第二話 東播磨の領主―別所家③
姫路城への帰りの道中。
一行は緩やかな峠道を下りながら、夕刻に傾き始めた陽を受けて歩いていた。鳥の鳴き声が遠くで響き、川のせせらぎが微かに聞こえる。
善助はずっと顔を険しくしたまま、堪えきれず声を張り上げた。
「官兵衛殿、あのように言いたい放題言わせておいてよろしいのですか! あれでは明らかに殿を侮辱しております!」
桜は苦笑いを浮かべ、肩をすくめる。
「ははは……ごめんね、善助。私が頼りないばっかりに、あんなこと言われちゃったんだと思う」
善助は馬の足を止め、まっすぐ桜を見据えて強い調子で言い返す。
「いいえ、殿! 殿は西播磨の地を立派に治めておられます。領民たちも皆、殿の政に満足していると、私はこの目で見て知っております。長治めがそれを知らぬだけのこと!」
その言葉に、桜は一瞬目を見開き、そして柔らかな笑みを浮かべた。
「……ありがとう、善助」
小さく息を吐き、ふと空を仰いで呟く。
「でもね、長治さん。私と同い年くらいなのに、あんなに堂々として、目にも力があって……正直、ちょっと立派な領主だなって思っちゃった」
そう言って、桜は照れ隠しのように舌をちょこんと出して笑う。
「ちょっ……殿まで!」
善助は顔を真っ赤にし、憤慨して手をばたつかせた。
そんなやりとりを聞きながら、官兵衛は深いため息をついた。
「長治殿……いや、別所家は長年の政で領内を安定させてきた。その自負があるからこそ、現状の大名としての地位に絶対の自信を持っておるのだ」
官兵衛の声音は低く、しかし確信に満ちていた。
「配下に引き戻すには、ただ言葉を尽くすだけでは無理だ。こちらにも策を巡らさねばならん」
山風が一行の衣を揺らし、彼の言葉を強調するかのように、静かに木々をざわめかせていた。
ある日、三木城。
縁側に立つ別所長治は、夕陽を背に受けながら、遠く広がる播磨の山並みに目を細めていた。
(たしかに……あの官兵衛という男の言う通りだ。我ら別所家だけでは、どうあっても他の大大名たちに太刀打ちできぬ……)
拳を縁側の欄干に押しつけ、長治は歯を食いしばる。
(なれど、先祖代々より血と汗をもって築き上げたこの領地と地位……。我の代でそれを手放すなど、先祖への申し訳が立たぬ!)
その時、廊下を駆け抜ける音が響き、ひとりの家臣が転がり込むように縁側へ現れた。
「とっ、殿っ!」
「どうした、騒がしい」
「お……織田軍が、この三木城を攻略せんと進軍中とのこと! その数、およそ三万!」
「……なに?」
長治の胸がどくりと高鳴る。だが次の瞬間には、静かに瞼を閉じて己に言い聞かせた。
(いや……わかっていたはずだ。遅かれ早かれ、こうなることは……。我ら小国など、最後は大国に飲み込まれるさだめ……なれど!)
瞳に炎を宿し、声を張り上げる。
「城下の民を、一人でも多く城内へ避難させよ! 籠城し、織田軍を迎え撃つ!」
「ははっ!」
家臣たちは一斉に駆け出していった。
―ドドドドドド――ッ
土煙を巻き上げながら、織田家の大軍が三木城下へと到達する。
その先頭に立つのは、織田四天王の一角、羽柴秀吉。
金の棍棒を馬上で軽く振り、額の緊箍児が閃く。
小柄ながらきらびやかな金の装飾をまとった鎧姿は、兵たちの視線を一身に集めていた。
秀吉は高く馬上から城下を見回す。
「ほう……長治は領民を城へ避難させておるのか」
織田兵のひとりが駆け寄り、報告する。
「はっ! 三木城内には町民・農民がなだれ込み、もはや足の踏み場もない有様とのこと!」
秀吉は口の端を吊り上げ、にやりと笑った。
「長治よ……領主としては誠に立派。領民に慕われる所以じゃろうて。――じゃが、兵法家としてはどうかの」
その目は冷酷に細められ、声が鋭く響き渡る。
「作戦を兵糧攻めへきりかえる!領民を城へ追い立て、城下やその周辺地域へ至るまで、あらゆる食料を奪いつくすのじゃ!」
「ははあっ!」
家臣たちは声を揃え、砂煙の中へと走り去っていった。
三木城を巡る戦の幕が、いま切って落とされた。




