第九話 それぞれの戦い③
瀬戸内海――。
巨大な海賊船の甲板では、全登に続き乗り込んだ宇喜多兵と海賊たちが、入り乱れて激しい乱戦を繰り広げていた。剣戟の金属音と怒号が入り混じり、足元には割れた樽や転がる縄が散乱している。
潮風が頬を切り、塩の匂いが肺を満たす――その感覚が、ふと遠い日の島を呼び戻した。
甲板に立つ武吉の目には、にわかに若い頃の風景が重なり合う――。
――
——俺の家は、諸大名の領地に挟まれた小さな島の領主だった。平地は少なく、淡い泉が湧く場所も限られている。稲作に適さぬ土地では、領民や家臣を養うだけの穀物はとてもまかなえない。
だから、俺たちは海へ出た。生きるための選択だった。
遠くからやって来る商船には、各地の富が満載されている。魚叉や網では分け与えられぬ財宝が積まれ、護衛の船団の隙を突けば、島の暮らしは一変する。俺たちは敵国の商船やその護衛を狙い、手当たり次第に襲った。そうして、海という荒波の上で身を立てていったのだ―。
――
武吉はにやりと不敵な笑みを浮かべる。
(俺達は生きるために海に出た。付け焼刃の水軍ごときに、俺達は止められねえぜ。)
「ぐわぁっ!」
ブシュゥッ!
海賊たちの鋭い刃の前に、宇喜多兵が呻きながら倒れる。
全登はその様子に視線を向け、唇を噛みしめる。
(全登隊一千に対し村上水軍も約一千……。同数では、海戦慣れした海賊が相手では勝ち目がない。私が一刻も早く大将を討たなければ)
甲板の中央、村上武吉が立ちはだかっていた。
その手には鎖でつながれた大鎌と鉄球――一度振るえば、人の首も胴も容易く断つ、恐るべき武器だ。武吉は鎖を器用に操り、鉄球と大鎌を交互に繰り出しては、遠距離から全登を狙い続ける。
ボウッ!! ビュンッ!!
空気を裂く轟音。鉄球が大気を破裂させる鈍い衝撃音、大鎌の刃が風を切り裂く甲高い唸りが、間断なく交互に響く。
全登は軽やかな足さばきで身をひるがえし、腰を沈めたかと思えば、宙返りで後方へ離脱。髪先をかすめる刃を紙一重で避け続けていた。
武吉が嘲るように声を上げる。
「おらおら、どうしたっ! 避けてばっかりじゃ、俺を倒せねえぜ!」
全登はわずかに息を整えながら、静かに返す。
「ひとつ、忠告しておきます。武吉殿」
「ん?」
「海賊行為を辞めなさい。でないと、いつか天罰が下ります。」
武吉は一瞬きょとんとしたあと、腹の底から笑い出した。
「はっはっは!! 何かと思えば……説教でも始めようってのかい」
全登の瞳は揺らがない。
「これは国盗りの戦のはず。いかに敵国の民といえど、略奪行為などあってはならない。」
武吉は大鎌を肩にがしゃりと担ぎ、口端を歪めた。
「言うことを聞けば、神が飯を食わせてくれるのかい?」
全登は黙したまま、視線を一歩も逸らさない。
「毛利家と宇喜多家の戦の勝敗なんざ関係ねえ。宇喜多領へ到達次第略奪して良いと、隆景よりお墨付きをもらってる。文句なら隆景に言いな。」
――小早川隆景……海賊を味方に引き入れるためとはいえ、卑劣な――
全登の胸中に冷たい怒りが広がる。
「海賊風情が、鎧すら身に着けぬとは舐めよって……弓隊、構え!」
宇喜多家の武将が怒声を上げると、背後に控えていた弓兵たちが一斉に弦を引き絞った。
「針山にしてやるのだ!――撃ていっ!」
ババババッ!
矢の雨が黒雲のごとく武吉に襲いかかる。
「……おい。」
低く地を這うような声。
武吉は眉間に青筋を浮かべ、鎖をぶんぶんとうならせる。
その鎖が荒れ狂う風を切り裂き、飛来する矢を次々とはじき落とした。
カラカラと甲板に転がる無数の矢――。
直後。
ブシューッ!
振り抜かれた大鎌が閃光のごとき軌跡を描き、瞬く間に宇喜多弓兵たちの首筋を切り裂いた。
鮮血が舞い、声にならぬ悲鳴がこだまする。
「な、なっ……!」
狼狽する宇喜多家武将。
だが次の瞬間、ボシュッ!という異様な音が響き、鉄球が彼の口腔を貫通し、後頚部から飛び出した。
武将は言葉を途切れさせたまま、力なく前のめりに崩れ落ちる。
「今、嬢ちゃんと話してんだろうが……」
血煙の中から響く武吉の低い声。
その鋭い眼光が突き刺さると、周囲の宇喜多兵たちは思わず足をすくませ、後ずさる者すら現れる。
肩に大鎌を担ぎ直し、武吉は口元にゆっくりと笑みを浮かべた。
「俺も部下を食わせなきゃなんねえ。嬢ちゃんには悪いが……邪魔するなら、死んでもらうぜ」
甲板を震わせるようなその声に、海と風までもが息をひそめるかのようだった――。
その言葉と同時に、大鎌が地を薙ぎ、全登の足元をかすめた。木板が抉れ、破片が飛び散る。
全登は転がりながら回避するも、甲板に背を打ちつけ、息が一瞬止まる。
(……このまま距離を取っていれば、いずれやられる。距離を詰めなければ!)
全登の胸中に焦りがよぎる。
彼女は盾を投げ捨て、両手で剣を握り直す。その刃先に、決意と殺気が宿った。
次の瞬間、板を軋ませるほどの踏み込みで地を蹴り、一直線に武吉へと突進した。
潮風が裂け、二人の間の距離が一気に詰まる――。
「距離を詰めるつもりか――甘ぇ!」
鎖が唸りをあげて引き寄せられる。引っ張られた大鎌が鋭く空を裂き、全登の背を狙って迫った。
「ふっ!」
全登はとっさに身を沈め、大鎌の刃を紙一重でかわす。そのまま低い姿勢を保ちつつ、武吉の懐へ踏み込み、剣を下から切り上げる。
「ぬう!」
戻ってきた大鎌を受け止めようとする武吉。しかし全登はさらに踏み込み、刃が間合いの奥へと迫る――間に合わない。
「なんのっ!」
武吉は鎖の二か所を両手で掴み、刃を受け止める。
ガキィィンッ!
甲板に響く金属音。
「……俺に苦手な間合いはねぇ!」
武吉はそのまま鎖で全登の剣を絡め取る。
「しまった――」
「はァッ!」
武吉は鎖に捕らえた剣を引き寄せたまま、大鎌を頭上から振り下ろす。
全登は跳び退き、間一髪で回避。だが手にはもう剣がない。
「はっはっはっ! 嬢ちゃん、丸腰じゃねえか……さあ、どうする!」
ドボンッ
嘲笑とともに、奪った全登の剣を無造作に海へと投げ捨てる。
「くっ……」
ブウンッ! ビュンッ!
大鎌が唸りをあげて襲いかかる。全登は必死に身をひねり、刃をかわすが、呼吸は荒く、額に汗が滲む。
そして――
ドンッ。
背中が船縁に当たった。木材の冷たさが、逃げ場のない現実を突きつける。
「……もう逃げ場がないようだな」
その言葉に、全登の首筋を一筋の汗がつうっと伝い落ちる。
握った拳に力を込め、必死に呼吸を整えるが、背後は船縁――退路は完全に断たれていた。
「はァっ!」
武吉が両手を握り合わせ、ぐっと気合を込めた瞬間、指の隙間から水が滲み出すように渦を巻き始めた。
それは次第に勢いを増し、小さな水の渦となって唸りを上げる。
同時に――海賊船を囲む海面が、不気味にうねりだした。
まるで深海から何か巨大なものが目を覚ましたかのように。
「水の念術……蒼鮫顕現!!」
水柱が四方で立ち上がり、その形を変えていく。
現れたのは、鋭い歯をむき出しにした水のサメの群れ――数え切れぬ顎が、獲物を求めてうねり迫る。
ズシュッ! グシャッ! ブシュッ!
回避の余地もなく、全登の身体はその群れに飲み込まれた。
水牙が鎧を切り裂き、金属音とともに亀裂が走る。
潜血が飛び散り、甲板を赤く染めた。
「っ……」
全登の視界が揺らぎ、力が抜ける。
膝ががくりと折れ、その場に力なく座り込んだ。




