第八話 毛利の両川⑥
戦場の空気は張り詰めていた。
宇喜多本陣の中央に立つ宇喜多直家は、鋭い目を細め、前線を見つめている。じりじりとした緊張が肌を刺す中、戦の喧騒が遠くから聞こえてきた。
彼の視線の先では、宇喜多軍本隊と小早川隊がすでに激突していた。槍と槍がぶつかり、剣戟の音が空を裂き、兵たちの怒号と悲鳴が交じり合っている。火薬の煙が風に乗って流れ、時折視界を曇らせていた。
直家は一瞬まぶたを閉じ、次に視線をゆっくりと左手――すなわち南へと移した。視界の先には、きらめく瀬戸内海が広がっている。波間は静かに見えるが、その奥から、黒々とした影がいくつも浮かび上がっていた。
それは――船だった。しかも、ただの船ではない。無数の海賊船が列をなして、沖からこちらへと接近してくる。陽光を浴びて艦首が鈍く光り、潮風に乗って船体が軋む音がわずかに聞こえるほどだ。
直家は苦々しげに呟く。
「毛利配下の海賊か……」
その低い声に応じるかのように、沖合から轟音が押し寄せてくる。波を切り裂き、突き進んでくるのは毛利に従う大海賊――瀬戸内を荒らしまわり、その名を聞いただけで近隣大名が震えあがる村上水軍であった。
鉤爪を備えた無数の船首は、まるで巨大な鮫が牙をむき出したかのよう。宇喜多本隊の横腹を食い破らんと白波を蹴立て、怒涛のごとく迫りくるさまは、見る者に逃げ場なき死の影を思わせる。
その船団の、最も先頭を進む巨大な海賊船。その甲板のさらに先、舳先に立つのは、一際異様な存在感を放つ男。
異様に長身で、まるで猛獣のような鋭い目を持つその男は、ギラギラと煌めく長い銀髪を後ろへ撫でつけ、上半身は裸。日焼けした筋肉質の体には、龍の刺青が肩から腰にかけてうねるように彫られていた。
右手には、大鎌と鉄球がついた鎖を無造作に巻きつけて握っている。
「てめえらッ!! 前方に見えるは宇喜多本隊だァ!」
男が怒号のように叫ぶ。声は波を切って船団全体に響いた。
「やつらを倒しゃあ、あとは略奪しほうだいだ! 気合い入れていけえ!!」
「うおおおおお!!!」
「ひゃっはあああ!!」
荒くれた海賊たちが一斉に吠えるように叫び、櫂を握る手に力を込める。血に飢えた狂気のような歓声が海上を満たしていく。
村上水軍を束ねる男――その名は村上武吉。
大海賊団の棟梁であり、海の修羅とも呼ばれる存在だった。
武吉は歓声を背に受けながら、大きくうなずくと、視線を改めて宇喜多の軍勢へと向けた。
そのときだった。
ふいに、彼の視界がすっと暗くなる。まるで突如、日食でも起きたかのような影が、船の上に差し込んできた。
「……雲か?」
眉をひそめた武吉は、咄嗟に上空を見上げた。しかし、そこにあるのは雲ではなかった。
見下ろしてきたのは、一人の少女――いや、戦士だった。
彼女は西洋騎士のような銀の甲冑を身にまとい、手には輝く剣を構えている。長い純白のスカートが風を受けてたなびき、その姿はまるで天より遣わされた神罰のようだった。
「むうっ!!」
武吉が声を上げると同時に、少女が一直線に彼めがけて落下してきた。
彼は咄嗟に鎖鎌の鎖部分をばっと空に振り上げ、その刃を受け止める。
ギィン――!!
金属と金属がぶつかりあい、火花が舞った。
少女は空中で身体をひねり、そのまま身軽に回転すると、着地の衝撃を見事に受け流しながら、甲板にすっと降り立った。小柄ながらも凛とした立ち姿。その眼差しは鋭く、静かに敵を見据えている。
「不届き者め……略奪など、神が許しませんよ。」
落ち着いた声で、だが厳然とした響きをもって少女が言い放った。
その少女こそ、明石全登。宇喜多家家臣にして、清廉なる騎士。
対する武吉は、大きく口を開けて嗤った。
「へへへ……綺麗な嬢ちゃんが出迎えたぁ。こりゃあ、俺もついてるぜ!」
言いながら、大鎌の付いた鎖をぶんぶんと振り回し始めた。甲板の床板を軋ませながら、荒くれた気配をまとい、全登のほうへゆっくりと構え直す。
瀬戸内の静かな波音とは裏腹に、甲板の上では嵐のような一騎打ちの幕が開けようとしていた――。




