第八話 毛利の両川②
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「当主の座を簒奪した不忠者、赤松義祐に付くとは……官兵衛め……。」
政秀の声には怒りと焦りが滲んでいる。
彼の周囲には兵たちが立ち並び、皆、政秀の言葉を固唾をのんで聞いていた。
「それ! 黒田勢は少数じゃ! いっきに攻めたてい!」
号令とともに軍勢が動き出した。夜の闇を切り裂くように響く掛け声、甲冑がぶつかる音が響く。
刀が閃き、槍が突き出され、無情にも血が飛び散る。
「ぐわあっ……!」
「ぐふうっ……!」
悲鳴が夜風に消えていく。戦場の混乱の中、一人の黒田家臣が血に染まりながらも官兵衛に向かって叫んだ。
「官兵衛様……お逃げくだされ……!」
「ゆるさぬ……ゆるさぬぞ、政秀……」
家臣を取りまとめ、撤退する官兵衛……。彼の目には怒りが燃え上がり、唇を噛み締める。
「……私はこの戦いで家臣の多くを失った。このままおめおめ帰るわけにはいかぬ。」
彼はわずかに残った兵たちを呼び寄せた。彼らの顔は疲労と血にまみれ、それでも主の命に応じて目を光らせた。
「よいか。これより我らは、政秀を討ち取る! この怒り、必ずや晴らすのだ! ついてまいれっ!」
官兵衛の怒号に応じ、小高い山の頂上へ黒田勢が再結集する。月明かりが雲間から差し、兵たちの兜や槍の先が淡く光る。
その眼下に、政秀の軍勢がいた。勝利を確信し、火を囲んで休息をとっていた。
いくつもの焚き火が赤く揺れ、甲冑を脱いでくつろぐ兵たちの声が響いていた。
官兵衛は目を見開き、次の瞬間、右手を振り上げた。
「――かかれぇっ!!」
黒田軍が一斉に動いた。草を踏みしめ、夜風に乗って斜面を駆け下りる。
「なにっ!? 奇襲だと!? 黒田勢にまだそんな戦力が……」
政秀の軍勢があわてて武器を手に取るが、その動きは鈍い。まさかの逆襲、まさかの夜襲に混乱が広がる。
「守れ! 守れえぇっ!!」
政秀の声が夜空に響き渡る。
――
「……ハッ!」
政秀は目を見開いた。胸が上下し、浅く速い呼吸を繰り返している。しばし何も見えず、ただ暗闇だけが目の前にあった。
気づけば額から首筋にかけて汗がびっしょりと流れ、夜着が肌に張りついている。
虫の音が、現実へと彼を引き戻す。
(夢……だったのか?)
けれども五感に残る感触――鉄の匂い、血の温もり、あの怒号と炎のきらめき。どれもがあまりにも鮮明だった。
(まるで……現実だったかのような……)
政秀はしばらくその場で息を整え、やがて起き上がって袖で額の汗を拭った。静寂の中でただ、胸の鼓動だけがしばらく耳の奥で鳴り続けていた。
翌日、山陰地方―。
「いっきに蹴散らしてくれるわ! かかれい!」
吉川隊の武将達の号令とともに、一斉に吉川隊が前進を開始した。
彼らの足が地を蹴り、硬い地面に無数の足音と振動を刻みつけていく。
重い甲冑を揺らしながら、荒々しく突き進むその様は、まるで押し寄せる波濤のようだった。
「迎え撃て!」
対する善助の鋭い声が、緊張に張り詰めた空気を切り裂いた。
彼女の声音は澄んだ刃のように戦場を貫き、味方の兵たちの背筋を正す。
その指揮のもと、善助隊の兵たちもまた前へと進み出る。彼らの顔には決意が宿り、槍を構える手に力がこもる。
空はどんよりと曇り、風が血の匂いを運ぶ。
戦場を駆ける怒号、刃と刃が打ち合う金属音、甲冑がぶつかる鈍い衝撃音。そして吹き上がる土煙と砂塵が視界を覆っていく。
戦の幕は、音と熱と匂いの渦の中で激しく切って落とされた。
両軍が正面から激突し、激しいぶつかり合いが起こったのを確認すると、善助はすぐさま両脇の二人――友信と又兵衛へと視線を向ける。
その表情には一分の迷いもなかった。
「友信は左翼、又兵衛は右翼より敵陣を突き、敵を分断せよ!」
善助の命令が発せられるや否や、二人の男は即座に動いた。すでに心の準備はできていた。
「うだあーっ!」
友信が豪快に咆哮を上げる。
その巨体を揺らしながら左翼へと突進していく姿は、まるで山を駆け下る猛牛のようだ。
手にした大槍が、陽の光を反射して鈍く輝いている。
「まかせろい!」
又兵衛もまた、力強く応じた。肩に槍を担ぎ、地面を蹴って右翼へと駆けていく。
風を切るような速さでその姿は敵陣へと吸い込まれていく。
吉川隊五千……対して善助隊は三千五百。吉川隊が数で上回る。
この戦線を支えられるかどうかは、両翼の若き猛将たちにかかっていた。




