―プロローグ―③
桜はまぶたをゆっくりと開いた。ぼんやりとした視界が徐々に焦点を結ぶ。
「……ん?」
寝転がっていた体を起こし、周囲を見回す。柔らかな畳の感触が足元から伝わり、鼻をくすぐるのはかすかに香る白檀の匂い。見上げると、木の梁が走る天井が目に入った。
「ここは……?」
辺りを見回すと、襖と障子に囲まれた和風の部屋だった。古めかしいが手入れの行き届いた空間。静寂の中、どこか遠くで風鈴の音がかすかに揺れている。
「は……!」
桜は突然、先ほどの記憶が蘇り、息をのんだ。
砲撃、終わる気配のない激しい爆音。煙に包まれ、逃げ惑う人々。あの崩壊した町から、どうしてこんな場所に——。
早く、逃げなければ。
そう思うや否や、桜は立ち上がり、勢いよく障子を開け放った。
目の前に広がったのは、美しい日本庭園だった。
手入れの行き届いた苔庭には、白砂の枯山水が広がり、楓の葉が風に揺れている。奥には小さな池があり、青銅の灯籠のそばで鯉が悠々と泳いでいた。耳を澄ますと、水の流れる音が心地よく響いている。
桜は言葉を失った。
(……どうして? 私、逃げているうちにどこかに迷い込んじゃったの?)
庭の向こう側に視線を向けると、そこには壮麗な城と高くそびえる塀があった。見上げるほどの大きな天守閣。白壁に映える黒瓦の屋根。
内戦で破壊されたはずの姫路城がそこに建っていた。世界が変化する前の、懐かしい姿。
(映画のセット……? いや、それにしては……)
桜は困惑しながら、もっと周囲を確認しようと、高台へ向かって走り出した。
視界が開けた瞬間、彼女は息をのむ。
そこに広がっていたのは、見渡す限りの城下町だった。
碁盤の目のように整然と並ぶ建物。行き交う人々は皆、和服姿。荷を積んだ馬が通り、商人たちが声を張り上げる。遠くの市場からは活気に満ちたざわめきが聞こえた。
(こんなの……映画のセットなわけがない!)
鼓動が速まる、ここは一体どこなのか、どうして自分がここにいるのか——。
「姫様」
「うわっ!」
突然、背後から声をかけられ、桜は驚いて飛び上がった。
慌てて振り向くと、そこには着物を纏った女性が立っていた。優雅にまとめられた髪に、落ち着いた色合いの着物。身のこなしは丁寧で、どこか気品が漂っている。
「え……? あ……」
桜は反射的に両手を前に出し、とっさに口を開いた。
「私、あやしいものじゃ……」
しかし、女性は不思議そうに首をかしげ、柔らかく微笑んだ。
「探しましたよ、姫様。食事の準備ができました。」
「え……?」
桜の思考が一瞬停止する。
「ささ、早く。」
着物を着た女性はそう言い、にこやかに手を差し伸べた。
「あ……はい……」
桜は戸惑いながらも、その手に導かれるように歩き出した。




