す。
「えっと…………、あっ、そうだ! さっきの俺の演奏ちゃんと音符になってんのかなぁ?」
すると朱翼はふぇっ、とフェレットのような鳴き声を上げ、目には瞬時に生気が戻った。いやフェレットがどう鳴くのか知らないので想像だけど。
「え、ええ! 勿論! ちょっと貸しなさい————」
いつも通り偉そうにそう言うとマウスとキーボードを奪い返し素早くカチカチする。待つこと五秒。
「はい、これ見てー」
「うわぁお、すっげー!」
そこにはさっき俺が演奏したベートーベンの旋律をなぞる様、画面のピアノロールに長方形の螺旋が描かれていた。
「アンタの演奏した一つ一つの音符がこの長方形の図形で指示されるの。八分音符の二倍の長さの長方形なら四分音符、四倍なら二分音符って具合にねっ!」
「ほほーう! つまりはこれがMIDIデータって事か! 話の実感湧いたぞ!」
朱翼はええその通りよ!、と得意気に頷く。それからマウスを再びカチカチして新しい画面を俺に見せる。
「んでこの折れ線グラフが『ベロシティ』って言ってアンタの鍵盤タッチを認識した音量のグラフ。ふふーん、どお? さっきの演奏だけで音の長さと音量の情報を持ったMIDIデータが作れたって訳よっ!」
「すげえな!」
余りにも朱翼が先程とは打って変わった自信満々な表情でそう言うもんだから俺は珍しく褒めてしまった。
「それにMIDIは百等分の精度でアンタの演奏を忠実に保存してるの。四分音符とか三連符みたいな限られたリズムと、フォルテとピアノの二段階でしか音量を表せない五線記譜法の何十倍も優秀って訳なのよ!」
少女漫画のお嬢様かっ!とツッコみたくなる程「おっほっほー!」という台詞が滅茶苦茶似合う態度でそう続けた。やっぱりこいつの中身は清楚なお姫様とは程遠い。
あと仮にも八芸生ならメッゾフォルテとかフォルティッシモとかも忘れないで欲しいかった。多分それくらい美術科の芽衣先輩でも知ってる。
「でもこのMAGMSXとやらお高いんでしょ?」
俺は胡麻擂りながら朱翼にそう言う。
「そーんなことありません! 何と……今なら学生割引で——一万九六〇〇円! 一九六〇〇円(税別)!」
「えー! こんなに機能もいっぱい付いてるのにー!?」
芽衣先輩が何かノって来た。どうでも良いけど通販番組っていっつも(税別)を小さく書いてくるからムカつくよな。
「それだけじゃありません! 今ならなんと! 外出先のお供に最適なコンパクトMIDIキーボードも付けちゃいます! これでもお値段変わらず一九六〇〇円(税別)でのご提供です!」
「————なんですと!? そ、……そんなに良いんですかっ!?」
——芽衣先輩の背景を——稲妻が—————駆けた——————————
なんでそんな目が本気なんですかっ。描写するのにめっちゃダッシュ使っちゃったじゃないすか。
「円高に伴う利益還元でございます!」
今滅茶苦茶円安だよ? 一ドル百四十二円だよ?
……俺が発端とは云え、意味不明な茶番が始まってしまった。
「さ、金持ちー、さっさと買って来なーさい」
そう言う朱翼におもいっきりケツを蹴られた。
それからべー、と下を出して俺を威嚇する芽衣先輩。……あー俺を虐めてるつもりなんだろうけど可愛すぎて俺にとってはご褒美!
あ、外見美少女朱翼にお尻蹴られたのもアンタにとってはご褒美だろとか思ったでしょ? はっ! 残念でした!! あいつが美少女なのは黙ってる時だけだから! 動いた瞬間、内面が伴った瞬間に俺の中では美少女じゃなくなるから全然ご褒美じゃないんだよ!
俺は朱翼に投げ渡されたMAGMSXとやらのパッケージを抱きかかえレジへ向かった。