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赤松天翔物語  作者: 姫笠
第三章 巨影

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第一話 反信長同盟②

その夜―。

 姫路城の大広間では、控えめながらも温かな宴の席が設けられた。

 蝋燭の灯りが揺らめき、漆塗りの器の縁に反射してちらちらと光る。

 外では虫が鳴き、涼やかな夜風が障子をわずかに揺らしていた。

 上座には、赤松家の当主・桜と、毛利家の当主・輝元が横に並んで座している。

 桜「……。」

 盃を両手で包みながら、桜はそっと横目で輝元をうかがう。

 すると、ちょうど輝元も桜を見ていたらしく――目が合った瞬間、輝元の頬がぱっと赤くなり、慌てて視線を逸らした。

 桜はぼそりと心の中でつぶやく。

(き……気まずい……)

 しばし沈黙が流れたのち、輝元が咳払いをしてぎこちなく口を開いた。

「……せ、先日の戦の指揮は見事でした! まさか叔母上を負かすなんて!」

 その言葉に桜は少し驚き、すぐに柔らかく笑った。

「ははっ、ありがとう。でも、あれは兵たちが頑張ってくれたおかげなんだよ。」

 輝元の方を向き、桜は少し真剣な声になる。

「それにね、私も心のどこかで――“きっと家臣たちがなんとかしてくれる”って思ってた。

 だから戦えたの。ほんとは、一人じゃ何もできないんだ。」

 その言葉に、輝元は目を瞬かせ、静かに盃を置いた。

「……家臣たちのこと、信頼されているのですね。」

 桜は少し照れたように肩をすくめて笑う。

「へへ、まあね。ほんと、私にはもったいないくらいの家臣ばっかり。」

 ふと輝元の方を見て、少し明るい声で続ける。

「でも、輝元くんもあんなに賢い隆景さんがいるし、安心でしょ?」

 その言葉に輝元の表情が曇り、盃をくるくると指先で回しながらつぶやいた。

「正直、僕は……自信が持てずにいます。必要なことはみな、叔母上がやってしまうんです。」

 桜は目を細め、いたずらっぽく笑った。

「ははっ、なんか隆景さん、過保護そうだもんね。なんとなくわかるよ。」

 すると、輝元の瞳に火がついたように勢いが戻る。

「そうなのです! 僕が今やろうとしたことを、叔母上が先にやってしまう!

 おかげで僕はいつも兵たちの前で恥ずかしい思いをしてしまうのです!」

 興奮して身を乗り出す輝元に、桜は思わずくすりと笑い、盃を口に運んだ。

「叔母上は僕を信じてくれていないのかもしれません。僕だって日々、兵法を学び鍛錬を欠かさぬというのに……」

 輝元は手の中の盃を握りしめ、悔しそうに唇を噛んだ。

 その姿に桜は少し考え込み、やがて柔らかな声で口を開く。

「じゃあさ、試しに輝元君が“自分がやる!”って言ってみたらどうかな? 隆景さん、喜ぶかもよ?」

「そ……そうでしょうか?」

 輝元が不安げに眉を下げる。

「きっとそうだよ。やっぱり当主たるもの、頼もしくなくっちゃ!」

 そういうと桜は輝元の背を掌でぱしんっと叩いた。

 輝元は顔を赤らめ、咄嗟に姿勢を正し胸を張る。

「そ、そうですよね! うん! やってみます! よぉし、叔母上、見ていてください!」

 拳を握って気勢を上げる輝元。その勢いに桜はくすっと笑い、盃を机に置いた。

 

 一方、少し離れた席。

 広間の縁側では、隆景と官兵衛が机を挟んで向かい合い、静かに盃を傾けていた。

 隆景は一見、上機嫌に笑みを浮かべていたが、その瞳の奥には読めぬ光が宿っている。

 ふと、背筋に冷たい視線を感じて顔を向ける。

 そこには、歯を食いしばって睨みつける又兵衛と、両手を上げてあたふたとなだめる友信の姿があった。


 つい先日まで、死闘を繰り広げた相手。

 それが今は同じ膳を囲む味方としてそこにいる。

 若い又兵衛には、まだ心の整理がつかないようだった。


 隆景はふっと口元をゆがめ、着物の襟にそっと手をかける。

 ゆるやかに下ろされた衣の隙間から、月明かりに照らされた白い肌がのぞいた。

 肩から胸元へとすべるようなその動きに、又兵衛の顔は一瞬で真っ赤になる。

 それを見逃さず、隆景は又兵衛に目を合わせ、片目を閉じて見せた。


挿絵(By みてみん)


「なっ……!」

 まるで凍りついたように視線を逸らせず、唇を震わせる又兵衛。

 先ほどまでの怒りの熱は、別の意味で火照った熱に変わっていた。

 隆景は小さく鼻で笑い、唇の端を上げる。

(フッ……他愛のない)

 そんな隆景を見て、官兵衛は小さく息を吐いた。

 盃を置き、低い声でたしなめる。

「……何をしているのですか、隆景殿」

「ゴホンッ」

 隆景は咳払いをひとつして、姿勢を正した。

 そして、盃を机に置くと、今度は真剣な眼差しで官兵衛に向き直る。

「官兵衛」

「はい。」

 隆景の目に、さきほどまでの柔らかさはない。

 鋭く研ぎ澄まされた光が、その奥に宿っていた。

「桜殿は――天下を目指されているそうじゃな」

 その言葉に、官兵衛の手が一瞬止まる。

 静かに盃を置き、視線を細めた。

 その瞳の奥に、警戒の色がじわりと滲む。

 もしも毛利家が同じく天下を志すなら、いずれ両家は――再び刃を交える運命となる。

 酒の香の中に、張り詰めた空気がわずかに混じった。

 隆景は官兵衛の顔をじっと見つめる。

 その目は先ほどまでの柔らかな笑みとは打って変わり、研ぎ澄まされた刃のように鋭い。

「案ずるな」

 隆景は膝の上で両手を組む。

「わが毛利家は、天下を求めてはおらん」

 静かにそう言い切ると、官兵衛はわずかに眉を上げた。

 隆景は続ける。

「毛利家は天下を競望けいぼうせず。家の存続を第一と考える。――これは先々代当主、わが父・元就もとなりの遺言でもある。」

 その声には、どこか父を思い出す懐かしさと、守るべき誇りの重さがにじんでいた。

 しばしの沈黙。

 やがて隆景は盃を手に取り、くるりと中の酒を回してから、官兵衛に視線を向ける。

「官兵衛。桜殿が天下を握った場合、大名家は存続を許される……そう考えていて良いのじゃな?」

 官兵衛は目を伏せ、少しの間言葉を探すように息を整えた。

 やがてまっすぐに隆景を見返す。

「見ての通り、殿はまだ若輩。正直、未熟な面もみられます。」

 その声には、主を思う家臣としての真摯な重みがあった。

「ゆえに今なお、人々と出会い、そのたびにもがき、苦しんでおられます。

 ただ一つ――殿の願いは、争いのない、みなが笑って暮らせる世を作ること。」

 官兵衛はそこで一度言葉を切り、膝の上に置いた両手をぎゅっと握りしめた。

「今はまだ、それしか申し上げられませぬ。」

 隆景は静かに聞いていた。

 やがて、口の端をゆるめ、盃を口に運ぶ。

「……よかろう」

 柔らかくも重みのある一言が、ふたりの間に落ちた。

 火鉢の炭が「ぱちっ」と弾ける音が、妙に響く。

 そのまましばらく沈黙が続いたのち、隆景はふと思い出したように顔を上げた。

「そういえばもう一つ」

 唇にかすかな笑みを浮かべ、いたずらっぽく首をかしげる。

「桜殿の天下が成った時、わが当主――輝元には、何の役職を命じてもらえるのじゃ?」

「え?」

 唐突な問いに、官兵衛はぽかんと口を開ける。

 隆景はすかさず盃を置き、指で机を軽く叩いた。

「宇喜多殿から聞いたぞ。管領に任じてもらうとの約定をもらったと」

 官兵衛「……」

「形としては、毛利家は桜殿の天下取りに協力するのじゃ。何らかの約定があってしかるべきではないのかの?」

 隆景はまるで駆け引きを楽しむように、目を細めながら官兵衛の反応をうかがう。

 官兵衛は苦笑いを浮かべ、こめかみを押さえた。

「……殿と相談しておきます。」

 隆景はその返答に満足げに頷き、再び盃を口へ運んだ。


 夜は静かに更けていく。宴の間には、庭の方から虫の音がかすかに流れ込み、人々の間を通り抜けた。


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