第二話 槍の妖怪―槍幻②
――道中。
緩やかな坂道を、二騎の馬がゆっくりと進んでいた。
山の稜線をかすめるように吹く風が、草の匂いを乗せて通り抜ける。木々の葉が揺れ、午後の日差しがちらちらと地面に模様を描いていた。
その静かな道の上で、又兵衛はちらりと桜の馬に視線を向ける。
その鞍の前、ふわふわの白い毛を揺らしながらちょこんと座っているのは――スシイヌだった。
耳をぴんと立て、まるで自分も立派な武士の一員であるかのように胸を張っている。
「はっ……殿、またそいつ連れてきたのかよ」
思わず漏れた又兵衛の声には、呆れよりもどこか柔らかさがあった。
「うん……官兵衛がみててくれないからさ……」
桜は苦笑しながら、手綱を軽く引く。馬が鼻を鳴らし、歩調を少し緩めた。
スシイヌは鞍の上で尻尾をぱたぱたと揺らし、陽光の中で瞳をきらりと光らせる。
「……ごめんね、又兵衛。付いてきちゃって」
申し訳なさそうに言う桜に、又兵衛は一瞬だけ視線を合わせ、鼻を指でこすった。
「いや、いいんだ。……なんつうか……ありがとな、殿。」
その声は、いつになく静かで、心の奥底から滲むようだった。
桜はふと目を細め、馬上で微笑んだ。
「怪我した時は、頼むわ」
「うん、まかせて!」
風が二人の間を通り抜け、草花がさわさわと揺れる。
けれどその穏やかな時間の奥には、これから訪れる戦いの気配が、ひっそりと潜んでいた――。
二人は、とある小さな屋敷の前に立っていた。
萱葺きの屋根は雨風にやられ、ところどころに藁が抜け落ちている。
門は一本の縄で簡素に結われ、そこから覗く庭は草に覆われ、かつて人の手が行き届いていた痕跡は薄れていた。
「ここが会合場所か……」
又兵衛は低く呟き、門を押して中へ入る。木の戸が軋んで、乾いた音をたてる。
踏み込んだ土間の空気はひんやりとして、どこか昔の匂い──土壁や箪笥の古い匂い、古墨の匂いが混じっていた。
記憶の齟齬が胸の中で波紋を広げる。
奥の座敷に、別所家当主・別所長治が静かに座していた。
薄手の羽織は乱れず、顔つきは落ち着いているが、目には戦慄の影がある。
長治は二人を一瞥すると、穏やかに礼をしてから口を開く。
「……やはり貴殿が来られたか、又兵衛殿」
言葉は簡潔だが、そこには重さがあった。
又兵衛が周囲を見回すと、座敷の襖の端や畳の継ぎ目に、長年の空白を示す綻びが散見される。
障子の紙は一枚破れ、外の光が乱れながら入る。
だが、土壁に残る煤や箪笥の鍵穴のさびに懐かしさを感じるのは、幼い日の刻印がそこに残っているからだろう。
桜は又兵衛を気遣って、少し距離を保ちながら座を低くして長治に問いかけた。
「……長治君。その槍幻っていう妖怪は、どんなやつなの?」
長治は短く息を吐き、用意してあった書状を手に取る。紙は擦り切れ、墨の濃淡が読み取れないところもあったが、言葉は明瞭に伝わってきた。
「外見の特徴は、送った書状の通りだ。長髪の男の姿に、武器として槍を使う。しかしやっかいなのは、その知性である。」
長治の視線が窓外の薄暗がりへと流れる。言葉の端にためらいがあり、重みがあった。
「討伐に向けて、我々は槍幻の手の内を知るため、積極的に仕掛けた。
だが、やつは手に持つ槍を振るうのみで、一向に能力や奥の手を見せてこない。
……妖怪がただ槍を使うのみとは考えにくい。十分に警戒した方がいい」
又兵衛は黙って長治を見つめ、やがて問いを返した。言葉には過去を直視する痛みが滲む。
「……ここに住んでいた者達の亡骸は、どうなったんだ?」
長治はゆっくりと首を振る。蝋燭の光が書状の端をほんのりと照らした。
「亡骸は見つかっていない。8年前の槍幻の襲撃の後、残されていたのは、大量の血痕のみであったと聞いている」
その説明に、又兵衛はぎゅっと唇を噛んだ。
言葉は短く、ただ一言――「……そうか」とだけ洩れた。だがその一言は多くを含んでいた。
記憶の隙間が一瞬で埋まり、あの夜の匂い、父の叫び、母と志乃の震える手が頭の中に浮かぶ。
彼は立ち上がると、言葉少なに別室へと歩みを進めた。
桜はその背中を見つめ、心配そうに眉を寄せる。
「長治君、ここでいったい、何があったの?」
「ここは又兵衛殿の実家。8年前に槍幻の襲撃を受けた場所だ」
長治は小さく息を漏らし、語り始めた。
「又兵衛殿の父はこの一帯を治めた小領主に仕える武士であった。
槍幻の襲撃により、家族は殺され、又兵衛殿は官兵衛殿に引き取られた。
槍幻の襲撃を受けて以降、この屋敷には人は寄り付かず、以降はわが別所家がこの屋敷を手入れしていた。 」
長治は桜に視線を移し、続けた。
「長らく槍幻は姿を見せなかったが、一か月ほど前よりまた、ここ周辺の家々を襲うようになった。
桜殿と又兵衛殿には我と共にこの屋敷を拠点として、槍幻が現れ次第、討伐に向かっていただきたい。」




