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青い願い事

 願いを書いた短冊を笹の葉に飾った経験は、今までに六回ほどある。初めては文字を書けるかも定かでない幼稚園に入るより前の頃。ショッピングモールでやっていたイベントに参加して、意味もよくわからず「だいすき」と書いたらしいが、記憶は淡く溶けてしまっている。それから少し飛んで、年中、年長、小学一二年生の頃は、幼稚園や学校で書かされたものだ。


 ところで僕の人格は、幼稚園児の頃と小学生の頃とで、かなり変わったような気がする。母親頼りでわんわん泣いてばかりいたのが、就学すると突然、いわゆる中二病のような、ありとあらゆることを斜めに捉えてやろうとする人間になった。

 それは七夕の短冊にもよく表れている。幼稚園児の僕は、自分を表現することが苦手で「どんな願いを持っているのか」ということを周りに知られるのも恥ずかしがっていた。だから当たり障りなく、健康を願ったりするのが精一杯だったけれど、小学二年生になれば、打って変わって気持ちいいくらいにイキリ散らかしてしまった。そのことは今でも七夕が来るたびに古傷が疼くように思い出される。


 「足が速くなりたい」「ゲームが欲しい」「テストで毎回100点」と、次々とクラスメイトの願い事が並んでいくなか、僕は一風変わったことを書きたくて仕方なかった。他の小学生なんかと同じでたまるかと青い衒いに支配されていたんだろう。右手に持った油性マジックは、硬く結んだ唇と同じように少しずつ乾いてしまう。それほど真剣に水色の短冊に向き合っていた。けれど、一人、また一人と、机を離れて小さな笹に短冊を飾りに行くと、わずかな焦りが生まれて心臓はせっかちになった。余計に上手い願いは思いつかなそうである。むしろ時間が掛かってしまう方が無能だと言われている気分もした。

 すると、ある女の子が「私はそんなに叶えたいことはないから『ここにある願いが全部叶いますように』って書いた。」と、友だちに話している声が聞こえた。僕はそれに対して、小学生が書きそうなろくでもない願い事よりはメタ的で面白いと、表情に出さず感心して、さらにパラドックスを生じさせるものを思いついた。


──ここにある願いが全部叶いませんように


 それを書いていたときの僕は、きっと気味の悪いしたり顔を浮かべていたに違いない。彼女が望むように、ある願いが達成されたとすると、僕のこの願いは達成されないから、すべての願いは必ず達成できない。今思うと「ここにある願いには叶わないものが存在しますように」とした方が、きれいに逆を言えているが、さすがに七歳のクオリティである。

 人の望みというものは、誰かにとっては望まざることであって、全員が満足できる社会なんて決して形成されることはないのだ。そんなメッセージ性に富んだ上手い回答だと当時の僕は確信した。湧き上がる感情に名前をつけたいとさえ思える。

 しかし、そんな満足感は虚しく、飾ろうとするや否や担任に止められてしまった。とても優しく「こんなことを書いてはいけない」「みんなと仲良く」みたいな至極真っ当なことを言っていたが、当時の僕には響かなかった。さりとて、今のようにベラベラと自分の思いを口で伝えるスキルも持ち合わせていなかったから、新しいピンク色の短冊を渡されると、言葉にできないまま、すんなりと受け取ってしまう。水色の短冊の方は軽く丸めて、乱雑にゴミ箱に放り投げた。「負けたくない」そんな思いを燃料に僕の頭は回りに回って、力を込めてこう書いた。


──ここに飾られなかった願いも一つ残らず叶いますように


 この短冊だけを見ても悪いものだとは思われない。それでいて、ゴミ箱で丸まった僕の傑作を甦らせるための願いだった。もう一度、気味の悪いしたり顔を浮かべてそれを飾り、さらなる満足感を得ることができたことを覚えている。


 数日が経って、笹の葉を撤去することになった日、初めに聖人君子のような願いを書いた例の女の子が、みんなの短冊を一つ一つ見ている姿があった。そして僕に向かって「あのとき時間が掛かっていたから、私の真似をしたんだね。」と笑いかけてきた。本質的にまったく違う意図を込めたというのに、同じものだと見なされることには腹が立つ。早口に否定する言葉を並べたが、それを面白がった男子たちからもと揶揄われてしまった。その日は星空も見えない雨の日だった。


 奇を衒おうとするばかりで、結局は恥ずかしい思いで終わった七夕の記憶。それを最後に、短冊に願いを書くということはなくなっていたが、最近になって子どもたちと関わることが増え、イベントを作る側になった。そこで僕にも、せっかくならと短冊が渡されたのだ。

 願いはそのすべてが「叶う」か「叶わない」かに価値を置くものではないと、今の僕は言うことができる。一風変わったことをしたい青さのように、繰り返しを断ち切ろうと何かを望むエネルギーそのものが、未来の社会にとって必要なのだ。幼い頃の微かに痛くて、仄かに苦い思い出も、僕を成長させてくれた大切なものだと溶かし切らないで噛み締めていたい。そんな回想をしながら、ゆったりと昔よりも整った文字で書いた。


──みんながすべての願いに誇りを持てますように

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