第五話 死者の願い④
その言葉は酒場に集う人々の胸に響き、さっきまで笑いさざめいていた空気は、どこか厳かで温かなものへと変わっていった。
行長は頬をかきながら、半ばあきれたように、しかしどこか楽しげに笑った。
「なんか……八方美人というか、よくばりな当主やな。」
「え! そ……そうかな……」
桜は思わず声を裏返し、視線を落とす。頬がかっと熱くなり、うつむいた顔はたちまち朱に染まっていった。盃を持つ手先までほんのり赤みを帯びている。
行長はそんな彼女の反応を見て、ますます口元を緩めた。
「でもなぁ、そういうよくばりな大名っちゅうのも……わいは、嫌いやないで。」
柔らかく笑いかける声は、からかうというよりもむしろ、素直な好意と期待を含んでいた。
その言葉に桜は小さく肩を震わせ、照れ隠しのように甘酒をひと口含む。温かな香りが喉を通るのに合わせて、胸の奥までじんわりと熱が広がっていった。
横では全登が静かに盃を傾ける。薄く目を閉じ、酒の香りと味を確かめるように一息ずつ味わっている。その横顔は穏やかで、まるで桜の言葉に安心を得たかのように落ち着いていた。
彼女の吐く小さなため息は、酒場のざわめきの中でもどこか清らかで、桜の胸にやさしい余韻を残した。
ふと行長は盃を置き、口を開く。
「そういや、わいって歴史上で、最後どうなるん?」
突然の行長の問いに、桜はぱちくりと目を瞬かせた。
「え……どうだろうー。私、歴史あんまり詳しくなかったから」
言いながら視線を泳がせ、盃の中の甘酒をじっと見つめる。
普段はひょうひょうとして掴みどころのない行長。その彼の口から投げられた、未来を問う重い言葉――。
もし自分が歴史に詳しければ、この人がどんな最期を迎えるか知っていたのかもしれない。
けれど、知らないからこそ今こうして笑い合えているのかもしれない。桜の胸に、そんな相反する思いが静かに広がっていく。
ふと、胸の奥に小さな頃の記憶が蘇った。
――
夕暮れの公園。
赤く染まった空の下で、ブランコがきしむ音がゆるやかに響く。
遠くからは、鬼ごっこに興じる子どもたちの笑い声が風に運ばれてきた。
縄跳びを抱えて駆けてきた幼い桜は、ベンチに腰かけて分厚い本を膝に広げる少年を見つける。
「陸ー、また歴史の本読んでるのー?」
陸と呼ばれた少年は顔を上げ、夕陽を受けて瞳をきらりと輝かせた。
「あ、桜!これ、おもしろいんだよ!一緒に読もうよ!」
幼い桜はむすっと頬をふくらませ、縄跳びをぶんぶん振り回しながら首を横に振った。
「えー、難しいからつまんないー。遊ぼうよー!」
陸は笑いながら本をぱたんと閉じ、肩をすくめてみせる。
「もー。桜はおこちゃまなんだから」
「なんだとー!」
ぷんすかしながら叫んだ桜は、縄跳びを放り出して陸の背中をぽこぽこと叩く。
陸はひょいと逃げるように前にのけぞりながら、子どもらしい無邪気な笑い声を上げた。
――
桜は小さく笑みをこぼす。
「……歴史に詳しい友達がいたんだけど、その子なら知ってたかも」
行長がぱっと顔を輝かせ、前のめりになる。
「え!じゃあそいつ連れてきてーな!」
桜は吹き出しそうになりながら、肩をすくめた。
「無茶言わないでよ」
そして、少しからかうように首をかしげる。
「ていうか、行長君って……歴史に残るぐらい、有名なの?」
行長は胸を張り、鼻を鳴らした。
「失礼な!これからや、これから!」
桜はその言葉に笑みをこぼした。
酒場を包む夜風がふわりと吹き抜ける。
昼の暑さを忘れさせるような涼やかな風は、まるで彼らの背中をそっと撫でるかのようだった。




