第八話 毛利の両川①
姫路城内には張り詰めた空気が漂っていた。
政秀と官兵衛の口喧嘩はめずらしいことではない。
だが今回は様子が違っていた。
「……本当にどうしようも無い方ですな、あなたは」官兵衛が低く吐き捨てる。
「それはこちらの台詞じゃ。まさかここまで頭が固いとは思わなんだ」政秀も負けじと睨み返す。
桜は二人の間に立ち尽くし、思わず口をつぐんだ。二人の言葉はいつにも増して鋭く、どちらも一歩も譲る気配がない。
(留守の間に何かあったのかな……)
桜はちらりと官兵衛の方を見るが、その表情は険しく、事情を察することはできなかった。
今朝、毛利軍が山陽地方、山陰地方の2方面より赤松領へ侵攻中との知らせが入った。
毛利家は西国最大の勢力―これまで戦ってきた敵とは比べ物にならないほどの強敵である。それなのに……。
「殿、わしに五百の兵をもって、本拠・姫路城の防衛をお命じくだされ!」
政秀が一歩前に進み、強い口調で言い放つ。
「この者は先祖がよその国の家系、目薬屋の家系ゆえ、姫路城の守りを軽視しておるのです!」
桜は思わず官兵衛の方を見た。官兵衛は静かに目を伏せ、短く言い放つ。
「好きにさせるのがよろしかろうと思います」
桜は少し戸惑ったものの、深く息をつき、政秀に向き直った。
「……わかった。政秀、城のことはよろしくね」
「ハハッ!」政秀は背筋を伸ばして礼をする。
その後、官兵衛は身を正し、すぐに戦況の説明に入った。
彼の声は冷静だったが、言葉一つ一つが重く、集まった者たちの胸にずしりと落ちていく。
「敵の当主は先代が急逝し、その子―毛利輝元に代替わりしております。まだ若輩で戦の経験も乏しく、さしたる脅威ではありません。ですが――問題は、その背後にいる者どもです。」
官兵衛は言葉を区切り、集まる顔ぶれを順に見渡した。灯火に照らされた表情が、真剣さを映し出す。
「まず、当主の叔父にあたる吉川元春。類稀な軍才を持ち、これまで五十もの戦に参戦し……一度たりとも負けていない。さらに個人としての武勇も凄まじく、その腕前は西国一と称される男です。」
官兵衛は又兵衛と友信に視線を向け、続ける。
「決して、決して一騎討ちに持ち込まれてはならん。」
友信が息をのみ、又兵衛が腕を組む。
官兵衛のその言葉に、場内の空気がぎゅっと引き締まる。
「次に、叔母の小早川隆景。彼女は智謀に秀で、策を巡らすことに関しては西国でも随一と称される才女です。毛利家が今日まで勢力を拡大してこれたのは、紛れもなく彼女の知略あってのこと――。」
官兵衛の視線はさらに鋭くなる。猛将と策士、二柱の存在が毛利軍の強さの核を成していることを、皆は改めて思い知る。
「毛利家は軍を二手に分け、山陰より吉川元春隊、山陽より小早川隆景隊がそれぞれ五千の軍勢で進軍してきております。」
その一言に、列をなす者たちの胸中がざわつく。放たれた敵の脅威に息を呑む。
「小早川隊には同盟家の宇喜多家が当たる手筈であります。吉川隊には――善助隊に当たってもらう。」
官兵衛はその言葉で、自然と善助の方へと視線を向けた。善助は静かに目を閉じ、短く、しかし確かな頷きを返す。
その瞳の奥には、炎のような決意が灯っていた。
「……吉川元春。やつを止められるとしたら……お前達しかおらん」
「承知。」
善助の答えは短かったが、全身から覚悟が滲み出ている。
「まかせろい!」
又兵衛がにやりと不敵に笑う。戦を愉しむような気配すらある。
「んだあッ!」
友信も拳を強く握りしめ、重い息を吐いて気合を入れる。
「敵軍師、小早川隆景は天下に轟く策士。必ず何か企んでおる。殿と私は有事に備え、兵1千とともに中部で待機する」
その言葉に、皆の表情がさらに引き締まる。
「明日、出陣いたす。おのおの、準備されよ」
夕暮れに染まる姫路城。その空は、不穏な紅色に染まりつつあった。




