第七話 備前の妖怪⑤
やがて通路が開け、少し広い間に出る。
中央には小さな泉があり、澄んだ水面が洞窟の天井から落ちる滴を受けて、ぼんやりと光を反射していた。
ここだけ不思議なほど妖怪の姿はなく、静けさの中に水のしたたる音だけが響いている。
戦いの緊張が少しだけ和らぎ、一同の表情にも安堵が浮かんだ。
「おい!水があるぞ!やったぜ!」
「ウフォー!」
又兵衛と友信はまるで子どものように駆け出し、ためらいもなく泉に飛びつく。
「あ、待て!」
官兵衛の制止の声が響くより早く――
「グビグビグビッ!」
「グビーッ!」
2人は豪快に顔を突っ込み、両手ですくっては音を立てて飲み干していく。
「……まったく」
額を押さえ、ため息をつく官兵衛。その仕草に桜が思わず肩をすくめる。
「おい、殿も今のうちに水飲んどけよ!」
笑顔で振り返る又兵衛。友信も口の端から水を滴らせながらうなずく。
「もう、女子がそんな衛生状態の分からない水飲むわけないでしょ……ね、善助」
善助は腕を組み、冷ややかに二人を見やった。
「まったくです。これだから男は下品で困る。このすっとこどっこいが」
鋭い怒声に桜はつい視線をそらす。
(そ……そこまでは思ってないけど)
「まあまあ、だいぶ奥まで進んだ様子。ここいらで水筒の水を使っても問題ないでしょう」
政秀は冷静に言いながら、ふと横目で友信の腰の水筒をちらりと見やった。
鼻をひくつかせ、わざとらしく眉をひそめる。
「もっとも……友信の水筒に入っているのは酒のようですが。さっきから酒臭い」
「……友信、貴様」
ぴしゃりとした声音とともに、善助の鋭い視線が突き刺さる。
「びくっ!」
図星を突かれた友信は肩をすくめ、目を泳がせて気まずそうに視線を逸らした。
鼻の頭に汗をにじませるその姿に、又兵衛が思わず吹き出す。
「ははっ!おめえ、戦の最中にまで一杯やってたのか!」
「ち、違うだ!これは……気合いを入れるための薬みたいなもんだあ!」
「酒で気合とは聞いてあきれる。次に見つけたら、私がその水筒を叩き割る」
冷え冷えとした善助の声音に、友信はさらに縮こまった。
「ふむ……」
官兵衛はそんなやり取りを横目に、無言で泉にしゃがみ込む。
掌ですくった水を光にかざし、じっと観察すると、そのまま口元へ運んだ。
短い休息を終えた一行は、再び洞窟の奥へと足を踏み入れた。
「何か……嫌な感じがするな」
又兵衛が槍を握る手に力を込める。
しばらく進むと、通路は唐突に開け、薄暗い大広間へと続いていた。
壁面には苔が生え、地面には骨のようなものが散乱している。
誰かのものか、それとも妖怪のものか判別できないが、不吉な気配を漂わせていた。
「……奥に何かいるぞ」
政秀が静かに呟いた。
暗闇の奥から、ゆっくりと四本の足を持つ影が近づいてくる。
「牛……かあ?」
友信が大槍を構え、じっと様子を伺う。
しかし、その影が近づくにつれ、全員の表情が強張った。
それは牛ではなかった。
確かに体つきは、厚い筋肉に覆われた大きな四肢と、茶色の毛をまとう姿が牛に似ていた。
だが、異様なことに首から上だけは別物――痩せこけ、骨ばった頬と濁った眼を持つ、人間の男の顔であった。
「っ……!」
桜は思わず息を呑み、胸の奥がひやりと凍りつく。
その怪物はのそり、のそりと鈍重な足取りでこちらへ歩みを進め、一行を鋭く見据えていた。
洞窟の薄暗がりにその影が伸び、圧迫感が広がっていく。
やがて妖怪は、ぎぎ、と軋むように首をもたげ、ゆっくりと顔を上げた。
そこから吐き出された声は低く湿り気を帯び、しかしどこか人を嘲る響きを含んでいた。
「のこのこ……こんな所まで追って来よって……」
洞窟の壁に反響する声は耳障りで、一同の心をざわりと揺さぶる。
「生贄に釣られ、思慮の浅い大名に付いたせいで……面倒な事になったものよ」
口の端を不気味に吊り上げ、妖怪は冷笑する。
この妖怪が先の妖怪の軍勢の親玉に違いない。
瞬時に見て取った一行は一斉に武器を構えた。
「ようやく現れたか。この前はよくもやってくれたな!覚悟しやがれ!」
又兵衛が怒鳴った次の瞬間、妖怪の目が妖しく紫色に光った。
「――ッ!」
友信が、突然うめき声を漏らす。
「ウ…う”う”……」
彼の体が小刻みに震え、大槍を持つ手が痙攣するように動いた。
「おい!友信!何をする!」
善助の叫びが洞窟内に響く。しかし、その言葉が届く前に、友信の大槍が唸りを上げて善助に襲いかかった。
「くっ!」
善助は間一髪で身を翻し、鋭い突きを避ける。
「……。」
そして、沈黙のまま、又兵衛も槍を構えた。その矛先は、友信の大槍を避ける善助。
「又兵衛、お前も、どうしたというのだ!」
善助が驚きと困惑の入り混じった声を上げる。だが、又兵衛は返事をしない。
じり……じり……と善助を挟み込むように立ち位置を変え、まるで狩るべき獲物を見定める狼のように睨みつけていた。
「……。」
官兵衛も、無言のまま桜の方を向いた。
(嘘でしょ……!?)
桜の心臓が嫌な音を立てるように高鳴る。




