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-九尾に至る最短の方法は強き力を己の物にすることである-
「迷った・・・」
少年-八坂康太は山道の中程でそう呟くと大きく息を吐き、自転車のペダルから右足を下ろして休憩を取った。
「入る道一本間違えたかな」
額に浮かんだ汗を拭うと、自転車カゴに入れてあるリュックからスポーツドリンクを取り出す。日光が周囲の鬱蒼とした木々に遮られ、アスファルトの発する熱は山道の入り口に比べ幾分か弱く感じたが、それでもけたたましく鳴く蝉とカンカン照りの太陽が涼しい東北の地にも遅めの夏の到来知らせていた。
「道を戻れば・・・・あぁ・・・でも暑いし・・・もういいや」
一度道を戻り再度目的地を目指すことを考えた康太であったが、息苦しい湿気と暑さにすっかり心が折れてしまったのかドリンクを口に含むと気持ちを切り替えるようにわざとらしく喉を鳴らして嚥下した。
康太は自分の頭の中で予定を組み直す。このまま山を登りきり、入った道とは反対側から山を下る。そして途中の展望台で、住宅街とは反対方向にある、夏らしい青々とした田園風景を眺めて今日の目的は達成した事にするのを決定した。
「それじゃあ行きますか」
そう言ってタオルで汗を拭うと、康太は視線を進行方向に移す。地に下ろしていた右足をペダルに戻し自転車を漕ぎ出そうとするその刹那、彼の視界に見慣れぬものが飛び込んできた。
それは一匹の狐であった。狐を山で見かけること自体は一般的には別段珍しいことではない。しかし少なくとも康太がこの山で狐を見ることは初めてであり、何よりその狐は彼の知っている狐とは違う点が二つほど見受けられた。
一つ目は、夏であるにもかかわらず汚れ一つないまるで新雪のような白銀のつやつやとした体色。そして二つ目はその白銀の体の後部にある尻尾の数であった。
「狐・・・だよな?」
康太の声に応えるように視線の先の狐は鳴く。その鳴き声は警戒の色合いはなく、むしろ親しみを覚えているようにも感じられた。彼の視線の真正面に鎮座していたその不思議な狐は、体を起こすと八本ある尾を振りながら堂々とした仕草で歩み寄る。
「随分人に慣れてるなあ。でも俺は何もあげられないぞ?」
狐に言い聞かせるように康太は言う。そんな言葉に意に介さないと言った様子で狐は康太の足元まで近寄ると自転車の後部まで回りこみ、チェーンカバーに前足をかけて体を持ち上げてその勢いで荷台へとよどみなく登った。
「そこじゃ危ないぞ。ほら」
暑さで注意することすら億劫なのか、それ以上強く言うことも追い払いことも諦めて康太はリュックを背負うと、カゴにひんやりとした触り心地の狐を収めて改めて自転車を漕ぎだした。坂を登るために体を前に傾けてペダルを一漕ぎするたびに、口からは後悔とも愚痴とも取れる言葉がでた。
「やっちゃったよ・・・ノミとりシャンプーに予防注射に足ふきマットにトイレに餌に・・・小遣い足りないよ絶対・・・」
早くも後悔混じりで呟き続ける康太とは対照的に、カゴの中にいる不思議な狐は楽しそうに体を揺らして鳴くのであった。