第十話 毛利軍本隊―進軍開始。③
姫路城内―。
毛利軍の勝利を確信し、反乱軍はすっかり気を緩め、城内の広場では豪快な酒盛りが繰り広げられていた。
幾つもの酒樽が並べられ、杯を交わしながら高笑いが響き渡る。
そこかしこに酔い潰れた兵が転がり、食い散らかされた膳が無造作に積まれている。
反乱軍の将の一人が酒杯を高く掲げ、赤ら顔で大声を上げた。
「まったく、先代の優柔不断な当主に続き、現当主もお優しいだけでまぁたよんねえこと! こんなんで毛利に攻められちゃ、ひとたまりもねえ。どうせ裏切るんなら、早いに越したことはないってもんよ!」
隣に座っていたもう一人の将も、豪快に酒をあおって顔をしかめる。
「まったくだ! 挙句、留守を任せた政秀殿に裏切られたんじゃあ、目も当てられねえな!」
二人の笑い声に呼応するように、酔いどれた兵たちがげらげらと笑い声を上げ、杯を打ち鳴らした。
そのどんちゃん騒ぎが、まるで自分たちの勝利を祝う宴のように続いていた。
しかし、その光景を冷ややかな目で見下ろす影があった。
城壁の上から、冷徹な視線で騒ぐ反乱軍を見据え、静かに息を吐いた。
彼の背後には、影に紛れた兵たちが息を潜めて待機している。
(……殿に不忠を働く不届き者ども……この政秀が許さん)
彼はそう心の中で呟くと、一瞬のためらいもなく手を振り下ろした。
「かかれえ!」
号令と同時に、潜んでいた兵たち五百人が一斉に駆け出した。
暗がりから飛び出した刃が、酒宴に興じる一千の反乱軍へ襲いかかる。
突如の奇襲に、酔った兵たちは呆然とした。
乱れた髪のまま、手元の杯を落とし、驚きに目を見開く者が続出する。
ようやく状況を把握した反乱軍の将の一人が、顔を引きつらせながら叫んだ。
「おのれ政秀! 計りよったな! ものども、応戦せよ!」
だが、酒に溺れた兵たちは満足に身動きが取れず、まともに刀を構えることすらできない。
足元がおぼつかず、酔った勢いで斬りかかる者もいたが、政秀の兵たちの鋭い動きには到底かなわなかった。
次々と討ち取られていく反乱軍の兵士たち。
広場には斬撃の音と断末魔の叫びがこだました。
反乱軍の将の一人は血まみれの仲間たちを見て、奥歯を噛みしめると、逃げるように後退した。
「く……撤退だ! ひけい!」
命令が下るや否や、生き残った反乱軍の兵たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
足をもつれさせながら、城の裏手へ、ある者は門を目指し、ある者は城壁をよじ登ろうとする。
彼らの将もまた、混乱の中で馬を駆り、毛利領へと落ち延びていった。
酒宴の場だった広間は、今や血の匂いと鉄の音が漂う静寂の地へと変わっていた。
政秀はその場に立ち尽くし、冷たい瞳で戦の終わりを見届ける。
と、その時――土煙の向こうから、馬にまたがった一人の男が駆けてくる。
赤松家の軍師、黒田官兵衛であった。
乱れた髪を片手で押さえながら、姫路城へと到着する。
「……終わったようですな。」
短く告げる官兵衛の声は落ち着いていたが、その眼光にはまだ戦場の熱が宿っている。
「ふん、おぬしの言った通りよ。反乱軍ども、城に入るや否や油断しきっておった。成敗するには造作もなかったわ!」
戦の余熱を帯びたまま、政秀は胸を張って笑う。
だがすぐに、眉間の皺が深くなる。
「……それはそうと、本陣はどうなっておる? 殿は?」
「本陣は、毛利軍本隊と交戦中です。今は殿に指揮をとっていただいております。」
「な……っ!? なんじゃと、きさまあ!!」
怒りと焦りが一気に沸き上がり、政秀は官兵衛の胸ぐらを掴み上げた。
鎧と鎧がぶつかる硬い音が響く。
「貴様! 殿を置いてきたというのか! いきなり殿に指揮など……!」
官兵衛は微動だにせず、その視線で政秀の怒りを受け止める。
そして、低くはっきりと言った。
「あそこの指揮は――殿にしか務まりません。私でも、政秀殿でもなく、殿でなければならない。」
「ぐ……ぬ……!?」
官兵衛は掴まれた手を静かに振りほどき、ひとつ息を吐く。
その口元には、わずかに確信めいた笑みが浮かんでいた。
「殿を信じなされ、政秀殿。」
その言葉は静かだが、確かな重みを持っていた。
政秀は言葉を失い、しばし官兵衛を睨みつけるが――胸中に渦巻く不安と信頼が、せめぎ合っていた。




