第一話 戦国大名―赤松桜①
播磨の国ー姫路城。
大広間の天井は高く、いくつもの灯りが仄かに揺らめいている。
窓の外では、庭の桜がほころびはじめ、淡い花びらが枝先をやさしく染めていた。
時折吹く風に、まだ幼い花弁がふるふると揺れ、柔らかな光を受けてきらめく。木々の葉も芽吹きはじめ、冬を越えた大地が少しずつ春の色を取り戻していた。
部屋の中央では、数人の武将たちが膝を揃えて座り、自然と円を描くように向かい合っていた。
その中で、白髪を後ろに束ねた老将――赤松政秀が、唸るように低い声を発した。
深く刻まれた顔の皺と、顔や四肢に無数に残る刃傷が、彼がいかに多くの修羅場を潜り抜けてきたかを雄弁に物語っている。
「この件については、もはや議論の余地はなかろう。わしの考えは変わらぬ」
政秀の声は重く、部屋の空気を押し潰すような圧を持っていた。
その視線は鋭く、真っ直ぐに前方に座る黒い長髪の男――黒田官兵衛へと注がれる。
髪は背中まで長く、切れ長の瞳は、物事の核心を一瞬で見抜く知性を宿している。
互いの視線がぶつかり合うたび、火花が散るような緊張が走った。
「然るに、赤松家の政に関する重要な選択でございますぞ。軽々に結論を出すことはなりませぬ。慎重にお考えいただかねば」
官兵衛は落ち着き払った声音で、まるで水面のように静かな態度を崩さず返す。
表情も涼やかで、その冷静さがかえって政秀の苛立ちを煽った。
「ふん……」
政秀は鼻を荒々しく鳴らすと、拳をぐっと握りしめた。血管が浮き、怒りを隠す気配すら見せない。
「貴様、あまりに理屈っぽい! そういうところが癇に障るのじゃ!」
その怒声に室内の空気がさらに重くなる。
だが官兵衛は眉ひとつ動かさず、口元に皮肉めいた微笑を浮かべて腕を組んだ。
「政秀殿は短気が過ぎます。そんなことではいずれ血管が切れてしまいますぞ?」
「なんじゃと、貴様ァ!!」
怒りに駆られた政秀が身を乗り出し、立ち上がろうとしたその瞬間――。
部屋の端で大きなあくびを隠そうともせずに漏らした声が、張り詰めた空気を一気に揺るがした。
「あー……早く帰りてえなあ……」
声の主は、まだ十代の幼さの残る少年――後藤又兵衛である。
オレンジ色の短髪は乱雑に見えて、一部だけを小さく編み込んでおり、彼の奔放な性格を表していた。
悪戯っぽい輝きを帯びた瞳は、中性的で整った顔立ちと相まって、場違いなほど愛嬌を感じさせる。
間の抜けた呟きに、張り詰めていた空気が一瞬で緩み、場にいた者たちは思わず目を向けた。
「無礼であろう、又兵衛!」
すかさず隣に座る女性が声を荒げた。
白い着物に細身の身体を包み、黒いショートヘアを凛と整えた――栗山善助である。
その瞳は女性でありながら武人のように鋭く、弟を叱る姉のような気迫が漂っていた。
だが又兵衛は肩をすくめ、まるで風の音を聞き流すかのように注意を受け流す。
そして、さらに場の空気を乱すように、力士のような巨体を揺らしながら立ち上がった男がいた。
優しい牛のような目をした大男――母里友信である。
「うんだあ♪ うんだあ♪」
陽気に調子を取り、丸みを帯びた腹を誇らしげに突き出しながら、踊るように身体を揺らす。
その姿は深刻な議論の場にまったくそぐわず、場違いな明るさが突如として場を包み込んだ。
「友信貴様……」
善助が額を押さえて深いため息をつく。
「先ほどまで飲んでおったな?」
友信の顔は真っ赤に染まり、足元はふらついていた。
「……腹をしまえ。」
善助が鋭く言うと、友信は照れ笑いを浮かべながら、はだけた上衣を整えた。
「ふう……」
部屋の奥では小柄でやせ細った老齢の赤松家当主、赤松晴政が肩を落としていた。
「わしはもう疲れた……」
そう呟いた晴政の声には、年老いた男の深い疲労と諦念がにじんでいた。
「歳も歳じゃし、このような癖の強い家臣たちをまとめるのは骨が折れる……。もう隠居することにするぞ」
晴政はゆっくりと顔を上げ、静かに桜を見つめた。
「そちが当主となってくれ、桜」
「え?」
桜は思わず聞き返した。
その場にいた全員が、一瞬沈黙した後、一斉に声を上げる。
「え?」
政秀、官兵衛、善助、又兵衛、友信――全員の視線が、桜へと集まった。
播磨の国を治める赤松家。その当主―赤松晴政の一言ではじまった当主の交代。
あまりの唐突な事に、城内の側近や兵たちが報告や手続きのため、慌ただしく右へ左へ走り回っている。
周囲の喧騒の中、新当主、赤松桜が重臣たちの前に座りなおした。
「私が……当主になった桜です。よろしくお願いします」
場の空気が異様なものへと変わる中、桜は自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「よろしくお願い申し上げる! 家臣一同、殿に誠心誠意お仕えいたす所存!」
政秀が真剣な表情で頭を下げる。
「頼りねえ姫様だなあ」
又兵衛が小さく笑う。
「こんなんで本当に当主が務まるのかねえ?」
「殿に無礼であろう、又兵衛」
善助がすかさず注意を飛ばす。
友信は、相変わらず酔っ払ったまま腹踊りをやめていたが、また上衣がはだけている。
腹にはまだ顔を書いたままだった。
「……腹をしまえ、友信」
(この人たち、大丈夫かなあ……)
桜は心の中でため息をつきながら、自身の見に起きたことを回想する。
数日前、目が覚めると自分は戦国時代にタイムスリップしていた。
ただ奇妙なのは、数日前から突然出現したはずの自分を見ても、誰も驚いていない。まるで最初からいたかのように振る舞うのである。
奇妙なのは、それだけではない――
ある日のこと。城内の廊下を歩いていると、二人の兵がひそひそと話しているのが耳に入った。
篝火の影が壁にゆらめき、彼らの声だけが妙にはっきりと届く。
「やれやれ、最近の妖怪は狂暴なのなんのって……」
年長の兵が、肩をすくめながらぼやく。
「まったくだ。それに妖怪ども、最近数も増えているような……」
隣の若い兵が鎧の紐を締め直しながら同意する。
桜はその言葉に思わず足を止める。胸の奥がざわりと揺れた。
「あ、あの!」
勇気を振り絞って声をかけると、二人の兵は慌てて背筋を伸ばし、驚いたように振り返った。
「これは……姫様。どうされましたか?」
年長の兵が慌てて頭を下げる。
桜は一瞬、言葉を詰まらせたが、喉の奥からどうしても聞かずにはいられない疑問が漏れ出た。
「……妖怪がいるの……?」
兵たちは顔を見合わせ、怪訝そうに眉をひそめる。
「……? は、はあ。ええ。近頃は数も増えているようで……」
若い兵が慎重に言葉を選ぶように答える。
「姫様もどうかお気をつけ下さいませ。夜道などは特に」
年長の兵も続けて言い、頭を深く下げた。
桜は唇を引き結び、こくりとうなずいた。
「……う、うん……」
(この世界には妖怪がいるってこと……?それとも私が知らないだけで、昔は本当に妖怪がいたの……?)
「ふーっ」
このまま黙っていても、悩んでいても何も変わらない。
自分は神社の神様にお願いをして、ここへ導かれたのだ。
この時代にきた事、当主になった事には、きっと何か意味があるはず。
だから――言わなければ。
「突然でびっくりするかもしれないけど……私、実は未来から来たの」
一瞬、空気が止まった。
「……。」
「……。」
誰もが沈黙したまま、桜を見つめていた。




