第二章 変態×ボカロ=何それおいしいの?7
「でも輝くん……目標を立てる事が大事なのは分かったけど、その目標に辿り着く為にどんな曲を書けば良いか、目星はついてるの?」
芽衣先輩はどこかの性悪女と違い、素直な疑問をぶつける口調でそう喋った。
——そう言われると思ってましたよ——
俺は大量のレポートを鞄から出し机の上で広げた。
「さらっと昨日から今日にかけてボカロでヒットした曲三十曲程分析してみました。これに傾向を寄せる感じ、しかし自分のオリジナリティはしっかり入れる。それでいけると思います」
「……うそ、何これ…………!」
「脳漿炸裂ボーイ、百万桜、ロデオとシルフィード、世界で一番王子様…………どれも爆発級のヒット曲じゃない!」
朱翼はおもちゃ屋を訪れた子供の様にキラキラした目で俺のレポートを貪った。
なるほど——ボカロを愛している、というのは本気らしいな。
「よく見てみろ、爆発ヒット曲と目標の十万〜三十万再生クラスのヒット曲。この二つを中心に分析したから。さっきも言った通り俺たちの目標は十万再生。百万再生にある要素でも十万を目指すなら寧ろ要らない物も在ったりするからな。」
「……本当だ……! コスモガール、恋愛裁判所、ハローマイウェイ……ここら辺は確かに十万〜三十万再生クラスのヒット作ね!」
芽衣先輩も同じく食い入る様に見ていた。
「……ねぇこのスコアって? どっかのサイトから落として来た感じ?」
俺のレポートには全てその曲のスコアを載せていた。
スコア——即ち総譜。その曲に使われている音符を楽器別に全て書き表しまとめたもの。クラシックの作曲では寧ろこれを書く事が作曲家の仕事だから俺には特に馴染み在る物だ。
「ん? ああ、全部耳コピで俺が書いた」
「へえ耳コピね——————って、は!?」
すると朱翼に詰め寄られる。
「これ全部!? たった数十時間で!? 全部かんっぺきに耳コピしたって言うの!?」
ち、近い近い!
……顔だけは可愛いから若干照れる…………
「……あ、あぁ、そうだよ…………勿論、完璧ではないし、特にシンセサイザーとかは詳しくないから間違ってる所も多いと思うけど…………」
更に詰め寄られる…………
目が近いよ————……!
嘗て無い程輝いた大粒の瞳…………不覚にも胸が熱くなる。
「アンタ、実は天才なのね!」
「だから最初からそう言ってるだろ」
「……謙遜しない所がむかつく」
そう云うとぷくーっと頬を膨らませ再びレポートの山に戻った。……こんな女に若干ドキドキしちまった事は口外したくねえな。
まあ内面ブス女の事など今はどうでも良い。
それから俺はすっと息を吸い込み、
「いいか————」
そう二人に呼びかける。
女性二人は首だけをくるっと傾け注意を向ける。そして俺はこう断言するのだ。
「——仮入部期間が終わる四月二十日迄に俺は、十万再生を獲得出来る動画を一本作る。契約したからにはしっかり果たす。」
俺は確かに、力強く、そう言った。
……これは朱翼に同情してる訳でも協力してやってる訳でもない。
そう————
芽衣先輩程の素晴らしいおっぱいを揉むのに——俺が半端なことしたくないだけだ!
それがジェントル・マンの胸揉みって奴さ——————。
一通りレポートに目を通した二人はふぅ、と紅茶を飲みながら落ち着いていた。
「本当に凄いわ輝くん! 輝くんはやっぱり凄い音楽の才能があるのねー!」
「いやいやそんな事無いですよ! 俺なんかまだまだですってー」
「は、なんで私が褒めた時と対応違う訳?」
芽衣先輩と俺の微笑ましく青春っぽい会話の最中、朱翼は割とマジな目で俺を睨んだ。
「あれー? そうだっけ? まぁー美少女とそうじゃない女とでは対応がすこーし変わっちゃうのも仕方ないかなーなんて! そう! だから無意識なんだー!」
「へっ! 昨日の朝迄は私のかんっぺきな美少女っぷりに見とれてわんちゃんみたいにほいほい尻尾振ってたアンタの姿が懐かしいわね!」
「そっちこそ人を騙すのが趣味なんて随分気持ち悪い趣味をお持ちですねー!」
「はぁ!? 女の子の外見と内面を数値化して美少女ポイントとかいうきーんもち悪い判定するのが趣味な変態にそんな事言われたくないわ!」
「BP測定は趣味じゃねえ————俺の生き甲斐だ」
「キッモ。変態こっちくんなし」
机と云う川を挟んでいるのにも関わらずしっし、と右手であしらう素振りを見せる朱翼。俺がたった数時間とはいえこんな女の三文芝居に騙されていたかと思うと腹立たしい。
「——ところでさ」
朱翼はカップを置いて一息つくと、俺を真っすぐ見て口を開いた。
「アンタのレポート、クラシックの専門用語満載だったけど…………ボカロの曲をベートーベンのアナリーゼするみたいにして内容は本当に理解出来てる訳?」
アナリーゼ——主にクラシックの楽曲を分析する事を指す専門用語だ。
「あっそうそう! 私もそれで良く分からない箇所がいっぱいあって…………」
偉そうに脚を組んだ朱翼と、はふはふと息を吐いて紅茶を冷ます芽衣先輩は俺にそう問いた。
「だからさっきも言ったろ…………根本的にやる事はクラシックもボカロも一緒だって」
俺は朱翼の目を人差し指で指した。
「……でも、それは有名な曲を分析してそこからそれが何故人気なのかを見つける作業を行なう事が、有名な曲を作ることが出来る事に繋がるって意味じゃないの? ……音楽的な分析までクラシック流で良い訳?」
「お、少しは俺の話理解出来てんじゃん」
「流石にそんくらい分かったわよバカ!」
おー怖い目だ。可愛い顔も下劣な内面のおかげで台無しだ。
「俺も最初それが心配だったんだよ。ボカロ曲分析してみてもし俺の知らないコードワークやらオーケストレーションがあったらどうしよってな」
「そりゃそうでしょ。特にコードワークなんかは。」
「……コードワーク…………オーケストレーション?」
きょとん、と目をまん丸くさせた芽衣先輩が割って入る。
「ご、ごめんなさい芽衣先輩っ! そ、そうですよね……ちゃんと説明しないと…………」
芽衣先輩はこの中で唯一の美術科だ。音楽の専門的な話にはついてこれなくて当然。そんな配慮を忘れるとは…………俺は自分で自分を戒めた。くそっぉぉぉぉおおおおお!
そんな中朱翼は勝手に用語解説を始める。
「コードワークは和声進行……つまり曲中、和音がどう繋がってるのかってこと。んでオーケストレーションっていうのは————………………」
言葉に詰まった朱翼は目線で俺に助け舟を仰いだ。
「……あぁ、オーケストレーションって結構言葉で説明するの難しいよな。芸大の入試でも出たくらいだ。まあでも簡単に言うなら…………各々の楽器の動きが、曲にどういう影響を及ぼすのかって事ですかね?」
「さ、流石音楽家! ううん、二人が分かってるなら進めてくれていいよ!」
「……す、すみません…………俺の配慮不足でした!」
芽衣先輩は真冬の猫の様に縮こまってしまった。……芽衣先輩抜きでこの女とマンツーマンで話しするのは俺の精神衛生上イケナイ! これからは専門用語封印でいこう。
だが「そ、ごめんね」、と一言話を戻そうとする朱翼。やっぱコイツ嫌い。
仕方なしに俺も話を戻す。
「でも実際分析して——音源しか無い音を楽譜に起こしてみるとあら不思議。根本にあるのは結構クラシックだったんだ。……ってそれさっきのレポートちゃんと読めば書いてあるだろうがよ」
「……あ、れ————? そ、そだったっけか?」
視線が空中をふわふわ浮遊する。
こいつ、絶対ちゃんと読んでないぞ。あるいは読んでも理解出来てないか。
一応八芸作曲専攻の入試、そんな易しくない筈なんだけどどうやって入ったんだ?
「そうだよ。例えば総再生回数一千万越えでボカロの火付け役となった『百万桜』これのオーケストレーションはまんま大作オペラ作曲家ワーグナだし……これも同じく再生数一千万越えの『脳色炸裂ボーイ』の和声進行はピアノの貴公子ショパンそのものだ」
俺はその二曲のレポートをすっと朱翼の前へ出してやる。
ふ、ふーん、と言いながら手にも取ろうとせず机の上のそれをぼんやり眺める朱翼を見て、俺はこいつの音楽的素養をなんとなく察した。
「まあ要するにボカロなんて所詮はクラシックの焼き回しってことだな。クラシックで使い古された事をボーカロイドと云うソフトと親しみ易い曲調でもって作り直し、無料で好きなだけ視聴出来るという理由からそれが異常な迄に肥大化したコンテンツ。それがボカロの正体だ」
「……ちょっと、数曲聞いたくらいで分かったつもりな訳?」
おー怖い怖いまたあの鬼の様な目だ。
「でも実際そうじゃん? コードもオーケストレーションも何もかも、分析してみれば何処かで聞いた事がある様なものばっかりで正直がっかりだったぜ! そんなん一日聞いてれば分かる。音楽的な魅力は一切感じられない。唯一評価出来る点は無料で聞けるってトコか? そうじゃなかったらあんなつまらない音楽、聞く人なんて居なかったさ」
「へっ! どうせクラシック堅物のあんたにはボカロの良さは分かりませんよーだ!」
右目を引っ張ってべろべろバー、とやってみせる朱翼。ちょっとこいつマジで精神年齢幼稚園児何じゃねえの!?
「へっ、クラシック堅物で結構! ボーカロイドみたいな劣った音楽聞いてる芸術の分からない低俗な連中と一緒にされるくらいなら————」
「——だからたった一日ボカロ聞いたくらいで全部分かったのかよ変態」
——朱翼は急にその雰囲気を一変させる。
物凄く暗く低いトーン。俯き真っ黒な言葉を淡々と紡いだ。
「……あ、ああ当然だ。あの程度の薄っぺらくて深みも芸術性も無い音楽————」
「————黙れッ!!」
朱翼は————叫んだ。耳を槍で突き刺すような恐ろしい声で。
ガチガチに固まった朱翼の体は力んでいて、震えていた。
顔を上げようとしないのは恐らくその酷い表情を人に見せたくないのかもしれない。
「芸術性……音楽性……クラシックの焼き回し………………!!」
トーンがクレッシェンドする。
「お前までアイツみたいなこと言うなよ————………………」
そして今度は……擦れ次第にデクレッシェンド。
「ボカロの事、…………何も知らない癖に…………!!」
感情が高ぶる。体中が震える。
そして………………
「何でボカロの良さに目を向けようとしないんだよこの変態——————————ッ!!」
金切り声の様に、そう叫んだ。
今にも崩れそうな表情。目に溜まった涙。頬を伝う雫はきっと熱いのだろう。顔はいつも以上に真っ赤。
そんな朱翼の目が語るのは——悔しさだった。
「…………今日の部活はおしまい———————…… 私、もう帰るから」
朱翼は足下に置いた鞄を手に、俯いては足早に部室を去った。
カップの中にほんの少し残ったアールグレイを、彼女は飲み干す事をしなかった。