第二話 東播磨の領主―別所家④
姫路城、当主の間――。
広間には重苦しい空気が漂っていた。格子窓から差し込む陽の光が、磨き込まれた床板に細い筋を描いている。その静寂を破ったのは、伝令の荒い息遣いとともに響いた声であった。官兵衛が思わず聞き返す。
「なに……? 別所家の三木城が、織田軍の攻撃を受けていると?」
息せき切った伝令が額の汗をぬぐい、震える声で答える。
「はっ! 織田軍の数、約3万! 総大将は織田家四天王の一人、羽柴秀吉とのことにございます!」
その場にいた者たちの間にどよめきが走った。官兵衛は腕を組み、目を細めて天井の梁を見上げる。
「ついにきたか……だが」
心中で冷静に計算を巡らす。
(たしかに3万は大軍……しかし、織田軍本隊であればこの程度の数ではないはず。それに総大将は当主―織田信長本人ではない……)
桜は膝に置いた手をぎゅっと握りしめ、不安を隠せぬ様子で官兵衛に向き直る。
「どうしよう官兵衛、三木城が……それに、すぐこの姫路城にも織田軍が迫ってくるかも……」
官兵衛はすぐに首を横に振り、落ち着いた声で応じた。
「いえ、今回の織田軍……とても本腰とは思えませぬ。おそらくは威力偵察。まずは三木城を攻略し、西へのあしがかりを確保するつもりでしょう。」
又兵衛が大股で前に出て、荒々しい声を張り上げる。
「どうすんだよ、三木城は。親戚の所なんだろ?」
官兵衛は深く息を吐き、目を伏せた。
「……残念だが、別所軍3千に対し織田軍は3万。我らが援軍を出したとて、合計8千が限度。とても勝ち目などない。」
彼は視線を桜に向け、苦渋に満ちた声で続ける。
「殿……ここは別所家は諦め、彼らが盾となっている間に、我々は勢力を拡大するのが得策かと。」
桜の目が見開かれる。
「見捨てるって事……?」
官兵衛は冷静に首を縦に振る。
「殿……親戚といえど、あくまで別所家は我らの味方ではなく中立の立場。そのような者たちまで助けていては、とても国は持ちませぬ。」
「っ……」
桜は言葉を失い、下唇を噛みしめた。
「判断を誤りますな、殿。時に非情な決断も、当主としては必要なこと……」
「……。」
そのとき、畳を踏み鳴らす足音が慌ただしく近づいた。障子が開き、もう一人の伝令が駆け込んでくる。肩で息をしながら叫んだ。
「織田軍が三木城へ兵糧攻めを実施! すでに城外、城内ともに多数の餓死者が出ている模様!」
「えっ……!」
思わず息をのむ桜。その瞳には恐怖と悲しみが入り混じる。
「……そう時が持ちそうにありませんな。」
静かに言い放つ官兵衛の声は、重く広間に落ちた。
桜は一歩前に進み、官兵衛を見据えた。
「官兵衛。」
「はっ」
「当家は援軍を出さない。でも……最後に長治さんと話をしたいの。私1人で三木城へ向かう。」
「な……!」
思わず声を上げる官兵衛。場の空気が一気に張り詰めた。
「いッ……いけませぬぞ! 殿!」
とっさに政秀も割って入った。
だが桜の眼差しは揺るがない。
官兵衛は桜の瞳に視線を向ける。その瞳には、以前感じた異様な――だが不思議と温かな光が、桜の意思と同化するように揺らめいている。
一同も奇妙な気配を感じとったのか、その場には沈黙が落ちた。
「い……いいのかよ?官兵衛」
耐えきれず又兵衛が口を開いた。
官兵衛は桜としばし見つめ合ったのち、小さくため息をついた。
「……どういう訳か時折、あなたが頼もしく見える時があります。あなたであれば、なにかしでかしてくれるのではないかと……」
そしてすぐに視線を横へ走らせる。
「三木城へは今、多くの領民たちが織田軍に追いたてられているはず。町民のふりをすれば入城はたやすいでしょう……善助!」
善助は膝をついて答えた。
「はっ」
「殿のお供をせよ。」
「承知!」




