表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赤松天翔物語①  作者: 姫笠
第二章 西国の覇者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

106/107

第十一話 終戦③

山陰地方―。

 戦場を覆う熱気と血の匂いの中、吉川元春は滝のように汗を流し、肩を荒く上下させていた。

 その巨躯はなお揺るぎなく立っていたが、息は深く、鎧の隙間から湯気が立ち上っている。


 対する善助、友信、又兵衛も、荒い息を吐きながら必死に立っていた。

 善助は刀を杖のように支え、肩で大きく息をし、額の血を拭うこともできない。

 友信は大槍に体を預けるようにしながらも、なお元春を睨み据えていた。

 そして又兵衛は、荒く息を吐きながらも、今にも飛びかからんと獣のように身を低くしている。

 そこへ、戦場の土煙を蹴立てながら伝令が駆け込んできた。

 乱れた息のまま元春の前に膝をつき、耳元で早口に報告する。

 元春の顔がわずかに動き、その低い声がもれる。

「……隆景が、敗れたか。」

 一瞬だけ瞳に哀しげな影を浮かべ、しかしすぐに槍を脇へ構え直すと、背後に控える供回りに静かに告げた。

「……撤収するぞ。」

 その背を見た又兵衛が、血走った目で叫んだ。

「やい! 待ちやがれ、てめえ!」

 元春は振り返り、ただ一瞥をくれる。

 又兵衛は荒く息を吐きながらも、一歩踏み出して吠えた。

「戦いはまだ終わっちゃいねえ!」

 その声には若さゆえの激情が宿り、善助と友信にまで突き刺さる。

 しかし、二人の体はすでに限界だった。

 刀や槍に体をあずけ、立っているのがやっとの状態。

「くっ……! てめえ! 俺と一騎打ちしやがれッ!」

 又兵衛の瞳は炎のように燃えていた。

 元春は黙して応えず。

 それに業を煮やした又兵衛が、ついに大地を蹴って飛び出した。

「でやああああーッ!!」

 若獅子の咆哮が戦場に響いた瞬間――善助がその前に立ちはだかった。

 動かぬ腕で必死に又兵衛を押さえ込み、背で衝撃を受け止める。

「待て、又兵衛!」

「姉御ッ! 邪魔すんな! 三人がかりで倒せねえなんて、こんな屈辱はねえんだよ!!」

 必死に吠える又兵衛の叫びを、善助は鋭く叩き潰す。

「私たちの役目は、吉川元春の足止めだ! 差し違える事ではない!!」

 又兵衛の顔に苦渋が走り、奥歯を噛み締める。

 その様を見ていた元春は、ふと若き日の自分を思い出す。

 無鉄砲に突き進み、兄を心配させ続けた己の姿を――。


「……猪武者よ。」


 静かに口を開いた元春の声に、又兵衛が目を見開く。

「年長者を、あまり困らせるでない。」

「な、なんだと……!」

「望むなら、いずれまた勝負してやろう。それまで、鍛錬を怠るなよ。」

 その言葉は、叱責ではなく諭すように響いた。

 又兵衛は悔しげに唇を震わせ、拳を握る。

「ぐっ……くっ……!」

 元春はそれ以上言葉を費やさず、鋭く号令を放った。

「撤退じゃ! 引けい!!」

 その声を合図に、吉川隊の兵たちは一糸乱れず動き出す。

 足並みを揃え、秩序を保ちながら、一斉に戦場を後にした。

 赤松軍の面々が立ち尽くす中、その背に漂うのは敗残の色ではなく、なお重々しい威容だった。



 瀬戸内海沿岸――小さな漁村。

「……ハッ」

 全登はまぶたを開けた。

 最後に覚えているのは、武吉との死闘の果て、船上で意識が遠のいた瞬間――。

 目に映ったのは、古びた木の梁と、潮と煙の混じった匂い。

 体をかすかに動かすと、藁敷きの布団がきしむ音がした。

 隣では、漁民と思しき夫婦が不安げな顔をしてのぞき込んでいる。

「全登様、傷が深ぇだ。まだ起き上がらんほうがいい」

 胸に手を当てると、布が幾重にも巻かれ、血はすでに止まっていた。

 どうやら応急処置を受けているらしい。

「……あなた方が手当をしてくださったのですね。ありがとうございます」

「めっそうもありません!それより……おらたちを海賊から守ってくださり、ありがとうございました。」

「……そうだ、なぜ私はここに……海賊達は!?」

 漁民の男は少し声をひそめた。

「手に大鎌を持った大男が、全登様をここまで運んできたんです。ひい……おっかねえ見た目でした。」

 漁民の男は大男の表情を思い出し、震えながら続けた。

「その男がこう言ったんです。『こいつが海賊からこの村を守った。手当をしてやれ』って」

(あの男……アイアン・メイデンの無数の針から急所を守っていたのか……。)

やはりあの男は只者ではない……。全登の胸の奥に、鈍く重たい感覚が広がる。

(でもなぜ私に情けを……。)

 漁民の男は、そんな全登の変化に気づかぬまま、言葉を続ける。

「……帰り際に、全登様に伝言しろと――そう言われました」

 全登は、顔をわずかに上げる。

「……伝言?」

「『最後に立っていたのは俺だ。だから俺の勝ちだ』って」

「……ムスッ」


 ――海賊船、甲板。

「おかしら、何も敵将なんて助けなくてもよかったんじゃ」

「毛利軍は既に撤退した。これじゃ略奪もできねぇ。俺は無益な殺生はしない主義なんだよ。」

 口元をわずかに緩めて、武吉はぽつりと付け加えた。

「……それにしても、かなり美人だったな、あの嬢ちゃん。連れて帰りゃよかったぜ」


 ――漁民の家。

 ……ブルッ

 背筋を走る悪寒を感じ、全登は思わず肩をすくめる。

「大丈夫ですか、全登様!? やっぱりまだ具合が……」

「い、いえ……大丈夫です」



 赤松家本陣―。

 本陣では、毛利軍本隊の撤退後も混乱と慌ただしさが続いていた。

 兵たちの呻き声、治療のために走る足音、血の匂いと焦げた草の臭気が入り混じり、戦場の余韻がなお漂っている。

「桜様!こちらにも傷の深い者が!」

「わかった!すぐに行くから、布で止血しておいて!」

 桜は立ち上がろうとするが、疲労で足がもつれ、兵に支えられて歩みを進めた。

 その姿は気力で立っているにすぎず、衣の袖は血に染まり、細い四肢にも小さな切り傷がいくつも刻まれていた。

 別所長治はその背を見送りながら、声を張る。

「別所兵も赤松兵の手当に回ってやれ!」

 そう命じたあと、鼻を鳴らしつつも小さく呟く。

「まったく……世話の焼ける姫様だ……ん?」

 ふと視線を巡らせると、戦場の隅で腰を支えうずくまる男の姿が目に入った。

 山名祐豊――年老いた当主は、刀を杖代わりにしながら顔をしかめている。

「あいたたた……腰が……」

 長治は肩をすくめ、苦笑混じりに言葉をかけた。

「歳なのに、ちと頑張りすぎですぞ、祐豊殿」


 そこへ官兵衛と政秀が手勢を率いて駆け込んできた。

「殿……! よくぞ……ご無事で……! うう……」

 政秀は言葉の途中で堪えきれず、涙をにじませ、声を震わせた。

 その横で官兵衛も桜の顔を見つめ、小さく息を漏らした。彼の目には安堵と信頼の色が滲んでいる。

「お見事です……殿。よくぞ援軍到着まで本陣を守って下さいました。」

「あ、官兵衛……それに政秀も。……よかった……本当に……」

 安堵に包まれた桜の声は小さく、震えていた。

 その瞬間、これまで必死に張り詰めていた糸が切れたかのように、彼女の体は力なく崩れ落ちる。

 官兵衛と政秀が慌てて支えに回った。

「あとは念術師たちにまかせて、お休みください。」

 官兵衛の声に安心し、桜の瞳がゆっくりと閉じていく。

 戦いの余韻の中、兵たちは彼女の姿を守るように円陣を作り、跪いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ