第二話 東播磨の領主―別所家①
姫路城・当主の間――
昼下がりの光が障子越しに差し込み、広間の畳にやわらかな影を落としていた。静謐な空気の中、赤松家の重臣たちが整列し、その中央に黒田官兵衛が座している。
彼の顔は険しく、どこか沈痛な思いを宿していた。軍師としての冷静さの裏に、未来を案じる深い憂慮が滲む。
官兵衛は一礼してから、ゆっくりと口を開いた。
「先の夢前川の合戦において、我らは敵勢力である浦上家を打倒し……そして、入れ替わるように台頭した宇喜多家と同盟を結びました。これにより、当面は西側の安全を確保できたと申せましょう」
言葉を区切るたび、広間の空気が少しずつ張り詰めていく。家臣たちは背筋を伸ばし、桜は膝の上で小さな手を固く組みしめ、耳を傾けていた。官兵衛はさらに低い声で続ける。
「……されど、我らを取り巻く状況は決して楽観できませぬ。いまだ東には大勢力たる織田家、西には毛利家が控え、虎視眈々とこの播磨の国を狙っております」
その言葉に場がわずかにざわめいた。家臣のひとりが息を呑む音さえ、はっきりと聞こえるほどだった。
官兵衛は手を軽く掲げ、まず東の脅威を語る。
「まずは織田家。先の長篠の戦いにおいて、宿敵たる武田家を撃破し、その勢いは今や誰にも止められぬ。織田家を上回る勢力は、この日ノ本に存在いたしません」
そして、彼は視線を正面に据え、言葉を強めた。
「織田家当主、織田信長――。その野望は天下統一。いずれ必ず、この播磨の国へも侵攻してまいりましょう」
広間の中に重い沈黙が落ちる。桜はその名前を聞いた瞬間、小さな肩をびくりと震わせた。まだ少女である彼女にとって、“天下人”の名は遠い雷鳴のように響いたのだ。
官兵衛は続けて、今度は西の情勢を告げる。
「対して西の毛利家。織田家には及ばぬものの、西の大名家においては最大の勢力を誇る。いかに赤松家と宇喜多家で力を合わせようとも……この毛利家と正面から刃を交えるのは難しいでしょう」
善助が唇を噛み、思い切って声をあげた。
「では……我らは今後どうすればいいのでしょう。このまま、大国に飲み込まれるのを待つしかないというのですか?」
彼女の声は震えていたが、瞳は真っ直ぐだった。その姿に、桜は思わず胸を熱くする。
官兵衛は静かにうなずき、しかしすぐに否定するように首を振った。
「幸いなことに、織田家も毛利家も、今は周辺国との小競り合いに時間を割いておる。播磨に侵攻するには、なお幾ばくかの時を要するだろう。」
その間に――と官兵衛は大きく息を吐き、皆を見渡した。
「その間に、我らはこれら大国に対抗しうる勢力へと成長せねばならぬ。」
広間の空気が再び重くなる。だが、その中にわずかな光のような決意が芽生えはじめていた。
官兵衛はさらに言葉を重ねる。
「……この播磨の国、実は未だ一枚岩ではない。はるか昔、この播磨全域は赤松家の支配下にあった。しかし近年、当家の影響力は衰え、国内は分裂。さらに小領主たちが乱立し……当家の支配下は、いまや播磨の西半分にすぎない。」
官兵衛の声が広間に響く。
まるで現実の重さを突きつけるかのように。
又兵衛が腕を組み、少し身を乗り出して問いかけた。
「じゃあ東半分は今、誰が治めてんだ?」
官兵衛はすぐさま答えを返す。その声音は落ち着いているが、瞳の奥には鋭さが光っていた。
「播磨の国の東半分は今、赤松家の親戚筋である別所家が治めておる」
それを聞いた友信が首をかしげる。
「親戚い?じゃあ味方じゃないだか?」
官兵衛は首を横に振り、低く続ける。
「この別所家、もとは赤松家の配下であった。しかし近年は当家の求心力が衰えたのを見限り、半ば独立勢力のように振る舞っておる。……まずはこの別所家を、再び赤松家の配下に引き戻すことが肝要だ」
静まり返る広間に、言葉が深く沈み込んでいく。
桜は膝の上で両手をぎゅっと握りしめ、少し震える声で問いかけた。
「……戦いには、ならないんだよね?」
官兵衛はしばし桜を見つめ、それからゆっくり頷いた。
「別所家はもとより当家と親戚同士。すぐに刃を交える必要はない。まずは説得を試み、味方として迎え入れる道を探りましょう」
その言葉を聞いた桜の表情に、ぱっと光が差したような笑みが浮かぶ。
「……うん!」
張り詰めた空気の中、その声だけが柔らかく広間を照らした。




