第九話 偵察・・・?①
ここは念術治療院。
朝から訪れる人々のざわめきで、建物の中は活気に満ちていた。廊下には順番を待つ領民たちが並び、どこか不安そうに桜の名を口にしている。
「はーい、次の人ー!」
桜が元気いっぱいの声で呼びかけると、少し張り詰めた空気がやわらぐ。
次に入ってきたのは、小さな男の子とその母親だった。母親が背を押してやっても、男の子は泣きじゃくりながら足を止め、すすり泣きに混じって「いたい、いたい」と繰り返している。右腕は青紫色に腫れあがり、見るからに痛々しかった。
「泣かなくて大丈夫だよ。うん、これはね――折れてるね。」
桜は穏やかな口調で告げると、手早く布を巻き、添え木でしっかりと固定する。
男の子が息をのむように小さな悲鳴を上げた。
桜はその腕をそっと包み、目を閉じて集中する。指先から柔らかな光がにじみ出し、男の子の腕をやさしく包み込んだ。
光はじんわりと広がり、男の子の強張った表情が少しずつほぐれていく。
「……ふうー。」
桜は一息つき、笑顔を向ける。
「しばらく通えば、治りもきっと早いよ。」
母親は何度も頭を下げた。
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
その姿を見て、男の子も小さな体を折り曲げ、拙い仕草で頭を下げる。
「えらいね。また元気になったら遊びにおいで。」
桜は優しく微笑みかけ、見送った。
「次の人ー、どうぞー!」
桜が明るい声で呼びかけると、治療室の戸が開いた。姿を見せたのは又兵衛と友信。
ふたりとも普段の豪快さがまるでなく、青ざめた顔をして腹を押さえている。
「どうしたのよ、ふたりとも……」
桜が駆け寄り、心配そうに眉を寄せる。
「昨日から腹がいたくてよー……」
又兵衛は額にうっすら汗を浮かべ、体を前かがみにしながら答えた。
「おらも、痛いだあ……」
友信も苦しげに顔をしかめ、どっしりとした体を椅子に沈める。
「下痢してない?」
桜が問いかけると、ふたりは気まずそうに顔を見合わせる。
「してる……」
又兵衛が正直に答え、苦笑まじりに腹をさする。
「……また変な水飲んだんじゃないでしょうね?」
桜がジト目で問いただすと、友信はしょんぼりとうなずいた。
「池の水、飲んだだよ」
桜は腰に手を当て、思わずため息をついた。
「だめだよー! 汚いもの飲んじゃダメって、官兵衛に怒られたばっかりでしょ!」
たしなめながらも、桜はふたりのお腹にそっと手を添える。
ポウッ――
掌からあふれ出たやわらかな光が、温もりとなって二人の腹部をやさしく包み込む。
「……おお、ちょっと楽になったぜ。」
又兵衛が深く息を吐き、ようやく顔に安堵の色を浮かべる。
「殿様、ありがとうだあ……」
友信もぐったりした様子ながら、感謝の眼差しを桜に向けた。
「もう、ほんとに無理しないでね。しばらくは安静にして、お水もちゃんと煮沸したものを飲むこと!」
桜は優しくも少しきつめに言い聞かせる。
ふたりはまるで叱られた子供のように肩をすくめ、「へい……」と同時に答えた。
その時。背後からためらうような、心細い声がかかった。
「あの……桜様……」
桜が振り向くと、淡い紫色の髪を束ねた、若い女の見習い念術師が立っていた。
彼女の名前は紫苑。
桜が立ち上げた念術治療院――その門下生募集の折にいち早く門を叩き、以降は桜とともに日々領民たちの治療に当たっている人物だった。
彼女は緊張した面持ちで、手を前に固く組み合わせている。
「重症かもしれない人が……」
「わかった、行くね。」
桜はすぐに立ち上がり、彼女に導かれて別の治療室へ向かう。
そこには、やせ細ったおばあさんが力なく椅子に腰かけていた。肩は上下に揺れ、呼吸のたびに苦しげな音が漏れる。
「大丈夫? 息がつらそう……」
おばあさんは苦しい合間をぬって言葉をしぼり出す。
「桜さま……ありがたや……あ、ありが……ごほっ、ごほっ……」
桜はおばあさんの後ろに回り、背中にそっと自身の耳を当てる。
「……肺炎になってるかもしれないね。」
桜は眉を寄せ、そっと背に手をあてがった。
「ほら、こうして背中に手を添えてあげて。」
そばに立つ見習い念術師―紫苑の手を導き、正しい位置に重ねる。
「そこでね、しっかり集中するの。」
ポウッ――
紫苑の手のひらから、かすかな温かい光がこぼれ落ちた。震える光はやがて落ち着き、ゆっくりとおばあさんを包み込んでいく。
しばらくすると、激しかった咳が次第におさまり、苦しそうだった表情に安らぎが戻った。
「……楽に……なった……」
おばあさんの目尻に小さな涙が浮かぶ。
「しばらく、毎日来てもらって」
桜が声をかけると、紫苑は真剣な顔で深くうなずいた。
「はいっ! ありがとうございます!」
桜はにっこりと笑顔を返し、部屋をあとにする。
廊下に出ると、額の汗を腕で拭いながら自分の両手を見下ろした。
「ふー……今日できるのは、ここまでかな。」
そのとき、足音が近づいてきた。
「殿、今日はそろそろこの辺で。」
声の主は善助だった。いつもと変わらぬ落ち着いた口調で、しかし心配そうに桜を見つめている。
「うん、そうする!」
桜は元気よく答えたが、その声にはどこか疲れがにじんでいた。
「じゃあ、今日もついてきてくれる? 善助。」
そう言うと、善助は口元に笑みを浮かべ、力強くうなずいた。
「ははっ。」




