ホウレンソウは、大事です
手慰み、第数弾でございます。
ぼんやりとしている間に、一週間はすぐに過ぎてしまいます。
ぼんやりと投稿しておりますが、楽しんでいただければ、幸いでございます。
久しぶりに街に出た少女は、一人後悔していた。
一年前に亡くなった母親の代わりに、家内の仕事を管理していた日々に疲れ、こっそりと家を飛び出してしまったから、誰も付き人は連れていない。
帰らないつもりで、抜け出したわけではなかった。
ただ、少しの間だけでも、子供らしく外で遊びたかった。
なのに今、少女は店の間の路地に引きづり込まれ、そのまま何処かに連れ去られようとしていた。
この辺りは王都のど真ん中だが、一歩路地に入ると治安の悪い場所に出る、どの国にもありきたりな街で、一見して裕福そうに見える服装で歩いていたら、子供でなくても危ないから、少女は平民のなりで歩き回っていたのだが、それでは足りなかったらしい。
必死で藻掻き、大声を上げようとしたが、それより早く大きな手が少女の口を塞ぎ、そのまま抱え込まれた小さな体は、成すすべもなく連れ去られていた。
こうなってしまっては、後の末路は決まったようなものだと、半ばあきらめた少女の耳に、おっとりとした声がかかった。
「あのう……つかぬことをお訊きいたしますが、よろしいですか?」
切羽詰まった空気を完全に無視した、女の声だ。
空耳かと思ったが、少女を抱え込んだ者が立ち止まったことで、現実だと気づく。
気づいたが、これ以上現状が良くなるとも思えず、大人しくなった少女を抱えた人物は、突如現れた女を見下ろしているようだった。
「な、何だっ?」
「この地図に書かれた場所に、行きたいのですが……」
おっとりと言った女に、男らしき人物は鼻で笑って答えた。
「そういうのは、大通りで頼め。オレは、忙しい」
抱えている少女の事は、見て見ぬふりをしていると思っているのだろう。
少女もそう思って、諦めて力を抜いていたのだが、女ははっきりと続けた。
「そちらのお嬢さんに、道案内をお願いしたいのです」
「は? 何言ってんだ?」
突拍子のない言葉に、男は更に笑った。
「お前、今の状況が、見えてないのか?」
それに応える女は、不思議そうに言う。
「見えていますよ。あなたよりは」
そして、おもむろに足を前に踏み出す。
唐突に、少女が男の腕から離れ、女の腕の中にいた。
「っ?」
目を剥いて取り返そうとする男に、女は言った。
「あなたは、見えていないのですか? それ?」
「……ん?」
念を押すように問われ、男は背後を見た。
どうも女が自分をというより、その背後を見ているように感じたためだ。
怪訝な顔が、その瞬間驚愕した。
背中から、炎が吹き出ている。
「わあっっ」
「……服が燃えているのに、どうしてそんなに余裕があるのかと、不思議でしたわ」
おっとりと笑いながら言った女は、そのまま踵を返した。
「まっ……」
それに気づいた男が追いすがる頃には、服を焼いていた炎は消えている。
だが、追いつかれる前に表通りに出た女は、素っ頓狂な声を上げた。
「きゃーっっ。変態っっ」
言いながら駆け出す女を、男は慌てて追いかけたのだが……。
表通りを歩いていた街の女が、次々と悲鳴を上げた。
それに気づいた平民の男が数名、人さらいの男に飛び掛かる。。
騒ぎを聞きつけた騎士たちは、暴れる男と平民たちを見て、すぐにどちらを捕らえるべきか気づいた。
「こらっ、素っ裸で暴れまわるなっっ」
人さらいだった男が、ただの露出狂として捕らえられた瞬間だった。
少女を抱えたまま逃げた女は、少女より少しだけ大きいくらいの、大人の女性にしては小柄な女だった。
儚い印象の、黒髪の少女じみた女だ。
息も乱さず安全な場所まで走り、人通りのある場所で少女を降ろし、女はおっとりと笑いかけた。
「乱暴な連れ出し方をして、御免なさい」
「いいえ……助かりました。有難うございます」
足が震えて、座り込みそうになりながらも、少女は丁寧にお礼を言う。
一世一代の危機から、ひょんなことから助け出されてしまったため、まだ感情が追い付いていなかった。
そんな少女を見つめながら、女はおっとりと首を振る。
「私も、あなたに用があったので、お礼には及びません。言いましたでしょう? この地図のこの場所に、案内していただきたいのです」
言いながら差し出されたそれは、上等な白い紙だった。
その紙に、大雑把な地図が書かれている。
「この地図の、このお店に行きたくて家を出たのですけれど、元々、家がどこに位置するのかも分からなくて……」
「?!」
「本当は、弟か母上に同行を頼みたかったのに、留守だったんです。でも、約束の日時が本日で。仕方なく、行き当たりばったりで向かう事にしたんですけど、裏通りに入ってしまって、困っていたのです」
「そ、そうですか」
恐ろしく無謀な女に、引きつった笑顔で頷いた少女は、差し出された地図を見た。
幸い、見慣れた店名が目印とともに記載してあり、直に目的地も知れた。
「……反対方向ですね。こちらの方です」
少女は言い、先に立って女を導き出した。
そこは、王都のど真ん中にある、こじんまりとした店だった。
領地に戻る時や、所用で馬車に乗って通り過ぎることはあったが、少女も初めてそこに足を踏み入れる。
休店日の札のかかった扉を開けると、そこで待っていたらしい男が立ち上がった。
女と同じ黒髪の、小柄な男だ。
近づいた男は、整った顔に意外そうな色を浮かべ、言う。
「お一人ですか? 弟さんか、母上と来るとばかり……」
「二人とも、留守にしていたの」
「それなら、連絡してくださいよ。迎えに行ったのに」
「約束の時間に、間に合わないと思って、焦ってしまったの」
言い訳した女が、傍に立つ少女を見下ろした。
「この子が、送ってくれたの。お礼をお願いできる?」
店内にある品が、どれも見たことがないものばかりで、ついつい目が泳いでいた少女は、女の言葉で思わず顔を上げた。
その目を、男の紺色の瞳が見下ろす。
優しく微笑んで、男が頷いた。
「よろしければ、店内を見て行ってください。気に入ったものがあったら、お礼に差し上げます」
「えっ。いいえっ。そんなっ。私も、この方に助けていただいたのでっ」
慌てた少女の言葉で、男の目が細くなった。
隣に立つ女に視線を移すと、女はそっと視線を逸らす。
「……まさか、何かやらかしてきました? もしやさっきの、変態捕縛の騒動、あなたが関わってます?」
「……どうして、ピンポイントで当てて来るんですか。というか、情報が早すぎます」
可愛らしく頬を膨らませる女に、男は呆れた顔をしつつも首を振り、表情を改めた。
「まあ、いいです。侯爵家に斡旋した家庭教師、もう来てますから、奥へ行っておいてください」
女を奥の部屋に送り出した男は、そのままカウンター席の向こう側に声をかけた。
「起きてください。お客さんです」
すると、何かがカウンター席の方から飛び出してきた。
カウンターに飛び乗ったそれは、長々と伸びをして姿勢を正して腰を落とす。
黄色い毛並みの、大きめの猫だ。
その後ろから、小さな手がテーブルのふちを掴んだ。
次いで、よいしょと小さく声を上げながら、薄色の金髪が頭を出す。
苦労して椅子によじ登って座ったのは、少女よりも小さな子供だった。
起こされるまで、眠っていたらしい子供は、扉の前で立ち尽くしている少女に、ぼんやりと笑って見せた。
「いらっしゃいませ。どうぞ、お好きなだけ見て回ってください」
「……」
その笑顔をまともに受け、男と女の会話で引っかかった言葉が、頭から一気に吹っ飛んでしまった。
それどころか、先の色んな出来事も吹き飛んだ少女が、声もなく子供を凝視する様を見て、男が溜息を吐く。
カウンターの上の猫も、同じように溜息を吐いているように見えたが、きっと気のせいだ。
何か言いたそうな猫の代わりに、男が子供の頭を軽く叩きながら、言う。
「その子は、家庭教師斡旋担当を、無事にここに送り届けてくれた、恩人です」
「うん、聞いてた」
「……ならば、あとは、お願いします」
しっかりと了承した子供から、黄色い猫に視線を落とし、男は何かを合図すると、女が向かった応接室の方へと向かう。
その背を眠そうに見ながら、再び子供は少女に言う。
「気になる物がありましたら、申しつけください。質問も受け付けております」
十歳に満たないように見えるのに、しっかりとした丁寧語だ。
しかも、先程の柔らかさは失せた平坦そのものの声で、少女は一気に我に返った。
先の会話を反芻し、奥へ消えようとしている男の背に、声を投げた。
「その人、偽物ですっ」
「……?」
意味不明な発言だ。
だが、男の足を止めるには十分だった。
無言で振り返った男に、少女は必死で訴える。
「あなたがおっしゃった、侯爵家とは、この国の、ですよね?」
「あ、はい。そうですが……?」
「我が国には現在、侯爵位を持つ家は、一つだけです」
目を瞬いた男は、それでも頷いた。
「はい。存じ上げております」
「その家に、家庭教師など、おりませんっ」
カウンター席の子供と、男の目が、まん丸になった。
「それは、可笑しいですね。何故、あなたがそんなことを……?」
しれっと尋ねる男に、子供と猫が呆れ顔になっているが、少女は気づかずに詰まった。
が、意を決して自己紹介した。
優雅に一礼しながら、名乗る。
「ご挨拶が遅れました。わたくし、侯爵家の長女の……」
あっさりと名乗ったご令嬢に驚き、男は素直に呟いた。
「うわあ。初体験だ。あの逸話が事実だったなんて。異世界に出張してみるもんだな」
そんな男を白い目で一瞥する猫と、何のことだと眉を寄せる子供に構わず、丁寧に返す。
「このような店に、その御身分の方がいらっしゃることの方が、私としては信ぴょう性がないのですが」
その通りだ。
令嬢は、お忍びで町を探索していた上に、今回は偶然、この店に立ち寄ることになったのだが、それを説明する余裕はなかった。
犯罪の匂いに焦ってしまい、つい反論した。
「っ。それはっ。侯爵家を名乗る者の家に、ろくに調べもせずに教師を派遣しているような場所の方が、信ぴょう性がありませんっっ」
「……中々、痛いところをつく」
「いや、感心しないでくださいまし。一応、どの国でも貴族や他の者の身分は、調査済みです」
つい、感心して呟いた男の背後から、先程奥に向かった女が言った。
その顔は困惑している。
「この国の侯爵様の御家族の名は、今お嬢さんが名乗った通りですし、こちらもその侯爵様の依頼で、信用できる家庭教師を斡旋しました」
困惑しつつも言い切る女に、令嬢は激しく首を振った。
「家庭教師がつくとしたら、わたくしか、父の再婚相手の子供か、どちらかだと思いますが、わたくしの兄となった方は、王都の学園に入学してすぐに、寮に入ってしまいましたし、わたくしは一度も、家庭教師を名乗る方とは、顔を合わせておりません」
「そう、なのですか?」
困惑したままの女の前で、男がつい納得した顔で頷いた。
「少々、お待ちください」
言って女の横を抜け、奥へと向かう。
それを見送りながら、カウンター席の子供が令嬢に話しかけた。
「その、お父上の再婚相手という方とは、流石に顔合わせ済み、ですよね?」
「勿論です。確か、男爵家出身の、御婦人です」
「お父上からは、再婚相手と、紹介がありましたか?」
「……え?」
平坦に問われて、令嬢は記憶を辿った。
今から半年前に、侯爵夫人だった母親が急死した。
元々、その数年前から病を得てしまい、長くはないと医師から宣告されていたそうだ。
幸い、その頃から令嬢も、家内や領地の事を教育され始めており、母親の葬儀後に抵抗なく夫人代理として切り盛りすることが出来ていたのだが、それから僅か三か月後に、父親が一人の女性を屋敷に連れてきたのだ。
女性は、栗色の髪で栗色の瞳の、貴族としては地味な容姿の公爵家親子とは違い、桃色がかった金髪の美しい人だった。
同じような色合いの、令嬢よりも二つ年上の少年を連れたその女性を、侯爵である父親は真面目に紹介した。
「この女性に、淑女としてのマナーを、学びなさい」
客の少女の目が、大きく泳ぐのを見て、女があら、と目を見開いた。
もしかしてと問いかける前に、新たな人物が声を上げる。
「っ、お嬢様っ? どうしてこんな、いかがわしい場所にっ?」
素っ頓狂な声を上げたのは、男が連れてきた女だ。
桃色がかった髪を、乱れぬようにしっかりと後ろでお団子にしてまとめ、眼鏡までかけているが、地味なドレスの下からも、その豊満な体が分かるほど、魅力的なご婦人だ。
「……おい、いかがわしいとは? ただの、駄菓子や擬きの店の事を、いかがわしいと言ってるのか?」
思いもよらない人物を見て、唖然とする令嬢の前で、男が不機嫌そうな声を出して見せると、婦人はきっと睨むように男を見て返す。
「高貴な貴族の御令嬢が、気楽に入るような店では、ございませんっ。大体、お菓子だけを扱っているわけでは、ございませんでしょうっ?」
「まあ確かに、聞いたところによると、いかがわしい薬も、取り扱っているようだが……さすがに、こんな幼いご令嬢には、お勧めしないだろう」
「……」
軽く言い切って、男が店員たちを一瞥すると、猫と子供が同時に目を逸らした。
「……」
無言で目を細める男を見ないようにして、子供が言った。
「どうも、話の行き違いがあるようです。詳しい答え合わせは、奥でどうぞ」
それは、完全に話をそらすための提案だったが、男は胡乱な目を向けつつも頷いた。
男がこちらにいる時間は、限られている上に、面談のために集まった女二人も、長く家を空けることが出来ない。
早急に、話の擦り合わせをする必要が出来た。
家庭教師として侯爵家に入ったご婦人は、元々、ある男爵家の令嬢だった。
寄り親の公爵家の紹介で、この斡旋商会に登録し、住み込みでの雇用を得た。
「わたくしは、屋敷内の使用人用の部屋で、家族で住まわせていただいております」
そうするまでが、波乱だった。
何せ、地味な装いをしていても目立つ女性だ。
学園に通っていた頃は、寄り親の御令嬢兄妹やその婚約者、その他の事情を知る教師方のお陰で、卒業するまで無事だったのだが、卒業後に平民となった頃から、就職先で問題を起こし始めた。
婦人本人が問題なのではない。
大概が、通いで働き始めた夫人に懸想し、口説き始める妻子持ちの雇い主の問題だ。
やんわりと断っているのに、いや、断られたがために、ないことないこと触れ回られ、修羅場を引き起こされてしまう事が、何度も起こってしまい、夫人はすっかり打ちひしがれていた。
「……わたくし、幼い頃にかどわかされそうになった事がありますの。そのせいで、特に見知らぬ殿方には、恐怖しか湧きません」
なのに、色目を使っただの、その誘うような装いが云々という言い訳で、口説く男たちよりも悪者にされてしまう。
「それならばいっそ、この容姿を使って、いいように男を転がそうかと、思い詰めていた時に、今回のお話をいただいたのです」
突然、話の流れがこちらに向き、令嬢が目を見開く。
店の奥の応接室に通された令嬢は、実は家庭教師だった夫人の横のソファに腰を下ろし、話を聞いていた。
「侯爵様は、ご夫人が逝去成された後、とても悲しんでおりましたが、同時に、ご息女の心情を心配しておられました」
元々、この侯爵家は、先代の時は伯爵位の家柄だった。
自分たちが子息令嬢であった頃、学園内で様々な問題が起き、国が動いたことで、侯爵位の貴族が軒並み、降格する事態となったため、この伯爵家が昇格することになった。
そのため、その爵位目当てに、まだ働き盛りの侯爵に、再婚の話が舞い込み始めたら、令嬢の立場も揺らいでしまう。
「侯爵様は、ご夫人を昔から慈しんでおられましたから、再婚の意思はないのですが、まだ幼いお嬢様を盾に取られてしまっては、断れなくなると不安に思われておりました」
「だから、あなたが家庭教師か後妻か分からない曖昧な説明で、家に入ったのですか?」
令嬢の真面目な問いだが、無理があると令嬢自身も思っていた。
これは単に、自分の思い過ごしだったと気づいている。
何故、そんな勘違いをしたのか、考える時間が欲しいが、今は別な問題があると、この面談に押し込まれてしまった。
苦しい問いかけに、夫人は困ったように首を振った。
「何がどうして、後妻と間違われたのか、分からないのですが……わたくしは、寡婦ではございません」
家族で、住み込んでいると、夫人は言った。
「旦那が、臨時の執事として、わたくしと共に住み込んでおります」
侯爵の考えは、こうだった。
「侯爵殿が本商会を利用しようと思い立った理由は、使用人としての雇用ではあるが、暫くは夫人が行っていた業務を、侯爵殿本人の代わりに行ってくれる人材を、探していたためです」
執事とメイド長は元から侯爵家の使用人だが、内政を行っていたのは夫人で、その夫人も先代から教育されて侯爵を補佐していた。
「夫人から、お嬢様が様々な教育を受けていたのは、ご存じではありましたから、淑女の教育をしてもらう前に、代理として雇った使用人に夫人の業務を引き継いでもらうのだと、そうおっしゃっていたのですが……」
使用人の夫人の事情を知り、令嬢が何やら考えているのを見ながら、男は本日の面談の本題に入った。
「とりあえず一年だけ、夫人は家庭教師としてご令嬢に教育を施す、という契約なのですが、それがなされないと、当のご夫人から相談を受けました」
連名でその旦那も、相談を持ってきた。
「一通り、執事の仕事も教えられたが、一向にお嬢様の引継ぎに行く段階にならないと。どうやら、御邸の執事殿から、それとなく妨害されているようです」
「理由は恐らく、お嬢様がおっしゃられた、全く無名な商会の斡旋だから、だとは思うのですが……誓って、信用のない商会ではないと、ここで断言しておきますね」
家庭教師の斡旋を担当しているという女が、証明書らしきものを持ってきて、令嬢にも見せた。
そこには見慣れた印と、厳かなサイン入りの証明書がある。
その印を見て、令嬢は震えあがった。
「っ。国王陛下直々に、許可をくださっているのですかっ?」
「そうでなければ、こんな怪しい商会が、大きな顔で高位の貴族宅に、使用人を斡旋しませんよ」
問題は、これが世間に浸透していないがために、使用人たちに疑いの目を向けられることが多いことだ。
「それも、雇用主の方が、しっかりとした説明をしてくだされば、解決する話なのですが……」
「も、申し訳、ございません」
恐縮してしまった令嬢に、女が慌てて言った。
「あなたではなく、侯爵様の言葉が、少なすぎるのですわ。その辺りは、しっかりと苦情を申し立てた上で、今後の話をしていく所存ですので、安心してください」
男も微笑みながら頷く。
その微笑みが、妙に迫力を帯びた気がして、令嬢の体は竦んだ。
「お嬢様が、少しでも年相応の行動をとれるよう、侯爵殿には進言いたします。それで解決しなかったときは……まあ、奥の手を使う事になるでしょうが、そこまではしなくても大丈夫だと思いますので、ご安心を」
念押しのような太鼓判に、令嬢はただ頷くしかできなかった。
家庭教師と令嬢が連れたって店を出、男が女を家まで送って戻ってくると、赤い魔女が戻ってきていた。
「あらあら、ご苦労様だね。まだ、例の元騎士の雇用問題、解決してなかったのかい?」
「それは、直に解決しましたよ」
男は軽く答えた。
そう、男が今回こちらに来たのは、先日この王都に出荷した、元騎士たちの雇用契約に、雇用者が苦情を申し立ててきたことが、原因だった。
お陰で、ようやく地球の方の仕事に復帰していたのに、再びこちらに呼び戻される羽目になり、少々不快な思いをしていた。
「雇用人の病を説明して、一年契約で雇用者と雇用人両者の同意のもとで、継続か否かを決める、という契約内容を納得させました」
若干、ごり押しした感はあったが、それは許してほしいと男は思う。
あんな性癖の騎士を、介護要員として仕込む作業は、思いのほかきつかったのだ。
危うく、加虐趣味が開花するところだった。
というか、加虐する勢いで彼らと接していたせいで、彼らには妙に慕われ、出荷した後も随分と縋られた。
放置だと言い訳して、その場は逃げたのだが。
そして、そっちの問題が片付いて、さあ地元に帰ろうと店に戻ったら、別件の相談が舞い込んだとやらで、会長に頭を下げられてしまい、侯爵家の家庭教師の件に巻き込まれた。
「それも、解決します、これから」
仕事帰りの侯爵を、国王に言づけて呼び出してもらった。
男がそう言うと、魔女は呆れたように暗い赤色の瞳を揺らした。
「最大限のコネを使うねえ、お前は」
「これ以上、異世界を駆け回りたく、ないんで」
令嬢にも使用人一同にも、侯爵は説明を怠った。
それが原因で、雇用された夫妻も、令嬢も心身的に追い詰められてしまったのだ。
あの後、令嬢も言っていた。
使用人たちは、自分に同情しているようだったと。
家庭教師である夫人が、実は侯爵の愛人で、今回乗り込んできたのではという疑いを、令嬢にそれとなく仄めかしてしまった。
傍にいた旦那は、元々子爵家の次男で、今は平民だが優秀だった。
長男の予備だった彼は、子爵家の領地を管理する能力を身に着けているところを買われて、夫人とともに雇用されたのだが、空気のように扱われてしまっていた。
「執事は、年配になった自分の継続とみなして、自分お仕事を教えてしまっていたようですし、本当に、侯爵という爵位に見合わぬ、統率ですよね」
その辺りも、チクチクといじめてやろうと、男は思っている。
悪い笑顔を浮かべるさまを、店の留守番をしていた子供と黄色い猫が、ただ無言で見やっていた。
ドアマットヒロインなる物を、どうにかしようと考えて、失敗いたしました。
原因は、長々と起承部分を書きすぎたせいです。
転結部分が、完全に雑に流れました。
反省いたしております。




