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赤松天翔物語  作者: 姫笠
第三章 巨影

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第二話 槍の妖怪―槍幻②

――道中。

 緩やかな坂道を、二騎の馬がゆっくりと進んでいた。

 山の稜線をかすめるように吹く風が、草の匂いを乗せて通り抜ける。木々の葉が揺れ、午後の日差しがちらちらと地面に模様を描いていた。

 その静かな道の上で、又兵衛はちらりと桜の馬に視線を向ける。

 その鞍の前、ふわふわの白い毛を揺らしながらちょこんと座っているのは――スシイヌだった。

 耳をぴんと立て、まるで自分も立派な武士の一員であるかのように胸を張っている。

「はっ……殿、またそいつ連れてきたのかよ」

 思わず漏れた又兵衛の声には、呆れよりもどこか柔らかさがあった。

「うん……官兵衛がみててくれないからさ……」

 桜は苦笑しながら、手綱を軽く引く。馬が鼻を鳴らし、歩調を少し緩めた。

 スシイヌは鞍の上で尻尾をぱたぱたと揺らし、陽光の中で瞳をきらりと光らせる。

「……ごめんね、又兵衛。付いてきちゃって」

 申し訳なさそうに言う桜に、又兵衛は一瞬だけ視線を合わせ、鼻を指でこすった。

「いや、いいんだ。……なんつうか……ありがとな、殿。」

 その声は、いつになく静かで、心の奥底から滲むようだった。

 桜はふと目を細め、馬上で微笑んだ。

「怪我した時は、頼むわ」

「うん、まかせて!」

 風が二人の間を通り抜け、草花がさわさわと揺れる。

 けれどその穏やかな時間の奥には、これから訪れる戦いの気配が、ひっそりと潜んでいた――。


 二人は、とある小さな屋敷の前に立っていた。

 萱葺きの屋根は雨風にやられ、ところどころに藁が抜け落ちている。

 門は一本の縄で簡素に結われ、そこから覗く庭は草に覆われ、かつて人の手が行き届いていた痕跡は薄れていた。

「ここが会合場所か……」

 又兵衛は低く呟き、門を押して中へ入る。木の戸が軋んで、乾いた音をたてる。

 踏み込んだ土間の空気はひんやりとして、どこか昔の匂い──土壁や箪笥の古い匂い、古墨の匂いが混じっていた。

 記憶の齟齬そごが胸の中で波紋を広げる。


 奥の座敷に、別所家当主・別所長治が静かに座していた。

 薄手の羽織は乱れず、顔つきは落ち着いているが、目には戦慄の影がある。

 長治は二人を一瞥すると、穏やかに礼をしてから口を開く。

「……やはり貴殿が来られたか、又兵衛殿」

 言葉は簡潔だが、そこには重さがあった。

 又兵衛が周囲を見回すと、座敷の襖の端や畳の継ぎ目に、長年の空白を示す綻びが散見される。

 障子の紙は一枚破れ、外の光が乱れながら入る。

 だが、土壁に残る煤や箪笥の鍵穴のさびに懐かしさを感じるのは、幼い日の刻印がそこに残っているからだろう。

 桜は又兵衛を気遣って、少し距離を保ちながら座を低くして長治に問いかけた。

「……長治君。その槍幻っていう妖怪は、どんなやつなの?」

 長治は短く息を吐き、用意してあった書状を手に取る。紙は擦り切れ、墨の濃淡が読み取れないところもあったが、言葉は明瞭に伝わってきた。


「外見の特徴は、送った書状の通りだ。長髪の男の姿に、武器として槍を使う。しかしやっかいなのは、その知性である。」

 長治の視線が窓外の薄暗がりへと流れる。言葉の端にためらいがあり、重みがあった。

「討伐に向けて、我々は槍幻の手の内を知るため、積極的に仕掛けた。

 だが、やつは手に持つ槍を振るうのみで、一向に能力や奥の手を見せてこない。

 ……妖怪がただ槍を使うのみとは考えにくい。十分に警戒した方がいい」

 又兵衛は黙って長治を見つめ、やがて問いを返した。言葉には過去を直視する痛みが滲む。

「……ここに住んでいた者達の亡骸は、どうなったんだ?」

 長治はゆっくりと首を振る。蝋燭の光が書状の端をほんのりと照らした。

「亡骸は見つかっていない。8年前の槍幻の襲撃の後、残されていたのは、大量の血痕のみであったと聞いている」

 その説明に、又兵衛はぎゅっと唇を噛んだ。

 言葉は短く、ただ一言――「……そうか」とだけ洩れた。だがその一言は多くを含んでいた。

 記憶の隙間が一瞬で埋まり、あの夜の匂い、父の叫び、母と志乃の震える手が頭の中に浮かぶ。

 彼は立ち上がると、言葉少なに別室へと歩みを進めた。

 桜はその背中を見つめ、心配そうに眉を寄せる。

「長治君、ここでいったい、何があったの?」

「ここは又兵衛殿の実家。8年前に槍幻の襲撃を受けた場所だ」

 長治は小さく息を漏らし、語り始めた。

「又兵衛殿の父はこの一帯を治めた小領主に仕える武士であった。

 槍幻の襲撃により、家族は殺され、又兵衛殿は官兵衛殿に引き取られた。

 槍幻の襲撃を受けて以降、この屋敷には人は寄り付かず、以降はわが別所家がこの屋敷を手入れしていた。 」

 長治は桜に視線を移し、続けた。

「長らく槍幻は姿を見せなかったが、一か月ほど前よりまた、ここ周辺の家々を襲うようになった。

 桜殿と又兵衛殿には我と共にこの屋敷を拠点として、槍幻が現れ次第、討伐に向かっていただきたい。」


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