婚約者からキャンセルします
空気を読まないやたら艶っぽい声に、リリィの肩がぴくりと跳ねた。
(うわやべ、しまった……)
「そう、リリィは僕の“婚約者”(※超強調)だよ。けれど、心はもう夫婦だからね。僕の“お嫁さん”で合ってるよ」
そう言いながら、レインは当然のようにリリィの肩へ手を回し、ぐいと抱き寄せる。
リリィは反射的に顔をしかめた。
「わぁ、“およめさん”で合ってたんだ〜!」
パンニャが嬉しそうに跳ねる。
「合ってません」
冷ややかに言いながら、リリィはするりとその腕をすり抜けた。
「今日のドレス、すごく似合ってる。まるで天使の化身だ」
「……レイン殿下。今は人前です。あと天使ではないです。」
「知ってるよ。女神だろう?」
(あ゛ーーーもう!)
リリィは口元をひきつらせたまま、内心で絶叫する。
ひとまず怒鳴りたい衝動をグッと抑え、深呼吸をひとつ。
(──落ち着け、今は公務中。せめて、今だけは“まともな婚約者”を演じきらないと。)
……でも、限界は近い。
この男とは、幼い頃から顔を合わせてきた。
頑張って公爵令嬢の仮面をつけているのに──この王子の前では、もうずっと“素”が出ている。
レインがうっとりとした顔で呟く。
「“婚約者”……うん、いい響きだ」
「まだ余韻を噛み締めてる……」
パンニャが無邪気に尻尾をぱたぱたと揺らす。
「いってよかったねっ、リリィ!」
「後悔してる」
頭を抱えるリリィに、王子はさらに畳みかける。
「マイレディ。次は“妻”って呼ばせてくれるのはいつ?」
「婚約者からキャンセルします」
「ふたりはもう、なかよしふうふってことだね!」
「くそっ……」
この白蛇、雰囲気で同調してやがる。
もはやまともな会話は望めそうにない。リリィは話題を逸らすように、さっと視線を窓の外へ移した。
「あ〜……お外、綺麗だね!」
リリィの声に、パンニャも一拍遅れて反応する。
「えっ?ほんとだ!すご〜い!」
沿道のあちこちから、「リリィ様、本当にお美しい!」「まさに国の誇りだ!」といった声が飛び交っていた。色とりどりの花が投げられ、鐘の音が祝祭のリズムを刻む。
(──いや、私はこの国の人間ですらないんだけど……)
リリィは内心困惑していた。
だが、その裏腹に振る舞う笑顔は、婚約者として完璧なものだった。
「この国の民は、こうして王族の幸せを祝ってくださるのですよ。たとえ、貴女が望もうと望むまいと──これは“そういう運命”なのです」
レインの笑顔は、何かの宗教の演説のように“圧”を持って迫ってくる。
「……。」
無言でガン無視。
(ああもう……胸焼けする。てか執着やばくない?作者の趣味?)
リリィは、表面上はきちんと「公爵令嬢リリィ」を演じてきたつもりだった。
誰にも波風を立てず、清く、正しく、そして品よく。
なのに──
この王子は、最初からそれを見抜いていた。
リリィの現実的で冷めた言葉も、素っ気ない態度も、
「それがたまらない」と公言しながら、嬉々として受け止めてくる。
優しい?……いや、変態だ。
普通なら、「公爵令嬢なのに品がない」とか、「王太子なのに逸脱している」とか、眉をひそめられてもおかしくない。にもかかわらず──
「おふたりとも飾らぬお人柄で、親しみやすいです」
「まるで理想のご夫婦のようですね」
「公爵令嬢の鋭いご指摘も、王太子殿下のご反応も……微笑ましい限りです」
などと、ズレた称賛を浴びせられる始末。
(いやいやいや。忖度?見て見ぬふり?それとも集団幻覚?)
もうツッコミが追いつかない。
だからリリィはいつも思っていた。
(……ほんと、この世界、どこか歪んでる。)




