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鞦韆の上

 あまり運動神経がよくないし、他の子どもたちがうるさいもんで、幼い頃から公園に行くのを好まなかった。けれど、祖父母宅の近くにある公園だけはよかった。住宅街にぽかんと空いた数坪の空き地。遊具も簡単な滑り台とブランコだけだ。

 その住宅街には子どもが少なく、公園にはいつ行ったって誰もいない。順番待ちも当然ないから、大して漕ぎもしないブランコの上でゆらゆらと風に吹かれていても、決して邪魔されることはなかった。視線の先に青空だけを広げては、そこを空想のカンヴァスにしてみる。世界に僕しかいないみたいな沈黙に乗り込み、微かな鳥の囀りに合わせて呼吸の音をさせるんだ。


 祖父母の家に行くときは、決まって何かしら「大人の用事」があるもんだから、僕は気にも留められない。今日だって壊れたテレビの買い替えにあたり、どんなものがいいかだとか、その前にテレビボードから買い替えなくてはならないんじゃないかとか、母と祖母が言い争いをしていた。ここが地元でもない小学生に友だちなんているはずもないのに、公園に行ってくると言ったところで「暗くなる前に帰るのよ」とだけ言われる。心配されないのが少々不服で、聞こえないように舌打ちをしてから、勢いを殺してドアを閉めた。それが、たしか一時間前のこと。蒸し暑かった夏が嘘みたいに、少しずつ秋の訪れを感じさせる肌寒さがあった。

 僕がずっとこうしていたら、迎えに来てくれるんだろうか。角を一度曲がってすぐ辿り着くほんの二分の道のりを、今日は一人で帰りたくなかった。その辺で拾った桜の木の棒は頑丈な上、表面にきらりと光沢がある。まるで魔法の杖みたいだと気に入った。とはいえ、家に持ち帰ったら怒られそうだし、迎えに来た母に自慢しようではないか。口論に終始した母の顔を思い出しながらそんな理由を繕って、日が暮れるのを待っていた。

 揺れて揺れて、どんなことを考えて過ごそうか、ということを考える。携帯ゲーム機でも持ってくればよかっただろうか。でも、そんなことでしか時間を潰せないのも子どもっぽいと思えて嫌だった。こうして誰もいない公園で遊べる自分は高尚に思える。それは鬼ごっこやら縄跳びやらに熱中する同級生を小馬鹿にするような意図かもしれない。気に入りの木の棒で、地面にくるくる模様を書いて、次第に文字を書き始める。数式だとか、難読漢字だとか。

 そうだ、ブランコってどう書くんだったかな。最近知ったばかりのはずなのに思い出せないことに歯痒さがあった。枝で書いては足で消すのを繰り返す。闇のなかから手探りで探し出し、文字が形を成したときはいくらか高揚した。鞦韆。音読みが「シュウセン」であることを思い出して、なんとか書けた。「韆」の字の旁を新字体の「遷」で書いてしまった気がするが、そのときは達成感があったんだから別にいい。


 「しゅうせん、しゅうせん…」と、もう忘れないように頭の中で反芻させていると「終戦」の方が頭に過った。八月十五日は終戦の日である。敗戦の日ではないのかとか、追憶の日とする方がよいのではないかとか、はたまた前日なのではないかとか、色々な議論があることは知っていたが、小学生の僕には実感して感じられる問題ではなかった。

 大きく振れれば、それだけ大きな力を付けて元いた場所を通過する。何度も何度も繰り返し重い鉄板が通過する。みんなはそんなスリルを求めて面白がるけれど、僕はそこに危うさを感じてしまうんだ。ただひたすらに、シュウセンの上でゆらゆらと、平和の風を受けている方が僕には似合っていると思えた。

 「上手く漕げないなら順番変わって」と言われた幼稚園児の頃から、僕は誰もいないこの公園が好きになった。誰でも一緒に遊ぶことはできないのだろうか。ブランコは上手く漕げないと乗ってはならないのだろうか。自分の方ができると見せつけることや、意味のある一瞬を積み重ねることをしないと、僕らは幸せになれないのだろうか。茫然と空を見上げて、キラキラした枝を大切にして、心を見つめる時間があることが、人間の幸せなんじゃないのだろうか。遠くにありそうな平和を見つめて、無駄に大きなスケールで初めてそんなことを考えた夕暮れ時だった。


 まださほど暗くはなっていなかったけれど、遠くから母の足音がした。向こうの大きな公園よりも、こっちの方が好きなんだねと、ぼーっとしていた僕にいきなり話しかけてくる。少しだけ驚いて、「やあ、よくぞ来たな」と悪魔のような声を出し、魔法の杖を向けた。母は軽く笑ってから、僕の隣に腰をかけて「ブランコなんていつぶりかな」と一生懸命に漕いでみせるが、今一つ大きく揺れなかった。

 「終戦した?」僕が後ろに回り込んで背中を押しながらそう訊くと、噛み締めるように一層微笑んでみせて「おばあちゃんとは喧嘩していたわけじゃないから大丈夫だよ。大きな声を出していてごめんね。」と優しげに答えてくれた。僕は繰り返し繰り返し背中を押して、その温度を確かめていた。


 あのとき拾った枝は、母に自慢をしたら持って帰ることを許されて、今でもまだ捨てていない。僕にとっては平和の象徴なのだ。時代の鞦韆の上で僕らはまた平和の幻想を眺めながら揺られている。何度同じ場所を通過しようと、世界を面白がる好奇心と人との愛しき繋がりが、今日も僕らを動かしている。

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