第三章 変態×アキバ=奇想天外5
「ここが恐らく日本で一番でっかい音楽機材専門店よ!」
駅を出て大通りを進み、そこから少し脇道にそれた所。そんな場所にそれはあった。
「でっかいビルだなー……これ全部楽器屋なのか?」
空高く聳えるビルを俺は見上げた。
「えー! どうだ、凄いだろ!」
「別に朱翼が凄い訳じゃないけどね」
「私本当に先輩なのかなぁ!」
なにこの子先輩ぶりたったの? 今更そんなアピール意味ないよ!
「ワクワク…………ワクワク!」
左隣では目を宝石の様にきらきらと輝かせる芽衣先輩の姿が。
「芽衣先輩も初めてですか?」
「うんうん! 朱翼から面白い所だって話は聞いてたんだけど来るのは初めてなの!」
「あ、そういえばここ音楽機材だけじゃなくてレストランとかも入ってるの! 最上階のアイス屋さんめっちゃ美味しいからあとでいこーねー!」
「えっそうなの!? うん行こう行こーう!」
女子二名は向かい合い手のひらをぴたっと合わせていかにも女子っぽく微笑んでいた。
ふーむ。俺からすると楽器屋にレストランが入ってるって……なんか想像出来なかった。
「ま、取りあえずさっさと入ろうぜー」
俺達は中央の自動ドアへ向かって歩いた。
「うぉおお————……すっげえなぁ……良く分からないけど高そうな物がいっぱいだ」
「ふふーん当然でしょ! 私は凄いんだから!」
「だから凄いのは店な」
壁に吊るされたキーボード。
棚一面を敷き詰める意味不明な機械。
あちこちから聞こえてくる電子音楽。
天井に迄設置されたスピーカー。
そして——————————…………
「きゃ————!! これロレッズの新作スピーカーじゃない! お、こっちはロレッズSNHシリーズの上位版MIDIキーボード! 実物見るのは初めてなのよー! もー最近来てないから見たいものありすぎて————あっ! これはこれはクリントン社の新作ボカロキャー! え、マジマジ!? うっほぉおおお! あっあれはもしや……!」
入店早々朱翼は俺や芽衣先輩の事などほったらかし、奇声を上げながら店内を子犬の様に走り回っていた。
「……朱翼の奴、本当子供みたいですね」
俺はおもちゃ屋さんに子供を連れて来た親の気持ちがわかった気がした。
「朱翼はボカロとコンピューター音楽の話になると周り見えなくなっちゃうの」
芽衣先輩もそんな朱翼を見ながら嬉しそうにしていた。……なんか最早俺たち朱翼の両親みたいじゃね!? 芽衣は俺の嫁!
「……ちょっと前迄はあんな風に笑う事も少なかったから————……」
「————?」
芽衣先輩はぼそっとそんな事を独り言の様に呟いた。
「さっ! でも朱翼捕まえないと話進まないから捕獲に行こう!」
「……え、ええそうですね…………!」
芽衣先輩の目、とっても温かい目だ……
「こらー朱翼ー! あんまり店内ではしゃがないのー!」
芽衣先輩は本当に嬉しそうに、朱翼を求め棚の奥へ消えた。
「……冗談抜きであの二人姉妹みたいだな…………」
勿論芽衣先輩が姉だよ? 容姿は真逆なんだけどね!
すぐ泣いて、すぐ怒って、すぐはしゃぐ。
そんな朱翼をすぐ慰めて、時には怒ってくれる。
こんな関係を何かで例えるなら『姉妹』がぴったりな気がする。
芽衣先輩の存在が朱翼を助けているのかもしれない。
「あー俺も芽衣先輩の弟になって怒られて——————!」
橘、Mに目覚めたってよ。
*
「で、あんた何が知りたい訳?」
朱翼は大して大きくもない胸を張りながら偉そーにそう言った。
「取りあえず、何も分かんないんで全部」
ふっこいつに気を遣ったりしないからな! とことん今日は教えてもらうぜ!
こいつのことだから「はーあんた全部とか何、馬鹿なの? もっと絞れやこの変態!」みたいな回答するのかなっと俺は思っていたのだが意外にも…………
「ふ、ふーんそうよね……ま、アンタが何も分かんないってなら、私が教えたげる」
あれこの子案外強気? 昨日賞味期限切れのあめちゃんでも食べたのだろうか?
「私、音楽機材で分からない事とかないし」
ふふーん!、と鼻の下を伸ばす朱翼。
……ああ、ただただ自慢したいのね————いつも通りでした。
俺はここで試しに調子に乗らせてみる事にした。
「じゃあ是非今日は宜しくお願いしますよ————朱翼センパイ♪」
するとあら不思議、露骨に表情がぱぁっと明るくなったよ! なにこいつ! こんな単純だとアポイントメント商法とかねずみ講に引っかからないか心配!
「任っせなさい! この朱翼せーんーぱーいーがなんっでも! 教えて上げますよー☆」
先輩の部分をめちゃくちゃ強調してそう言った。それに何だ最後の星は。
……あーあ、俺やっぱ入れなくて良いスイッチ入れちゃったかな?
芽衣先輩もこれには苦笑い。
「じゃ、まずは打ち込みに使うMIDIキーボードの所に行きましょー!」
そう言うと朱翼は「こっちこっちー!」と楽しそうに俺の手を引っ張った。店内を走り回る高校生とかマジ恥ずかしくて目も当てられない。止めて欲しかったけど後ろ髪から漂う匂いとその隙間から覗ける項がもう最高だったから彼女に従った。
公共の場でのマナーとかはさておき、こんな風にはしゃいでる朱翼は——ちょっと可愛かったりした。ちょっとだよ?
朱翼の提案で俺たちはボカロ曲が出来る迄の過程を全て追体験する事になった。
そうすれば、確かに全部分かる。
なるほど、朱翼にしては良い案だ。
「まーまず、アンタが完成させた譜面をパソコンにMIDIデータとして打ち込まないと何も始まらないわー」
すると朱翼はくるっとターンして背後にあった大量のキーボードを指差す。
「そこで使うのがこのMIDIキーボードよっ!」
ばばーん!
絶対今『私、キマったわ!』とか思ってるぜあいつ! そんなドヤ顔をしていた。
「まあ、って言っても普通コンピューター音楽やる人って五線紙に音符並べてスコア作ったりしないんだけど、まあそこはおいおい説明するわ」
「へー俺にとっちゃ考えられないけどなそれ」
作曲家って音楽作るのが仕事だと思われがちだが、俺は自分の音楽を楽譜にするのが作曲家の仕事だと思ってる。ベートーベンもバッハもモーツァルトももし楽譜が残ってなかったらこんなに有名にならなかったと思わない?
そんな俺からすると楽譜を書かない作曲家がコンピューター音楽の作曲家、と云われると少し興味が湧いたが、朱翼が後回しと云うので黙ってる。
「なあ、そのMIDIデータって何なんだ?」
「はいはいーそう焦らんでも教えますよー」
…………イラッ!
ガキのくせに相変わらず上から目線でウゼエな! 口調が幼稚園の先生みたいだったのが朱翼の発想の貧困さを伺わせる。
「MIDIデータって云うのは音符データの事。音符の楽器、高さ、長さ、音量……等々音符の持つ全ての情報を保存したデータなの。音声の波形データなんかとは違って、あくまで音符単位で保存するモノだからそこんとこ間違えない様にね」
「へぇー音符の情報をデータ化出来るってことか——……」
つまり俺がヴァイオリンパートに八分音符のドを書く作業をパソコン上でやると、それら全ての情報を一つのMIDIデータとして保存出来るってことか…… 凄いな現代!
「MIDIデータで保存すれば他のソフトで開いても同じ音符が再生されるのよ」
「全ソフト共通…………五線記譜法が世界で共通なのと同じ感じか。正にパソコン上の音符=MIDIデータって感じだな!」
「え、ええ。そうね————…………」
だが続いてどうしたのだろうか? 朱翼は急に先程迄の威勢とは程遠い不安げな表情を浮かべていた。
「…………今の説明で、輝は理解出来てる?」
弱々しい声と目でそう言った。
こいつ、自分が説明下手って自覚はあるのか。よかった感心。最早親心。
しゃあねえな、なら俺がフォローしてやるか。
「心配すんな、ちゃんと理解出来てるよ」
「ふぇっ! ほ、ほんとッ!?」
一切の曇りも無い笑顔を浮かべる。本当子供ってのは素直だな(皮肉)。
そして俺は目一杯のにこやか爽やかな表情でこう言ってやった。
「ああ本当さ————————だって俺天才だから」
「死ねバカ! アホ! 変態ッ!」
あははは、予想通りの反応してくれると面白いや!
「輝くん、あんま朱翼いじめないでー」
「め、芽衣っ! 私べつに、こんな奴にいじめられてなんかっ!」
「すみませーん芽衣先輩! 気をつけます! さ、朱翼センパイ、続けて下さい?」
むむむむむむー!っとやんわり睨め付けてくる朱翼は怒った幼稚園児そのものだった。
扱い慣れてくると面白いもんだね!
それから朱翼はくるっと背を向けてキーボードの鍵盤をぽん、と押した。
「——で、このMIDIキーボードで弾いた音符をパソコンの中ではMIDIデータとして保存してくれるの」
「へーそいつはすげーなー!」
「はー? こんくらいとーぜんですよーだ」
なんだかぶーぶーとふてくされた様子。流石に怒らせすぎちゃったかな?
まったく、能天気なお嬢様の機嫌を取るのは大変だ。
「つまりこれで八分音符を弾けば八分音符のMIDIデータが作れるのか…………なあ朱翼、これもし強く鍵盤叩いたらMIDIデータの音量も強くなったりすんの?」
「えっ——……あっ、えぇ! うん! そりゃ勿論!」
……あれ、なんか少し機嫌治って来た…………?
あ、まさか質問してくれたのが嬉しかったのか!? 単純だなおい!
すると朱翼はキーボードの棚一帯を見回して何かを探しながら、
「で、MIDIキーボードはこんなにいっぱい種類ある訳だけど、こん中から自分の好みの子を見つけ出すのがこりゃ大変でねー! あ、あったあった。私が使ってるのはこのロレッズっていうアメリカの有名メーカーのAKS8012っていう一番高い奴!」
真っ赤かなワインレッドの側面ボディとロレッズというロゴを子供の様な笑顔で見せつけて来た。なんかめっちゃ楽しそう。天真爛漫とは正にこの事だ。
「こいつら、どういうとこで性能の差がでんの?」
正直朱翼の言う通りここら一体全部MIDIキーボードとやらが占拠している。この中からお気に入りの一台と云われるとどうすれば良いか分からない…………
「まーまずは鍵盤の数よねー。ピアノと同じ数欲しいのか、あるいは三オクターブくらいの小さいのでも良いのか」
なるほど。グランドピアノの鍵盤数は88。これを全て網羅していな物もMIDIキーボードにはあるようだ。そんなもの需要はあんのか?
「このちっさいキーボードかわいー!」
芽衣先輩はピンク色をした三十センチ程の小さなキーボードを手のひらに乗っけてそう言った。
「ああ、これは持ち運び用にロレッズが開発したマイクロミニシリーズのMKS1020だよー! いやー流石芽衣! 私もこれと同じの持ち歩いてるんだー」
そう言うと鞄の中をがさごそ…………それと同じ色違いのキーボードを取り出した。色はやっぱり朱だった。
「あっそういえば朱翼いつも持ってたねー」
朱翼は「そーなのっ!」と素直に頷く。
「つまりそいつがあれば音楽祭でトークショーしに行ったブエノスアイレスのホテルや本選残ってロサンゼルスに向かう飛行機の機内でもMIDIデータを作れるってことか」
「……例えに俺世界中飛び回ってますよアピールするのがいちいちムカツくわねっ!」
ははは、俺こいつの扱い方分かって来たぞ!
「まぁ、あとは鍵盤のタッチがそれぞれ違うからそれの好みとか……重さ、大きさ、後はやっぱデザインね」
すると朱翼は俺の顔を覗き込む。今日の服装首元のネックレスを光らせる為に少しだけ胸元が開けてるからこーいうポーズされると谷間が若干見えるんですよね。グッジョブ。
「てか、あんた機材を買いに来たの? それとも私の解説が聞きたいだけ?」
あ、そうか。それ言うの忘れてたよ。
「両方かな。別にボカロ曲とかこれ以降も作るつもりは今んとこ無いけど、まああって損は無いし、これを期に一応一式家に揃えとこうかと」
商業音楽の分野は俺の関心外だが、知らない事は作らないのが俺の主義だ。一応これを期に機材くらい家に揃えておくのも悪くない。多分あんま触らないけど。
「ふーん。そーなると予算も視野に入れないとねー。アンタ、幾らくらい迄なら使えるの?」
腰に手を回して小首を傾げる朱翼。
予算、か…………そーだなぁ————……
「うーん……まあ、とりあえず二○○万くらい迄なら出せると思う」
——その瞬間——女性二名共々目が点になる。人形になった様に静止する。
向けられる冷たい視線。
……あれ? 今なんか変な事言った? まっ、まさかこのキーボード一台一千万とか!? てめぇMIDIキーボードそんな安値で買えると思ったのかよバカみたいな!?
俺は唾を飲んで少女達がスリープモードから回復するのを暫し待つ。
そして————……
「「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええええええええええええええ!」」
爆音——鼓膜がびりびりした。ちょっ、ここ一応店内ですよ!
「あ、ああ、ああああああんた! 高校生のお小遣いがにっ二○○万って一体何なのよ!?」
「輝くんち、すんごいお金持ちだったの!?」
真冬に半袖で外出したみたいにがくがくと震える朱翼。
口と目をぽかーんと開いて膝をがくがくと震わす芽衣先輩。ロングスカートだから震える太ももが見えないのが残念でならん。
「いや賞金とか出版譜印税とかなんか使うあてあんまないしとっといてあって…………貯金も大体二千万ちょいあるので」
「「は?」」
続いてギロリ、と二人から睨まれる。……二人ともちょーこえーんだが…………
「はーこれだから金持ちは…………」
「ほんと、嫌になっちゃうわねぇー」
…………………………
高校生のお小遣いの相場ってそんな少なかったのか。みんな毎月百万くらいは貰ってると思ってんだけど違うの?
「とりあえずお金に歯止めはかけずスペック高いの選べってことねっ! はいはい、金持ち乙!」
「これからの食事全部輝くんの奢りだから!」
二人は息を合わせた様に同時にぷいっとそっぽを向いた。朱翼はどーでも良いけど芽衣先輩に迄そっぽを向かれてしまい…………とても傷ついた。
それから朱翼は、はぁーと深い溜め息を漏らし、半ば上の空で再び語りだす。
「まーじゃああんたにお勧めなのは……この、ロレッズのPKSシリーズの8000かな」
そう言うとつま先立ちになって背伸びし、両腕を目一杯伸ばしては指先で棚の最上段にあるキーボードを……なんとか手に取った。うんしょっ、と重そうにそれを抱きかかえる。
「それはどんな特徴が?」
「キーボードのタッチが極限迄本物のグランドピアノに近いフルキーボード仕様なの。クラシックやってる人からしたら理想の名機よ。……まあ唯一の弱点は値段が高すぎるって事だけどねッ!」
「………………なんかすまん」
なんで金持ちってひがまれるんでしょうね? これ全部自分で勝ち取った賞金と印税なのに! ヘイベイベーパパからお小遣いで一千万貰っちゃったんだー☆とかじゃないんだよ!?
「んじゃあまあ、それ買うわ」
とはいえ折角朱翼が選んでくれたのだから買ってやらんことも無い。
だがそれに対し朱翼は上から目線でへーと声を上げた。
「あんた、高いよって言ったのに値段聞かないんだー」
ギクッ。しまった。いや、別に値札見ずに買い物するのに慣れてるとかじゃなくて…………
「……なんというか、そのー……、朱翼の選んでくれた物なら値段なんか関係なく買ってもいいかな、と」
俺は素直にそう言った。
「へ、へぇ〜〜……そっか——……」
「な、何よ……」と超小声で付け加えると縮こまり頬を染めて目線を俺から逸らした。な、なんかそっちまで素直にそう照れられると可愛いな…………。
するとするとお次は突然芽衣先輩が前のめりになって朱翼の両手をぎょっと握る。突き出たお尻がエロい。
「騙されないで朱翼! これは子供っぽい朱翼ならこう言っておけば値段聞かなかった事はスルーするだろうっていう輝くんの卑劣な作戦よ!」
「よくも騙したわねっ!」
「ご、誤解だ!」
二人は一緒になってガルルルルっと威嚇してくる。説得が最早面倒だ。
はぁー。俺は仕方なしに自分で値札をちらりとめくった。
十八万八千円。確かに高いが買えない値段ではない。
「——確かに高いが買えない値段ではない、とか思ったでしょー今!」
前半ちっとも似てない声真似をしながら芽衣先輩はそう言った。一字一句間違えず合ってた! 芽衣先輩エスパーなの!?
「な、なんで分かったんですか!?」
「顔に出てたものっ!」
頬の下の方だけを膨らませて視線をぷい、と斜め上へ向けた。仕草が可愛い。
すると朱翼は半ば何かを諦めた様に小さな溜め息をつくのだった。
「まーそれ持ち歩きながら店内回るのは大変だから一旦そこに置いて次のコーナー行きましょ」
「お、おう…………」
まー確かにこの十八万八千円を持ち歩くのは質量的にも値段的にも、精神的にも重い。
待っててな、俺の新しい相棒。
俺は心の中でそう言い残しMIDIキーボードコーナーを後にした。