第五話 死者の願い⑤
その夜の宿――女性部屋。
囲炉裏の火はすでに消され、障子の向こうからは虫の声だけが静かに忍び込んでくる。
布団を並べて横になると、外の夜風が板壁を揺らし、かすかな木の軋みが響いた。
「ねえ、善助は好きな人いるの?」
唐突な問いかけに、暗がりの中で善助の肩がぴくりと跳ねた。
その微かな動きを、隣の桜は見逃さない。
「……!? いえ、おりません」
いつも冷静な善助が一瞬声を詰まらせる。
その反応がおかしくて、桜は布団の中でくすりと笑った。
「へえ、そうなんだ。じゃあ、又兵衛は?」
善助は小さく息をつき、暗がりの中でほんの一瞬だけ目を閉じた。
静かに言葉を選ぶように口を開く。
「あの者は胆力があり、戦場では頼りになります。あれでいて、情に厚い所もございます。
しかし……少し助兵衛な上、いささか思慮が浅いゆえ、旦那となると不安が残ります」
助兵衛……思慮が浅い。
ひどい言いようだと感じつつも、妙に的を射ている気もして、桜は笑いを堪えながら布団の中でごろりと寝返りを打った。
畳の上を衣擦れの音がさらりと走り、枕の位置を直す彼女の小さな仕草が夜の静けさを揺らす。
「じゃあ友信は?」
「……あの者も又兵衛同様、戦場では頼りになります。こと武勇においては家中一と言えるでしょう。
温厚に見えますが、ああ見えて気を遣いすぎる面も……。ただ、酒に目がない割にすぐに悪酔いするため、旦那としては苦労するでしょう」
「え、友信って気を遣っちゃうタイプなんだ?」
思わず声をひそめつつも、笑みを含んで問い返す桜。その顔は興味半分、意外さ半分といったところだ。
善助は小さく頷き、静かに続ける。
「酒も……元は人前で緊張を解くために嗜んでいたもの。今は、ただ普通に好きなだけですが」
恋愛話のつもりが、返ってくるのは仲間の人物評ばかり。
まるで2人のことをよく知るお姉さんが語っているみたいで、桜はくすりと笑いを漏らした。
「ふふっ……2人のこと、よく分かってるんだね」
その言葉に、善助はほんの少しだけ口元をほころばせる。
暗がりの中で、彼女の笑みはひどく柔らかく見えた。
「ええ、長い付き合いですからね」
その声音には仲間への揺るぎない信頼がにじみ出ており、夜の静けさの中で桜の胸に心地よく響いた。
「全登ちゃんは?」
「!?」
不意に自分の名を呼ばれた全登は、小さく肩を震わせた。
暗がりに沈んだ部屋の中でも、その困惑ぶりが手に取るように伝わってくる。
「……ご勘弁を、桜殿。このような場で殿方の話など……神がどう思われるか」
声は硬いが、わずかに頬が熱を帯びているのが分かる。桜はそれを見て、くすっと笑いを堪えきれなかった。
「いいじゃん、ちょっとぐらい。じゃあ、宇喜多さんは?」
「……毒殺されるのは御免です」
あまりに即答で返されたその一言に、桜は吹き出しそうになった。
全登の中で主君―宇喜多直家の存在がどういう位置づけなのか、妙に想像がふくらむ。
「そうなんだね……。じゃあ、行長君は?」
「行長ですか……。」
全登は小さくため息を漏らす。
「あの者は商人の出身ゆえか、いささか金にがめついところがございます。たびたび茶屋にて居合わせますが、会計の折には隙あらば二人分の会計を所望されます。」
「うーん、女の子に対してそれはないかもねー」
桜は呆れたようにため息をつき、布団の上でごろりと寝返りを打つ。すると今度は全登が、静かに問い返した。
「そういう桜殿はどうなのですか?」
問いを受け、桜は少し考え込むように視線を落とした。布団の端を指先でつまみながら、小さな声で答える。
「うーん……小さいときは好きな人いたんだけどねー」
その瞬間、心の奥底に幼い陸の笑顔が浮かぶ。夕暮れの公園、分厚い本を抱えていた少年の姿が。
(……もう、時代が違うからね)
「今はいないかな!」
わざと明るく笑って言う桜に、善助がすかさず冷静に釘を刺した。
「殿……言い出しっぺでそれはいけませんぞ」
「そうだよね、ごめんごめん! じゃあ二人とも、いい人ができたら教えてね」
「殿もですぞ」
「分かってるよー」
そのやり取りに、部屋の空気が少し和んだ――。
ドン ドン ドン。
突如、隣の部屋からどんちゃん騒ぎの音が響き渡る。
桜が眉をひそめる間もなく、善助がスッと立ち上がった。無駄のない動作でスタスタと隣の部屋へ歩み寄る。
襖が勢いよく開け放たれる。
「男達、うるさい!」
凛とした叱声が夜更けの宿に響きわたった。その一言に、先ほどまでの喧噪は嘘のように静まり返る。
しん……と沈黙が戻った空間に、桜と全登は思わず顔を見合わせ、布団の中で笑みをこぼした。




