第五話 死者の願い②
「……。」
突如、白装束の女の身体がぐらりと横へ傾いた。
ガタァァンッ――!
畳と障子が一緒に震えるような大きな音を立て、女は崩れ落ちる。
「きゃっ!」
桜は思わず後ずさりし、裾を握りしめて身を縮める。
「……ガタン? な、なぜ幽霊から倒れる音が……」
善助は眉を寄せ、刀に手をかけたまま怪訝な顔をする。
「あの……」
戸惑った声が、瓦礫の背後から聞こえた。
「すまん、桜ちゃん。わいやで……」
「え……?」
思わず声が漏れる一同。
倒れた女の影の後ろから、ぬっと姿を現したのは行長だった。
「え? え?」
唖然とし、ただ目をぱちぱちと瞬かせる桜。
やがて、行長は一同の前で正座させられていた。地面の上に頭を垂れ、耳まで赤くなっている。
「で……こんな所で何をしているのですか?行長」
冷ややかな声で問いかける全登。
「いや、あのな。この竹田城跡に財宝が眠ってるって情報があってな。調査しておったのよ……」
行長は目を泳がせ、しどろもどろに答える。
「で、調査がばれないために、人の気配がしたら幽霊になりすまして、おどかしてたっちゅうわけや!」
全登は横で倒れている女の幽霊をかたどった人形に視線を落としつつ、大きくため息をついた。
「そこまではわかりましたが……なぜ私達まで執拗に怖がらせる必要があるのですか?」
腕を組み、ぐっと身を乗り出す。
「私達だと分かった後も、ずいぶん長い間、幽霊の振りをしていましたよね。」
行長は視線を逸らし、頭をぽりぽりとかいた。
「そ、それは……桜ちゃんがめっちゃええ話をしてるから、出るに出られなかったんよ……」
「なっ……!」
顔が一気に赤くなり、思わず口元を手で覆う桜。
「……なにはともあれ、行長殿の仕業でよかったです。幽霊などいなかったのですね」
胸をなで下ろした善助は、安堵の笑みを浮かべながら周囲を見回す。
夜気がひんやりと流れ込み、張り詰めていた肩の力がようやく抜けた。
「はっはっは! なにいうてんの善助はん。幽霊なんているわけないやないのっ」
大げさに手を振って笑い飛ばす行長。その仕草に、緊張していた空気がふっと緩んだ。
「ま、まあ……私もそう思ってましたが」
苦笑しつつ、視線をそらす善助。
だが一方で友信は、完全に納得しきれない色をその目に残している。
「でも、おらあ見ただよ。殿様の足が幽霊につかまれたように赤くなっていただ。」
その言葉に、場の空気が一瞬で張りつめる。皆の視線が一斉に桜の足へと集まった。
「どれ、見せてみ桜ちゃん」
行長が片眉を上げ、半歩前へ出る。
「え? うん……」
桜は戸惑いながらも裾を指でつまみ、ためらいがちに少し持ち上げた。月明かりに照らされた白い足首には、赤く腫れた痕が浮かんでいる。
「ああ、これな」
行長はしゃがみ込み、指先をひらひらと動かしながら説明を始める。
「この辺はうるしがぎょうさん生えててな。敏感な人は触れたとたんに、はれてまうんや」
「あ……たしかに。痛いというより、かゆい感じ……これ、蕁麻疹かな?」
桜が自分の足首をかきながら、少し戸惑った顔を見せる。
「じゃあ水たまりが赤くなってるのはなんだ?」
又兵衛が腕を組み、鋭い視線を周囲に巡らせた。眉間には深いしわが寄り、まだ納得していない様子だった。
「ほら、みな見てみ」
行長は大きく腕を広げ、城跡の暗がりを指差した。湿った土の匂いが鼻をつき、あちらこちらに小さな水たまりが赤く濁って光を反射しているのが見える。
「ここは古戦場跡でな。土地がでこぼこして水がたまりやすい。そして――」
言いながら彼は近くの赤く濁った水たまりに近づき、膝をつく。手をつっこんだかと思うと、やがて水中からごりごりと音を立てて、ひどくさび付いた兜を引きずり出した。
「こういうふうに、鎧や刀がまだあちこちに埋まっとる。それが錆びて、雨水に混ざり、赤く染めてしまうっちゅうわけや」
「なるほど……たしかに、血の色とは微妙に違う気がしますね」
善助は目を凝らし、指先で顎をなでながらつぶやいた。
「人は幽霊を恐れてるとき、なんでも幽霊の仕業に見えてしまうもんや」
行長の口調は落ち着いており、その言葉には妙な説得力があった。
桜たちは互いに顔を見合わせ、しばし沈黙が続く。
やがて緊張が解けた瞬間、頬がかすかに熱を帯び、気恥ずかしさが一同の胸に広がった。
誰からともなくうつむき、足元の石や土を見つめる仕草が広がる。
先ほどまでの恐怖心が、今では自分の早とちりを思い知らされる照れに変わっていた。
やがて又兵衛が、腕を組んだまま低くつぶやく。
「……にしても、あんた懲りねえな。こんなことを数年も続けるなんてよ」
「? なにいうてんの。わいがここの調査をはじめたのは、先月からやで?」
行長は首を傾げ、怪訝そうに眉を寄せた。その声音には偽りの気配はなく、むしろ素直な困惑がにじんでいた。
「え?」
桜は思わず目を丸くする。
「え?」
一同声が重なり、夜気の中に不思議な響きを残した。
「……え?」
当の行長も困惑を隠せず、ぽかんと口を開け、首をかしげてみせる。彼の仕草は滑稽に見えるほどだったが、その違和感がかえって場を張りつめさせた。
善助は唇を噛み、心の中でつぶやく。
(どういう事だ……? 幽霊騒ぎは数年前からのはず。これでは白い着物の女や穴を掘る音の出現した時期が合わない……)
静寂。風が瓦礫の障子をかすかに揺らし、畳の上に重苦しい空気が落ちる。
「……。」
その時――。
ひゅう、と夜風がひと筋吹き込んだ。
枯れ草がさらさらと揺れ、月明かりに照らされて小さな光の粒が舞い上がるように見える。
一同の周りを夜風が円を描くように駆け抜けた。だが、それは先ほどまでの不気味さを帯びた風ではない。
どこか温もりを含み、懐かしささえ感じさせる、優しげな色を宿していた。
「うおっ……!」
行長は慌てて腕で顔を覆う。
「なんだ、この風は……?」
又兵衛は槍を構えたまま、思わずその場に立ちすくむ。
風はふわりと桜のところで止まり、彼女の髪や袖をやさしく撫でる。
そして桜の周囲をゆるやかに舞ったあと、すっと天高く吹き抜け、夜空へと消えていった。
桜は胸に手を当て、静かに目を閉じる。
「……もう、大丈夫だと思う」
善助も深く頷き、安堵の息を吐いた。
「そうですね……ここに幽霊は、もう現れないでしょう」




