第十話 毛利軍本隊―進軍開始。④
赤松家本陣前―。
隆景の眼光が鋭く光る。
「……たとえ官兵衛が策を弄していようが、この兵力差であれば対応できる。」
その声は冷静で揺るぎなく、兵たちの鼓動を鼓舞する。
「攻撃開始じゃ! すすめぇ!」
「オオーッ!」
鬨の声が大地を震わせ、毛利軍本隊が一斉に前進する。土煙が舞い上がり、地響きが本陣を包み込む。
桜はその圧倒的な波をただ見据え、動じることなく額を細剣の鍔にそっと押し当てた。
瞼を閉じると、外側の喧騒が遠ざかってゆく。
鼓膜に届くはずの音が、いつしか自分の胸の音だけになり、そこにかすかな光景が浮かび上がった。
仲間たちの顔が、ぽつりぽつりと綻びる記憶のように映る。ふざけて笑いあった日。互いに手を取り合って戻った城門前の風景。
畳の上で小さく咲く領民たちの日常――鍋を囲む母の視線、通りで遊ぶ子供たちの声、商いをする店主の穏やかな笑顔。
守るべきものたちの暮らしが、桜の胸に暖かく広がる。
(みんなを信じて戦えば、きっと最後は笑って城へ帰れる――なんだか、そんな気がする)
その静寂は彼女の内側で確信へと変わる。こぼれそうな不安を押し留めるように、胸の奥から冷静さと熱が同時に湧き上がった。
まるで神経が一本一本研ぎ澄まされるように、頭の中が澄み渡り、視界は一点に収束していく。
(だから――今は私が、ここを守る!)
決意の灯が瞳の奥で光ると、桜の身体に力が満ちる。額に当てていた細剣を離し、鋭く息を吐いて地を蹴った。
蹴り出した足先から伝う衝撃が、そのまま彼女の存在を本陣の中心へと押し上げる。
細剣をしっかりと構えたその姿は、まるで風を切る旗のように鮮烈だった。
赤松兵たちの視線が一斉に桜へ注がれ、不安な表情がひとつ、またひとつと消えていく。
胸中に火が灯り、各々の肩に新たな力が宿る。
「桜様へ続けーッ!」
「桜様を死なせるなッ!」
オオオオオッ!!
地を揺るがすような雄叫びが轟き、千人の赤松兵が本陣から怒涛のごとく飛び出した。
毛利軍の前線が一瞬でざわめきに包まれる。
「な、なに!? 砦に籠城するんじゃないのか!」
「こいつら、打って出てきよったぞ!」
兵力差から籠城を予想していた毛利軍は、不意を突かれ混乱に陥る。
桜は突進の先頭で、迫る刃を次々とはじき返す。
カンッ! キイィンッ!
金属がぶつかり火花が散るたび、腕に衝撃が響く。
「はあぁーッ!」
ブシュッ!
鋭い突きが毛利兵の胸を貫き、その男が呻き声をあげて倒れる。
「う、ぐ……!」
重く湿った血の匂いが鼻を刺し、桜の呼吸が荒くなる。
訓練を積んできたとはいえ、戦場の張り詰めた空気と殺気が体力を容赦なく削る。
「敵の総大将だ! 囲め、囲めぇ!」
「桜様を守れええ!」
周囲で刀と槍が交錯し、肉を裂く音と怒号が入り乱れる。
桜のまわりは、まるで渦を巻く嵐の中心のように、激しい戦いが続いていた。
山陰地方―。
「覚悟せよ。」
元春の刀が高く振り上げられる。そして、斬撃の軌道が描かれようとしたその瞬間――
「ふぬううー!!」
割って入ったのは、友信の声だった。
雷のような叫びとともに、手に握られた大槍が、鋭く振り下ろされた元春の刀を受け止めた。
激しい火花が散る。
「だああー!!」
ほぼ同時に又兵衛が戦場を駆け、槍を振るって元春へ突撃する。
その一撃は風を巻き込み、真正面から突き刺すように放たれた。
だが、元春は身をひねり、その鋭い攻撃を寸前でかわす。
ほんの僅かな身体の捻りで、死地を避けるその動きには、百戦錬磨の技量があった。
「姉御、無事だか!」
戦いの最中、友信が善助に声をかける。その眼には焦りと安堵が入り混じっていた。
「……ああ、すまない、お前たち。」
善助は続く頭痛とめまいに苦悶の表情を浮かべながらも、それでも必死に立ち上がろうとする。
友の到来に支えられ、気力がわずかに蘇る。
又兵衛が肩越しに声を投げかけた。
「急に味方の中央が切り崩されたから、飛んできたぜ。まさか敵の大将が突っ込んできてるとはな。」
(……私が不甲斐ないばかりに、二人を中央へと呼び寄せてしまった。早く元春を討ち取らねば、味方の陣形が持たない。)
善助は心の中で唇を噛みしめる。そして、一歩前へと踏み出した。
「……行こう!」
その声に、すぐさま友信が呼応する。
「こっからは、おらたちも相手だ!!」
今度は三人。力を合わせ、再び元春へと向かっていく。
供の者より差し出された予備の槍を受け取り、元春も再び構えなおす。
戦場に、再び火花が散った。




