第三章 変態×アキバ=奇想天外6
「なあ、朱翼。さっきお前がボカロPは紙の五線紙にスコア書いたりしないって言った理由、俺既に何となく分かったぞ」
「へー言ってみなさいよ」
俺達一行は朱翼の後を追いエレベーターへ入った。最後に入った芽衣先輩だがさっと【閉】ボタンと【2】ボタンを押した。
「要するにMIDIデータがパソコンの音符なんだろ? だったらパソコンの五線紙を用意してそこにMIDIデータを打ち込めば紙でやってる事が全部パソコン上でできんじゃん」
「……ふーん、流石自称天才。その通りよっ!」
朱翼は悔しそうにくー!と口をへの字にした。
「そう、そのアンタの言う所のパソコン上の五線紙ってやつが————」
——ピンポーン
エレベータの扉が開き二階のフロアを一望する。
「——このDAWソフトよッ!」
またまた大してある訳でもない胸を張りながらドヤ顔でそう言った。
「へーこりゃまた俺にはトンチンカンなゾーンのお出ましだ——…………」
MIDIキーボードとスピーカを備えた大量のパソコン。
ところせましに並べられるソフウェアの箱。
マイクが接続されたピアノや奥には防音室の中に小さなスタジオが。
薄暗い照明が高級感を演出する。
フロア一体がまるで有名バンドのスタジオなのでは、とさえ思わせる雰囲気だった。
「デジタル・オーディオ・ワークステーションの頭文字を取ってDAW。これはMIDIキーボードで打ち込んだMIDIデータを編集して音楽にする事が出来るソフトウェアよッ!」
ふふん、と満足気な表情。朱翼が作った言葉でもないのにね!
「まぁ、まずは触ってみましょうよ! そうね……まずアンタみたいなのに向いてるのは——…………」
朱翼はその言葉を最後にまたしても一人でピョンピョンスキップしながらDAWの森へ消えて行った。
そんな浮かれた彼女を見送る芽衣先輩の苦くも嬉しそうな目線はふいに俺の視線とぶつかった。不意を突くそんな状況に二人して照れていると、
「あーこれこれ————! ちょっと輝ー芽衣ー! さっさと来なさいよー!」
遠くから叫ぶ様な朱翼の声が聞こえてくる。だからここは店内だっつーの! こいつ本当にここの常連なのかと疑いたくなる。
だが芽衣先輩は幸せそうにふぅと小さく溜め息をつくのだ。
「はいはーい! いーま行きますよー」
「め、芽衣先輩っ!! ここ、店内ですよー!」
俺はピアニッシモで芽衣先輩に囁く。
「あ、そうだったー! 朱翼が浮かれてたから私もついー」
えへへー、と髪を直す。笑った時に出来るえくぼが可愛い。
芽衣先輩と朱翼————見れば見るほど本当に姉妹みたい。
芽衣先輩は声のした方向へ小走りで駆けた。
*
【雨音朱翼パート】
「お、久しぶりー朱翼」
「おねーちゃん!」
輝とのデートの前日。
……私は結局、お姉ちゃんに私服を借りる事にした。だ、だってそれ以外選択しないんだもん! 一応自分で買うとかも考えてどんなお洋服屋さんに行けば良いか芽衣に相談したんだけど…………
『お洋服屋さんって言い方が既に女子高生じゃないよね(苦笑)』
って言われてしまったので諦めた!
……なんとか輝とデートだって事はバレない様にしなきゃ————
「つまるところ今日は輝とのデートで着ていく服が無いから私に借りに来たってとこ?」
「いきなりバレた!?」
「はっはっはー我が妹よ、青春してるなあー!」
……頭を打ってエスパー能力が開花したのだろうか?
真っ白な服に身を包み、少しやつれた様に横たわる私のお姉ちゃん——雨宮椿。
——そう、今のお姉ちゃんに私の声は届いてない。それなのに、こんなに笑ってふざけてくれる。
私はがさごそ、と鞄からスケッチブックを取り出しそこに油性マジックペンで言いたい事を書く。
『……ど、どうせその通りですよーだ』
「けっ、このリア充が。爆発しろー爆発ー!」
『あんなアホ変態が私の初デート相手なんて非リア充でしょー!』
「はっはっはー! その様子じゃどうやら仲良くなったようだな! お前らは気が合うと思ってたんだよー! それに案外、顔も悪くないじゃろ?」
『そ、そもそも仲良くなんか無いですぅー!』
お姉ちゃんはベットに寝たまま、そんな風に大声で笑った。
それからもずっとお姉ちゃんは「はっはっはー」と笑い続け、結局最後は笑い疲れ小さく息を吐いた。
「いやあー朱翼の話はいつも面白いよー入院はつまらなくてなー」
『……お姉ちゃんはあいつがあんな変態だって知ってたのに私に勧誘させたの?』
「ん? 私は朱翼が私と同じかそれ以上曲書ける奴誰か知らないって言うからあいつを教えただけよ? 勧誘しろ、とは言ってなくない?」
にひひひ、とまた笑うお姉ちゃん。それから勧誘しろ以外の意図を汲み取れと?
そ、そりゃ曲は書けるっぽそうだけど、それ以外が酷過ぎて…………。
するとお姉ちゃんは急に静まり、不意に窓の外へ目線を移した。
「……あんたさ、まだクラシック音楽嫌ってんの?」
静かにそう呟いた。
私も返信を書く。かきかき…………
『まだもなにもあのバカ親父、お姉ちゃん入院してからなんか更に厳しくなってもうやってらんないよ!』
「そう…………」
私のスケッチブックを見たお姉ちゃんはちょっとだけ寂しそうだった。
「……輝とは、音楽の話はよくするの?」
『あんましない。あいつ自分の自慢ばっかりで!』
「あははーそいやーそんな奴だったわなー!」
本当、お姉ちゃんはなんでこんなになってでも笑ってられるんだろう?
どんな時でも笑っている明るいお姉ちゃん。その心の裏ではどんな事を考えているのか、私は時々模索してしまう。
「——けどきっと朱翼は、あいつに出会って色々変わるよ」
すっと澄んだ表情。凛と真っすぐな視線。優しそうな口元。
お姉ちゃんは突然、しかし柔らかくそう言った。
『……それ、どういう意味?』
「…………アンタ達はお似合いカップルだって意味よ〜このリア充がー!」
『そ、そもそも仲良くなんか無いですぅー!』
私は三枚目のページを使い回して見せた。
もーお姉ちゃんったら…………はっ、まさか————
『お、お姉ちゃん、私をくっつけようとして勧誘させたの?』
「バッ、バレタカ————!」
お姉ちゃんは冗談だと分かるオーバーリアクションを取った。
ふっ、もし本当だとしたらあいつの何処が私と相性良さそうだったのか問いただしてやりたいわっ!
『あいつボカロの良さを分かろうとしないから嫌い』
取りあえずあいつの一番嫌いな所をお姉ちゃんに報告する。
「あーあいつ、根っからのクラシック人間だもんねー」
お姉ちゃんは珍しく苦笑した。
「でも、それはアンタも一緒じゃない! クラシックの良さを分かろうとしない朱翼さん?」
『わっ、私はちゃんと分かろうと努力した上で分からなかったの! 食べる前から諦めてるあいつとは違うもん!』
「食わず嫌いは人生損するよねー」
お姉ちゃんはうんうん、と頷き穏やかに笑った。
「けど朱翼ね————」
「——?」
またしても私の目を凛と素直に見つめられる。
「ボカロと違ってクラシック音楽の面白さってのはちょっとかじっただけじゃ分からない、深い所にあるもんなのよ」
何か大切な事を諭す様に重く言葉を紡いだ。
——深い所…………正直私には分からない。
そう言えば同じ様な事、輝も言ってたな。
一つの物事を極めると、その物事の根底にある物が見えてくる、とかなんとか。
物事の根底。深い所にある面白さ。
————けど
私にはそんなもの————分からない。
だって私は——————…………
「お姉ちゃん達とは、違うから…………」
お姉ちゃんに悟られない様、俯きながらそう呟いた。