地に足のついた女と、張りつく男
「……なんでファンレターばっかりなのよ」
その呟きは、豪奢なドレープカーテンに吸い込まれていった。
リリィ・ナーガ・ラングドン、十六歳の公爵令嬢。
教養も礼節も愛想もあり、“対外的には”申し分のない令嬢である。
だが、その中身は──
鹿児島・筒羽野町役場で働いていた20代公務員、上水流百合。
朝は霧の中を出勤し、牛の散歩に道を譲り、ときどき豚のトラックに鼻をやられる。
建設課でインフラ整備や災害復旧に明け暮れ、
時には部下のメンタルケアまで背負いながら、現場をなんとか回してきた──
たぶん、誰よりも「地に足のついた」人生を送っていたのだろう。
そんな風に、前の世界での記憶は確かだ。
だが、この世界に来たきっかけだけは、どうしても思い出せない。
よくある転生ものなら、突然の死や唐突な召喚、神様からのご指名──
などと、"きっかけ"ははっきりしているものだが、
リリィの場合はそうではないらしい。
そのため──
この舞台は、夢なのか、物語なのか、それとも──逃げられない現実なのか。彼女は長い間考え続けていた。
しかし、十年経っても答えは出ないどころか、この世界はますます「役割」を押しつけてくる。
だからこそ、リリィは決めた。
ヒロインの座など降りてやると。
できる限り嫌われて、この国の中心から外れてやろうと。
やってはみたものの──
・世界観クラッシャーみたいな商品を企画して炎上を狙い──大ヒット。
・お偉いさん相手に失礼な態度をとり──「こんなお嬢さんが、真剣に叱ってくださるなんて…!」と感涙される。
・庶民の集会に突撃して場を乱し──「公爵令嬢が直々に!」と拍手喝采。
なぜ、なぜそうなるのか。リリィ自身もわからなかった。
本日、リリィは手紙や贈り物の確認作業中。
目立つパレードに引っ張り出されたリリィは、
今回ばかりは、愛憎入り乱れた手紙のひとつやふたつ、あるだろうと期待していた。
ハンカチを口に巻いて軍手をはめ、完全防備でワクワクしながら開封していたが、出てくるのは全部ファンレター。
(……え、カミソリの刃とか、愛情入りのチョコとか、入ってないの?)
何度も書き直したらしき、鉛筆の跡のある丁寧な手紙や、
四つ角がぴっちり綺麗に折られたものもある。
(いやもう、偉大なる愛を感じる。)
特に目を引いたのは、色鉛筆で描かれた、リリィとレインらしき似顔絵付きの一通。
「おうちのパンはみんなをえがおにします。おうじさまとりりいさまもたべてほしいです。」
(パン屋のお子さんか……可愛い。いつか、こっそり買いに行けるかな。)
心ほぐれ、微笑みがこぼれた瞬間──
机の上でとぐろを巻いていた白蛇・パンニャが、のんびりと言った。
「りりぃ、うえ〜」
「え?」
「やあ、今日も麗しいね。マイレディ」
「ッッッ!?」
声に反射的に顔を上げると、そこには──
天井に張りつく王子レインがいた。
大の字で張りつきながら爽やかに微笑んでいる。
「うわぁ、クモみたい……」
リリィは面倒くさそうに無視し、開封作業を続けた。
パンニャはリリィの頭にぴょこんと乗り、くるりと身をひねって言った。
「れいん、またきたの〜?」
「うん、来たの。ありがとう、パンニャ。君だけはいつも歓迎してくれるね」
パンニャは相変わらずリリィのそばに現れる。
子どもみたいに無邪気で、いつもニコニコしている。
そして、レインとリリィの関係を「仲良しさん」だと本気で信じている。
(長い付き合いだけど、パンニャの知能はずっとこどもみたいだし。察せってのも酷か。
でもまあ、この変態チート王子の気配にすぐ気づいてくれるのは助かる。)
「ぱんにゃは りりぃがすきだから りりぃをすきなひともすき〜」
「そうか。じゃあ僕は、もっとリリィに好かれるように頑張らなきゃね」
──声の位置が、背後に変わった。
(いま後ろにいるな。しかも、多分……めっちゃ近い。)
彼女は決してレインが嫌いなわけではない。
見た目は整っているし、仕事もでき、真面目だ。だが──
ヤンデレ属性がついてくるなら話は別である。




