6 狐の祟り
狐は祟る。そんな言い伝えはいつから生まれたのだろうか。
狐ノ葉深玖は黄金に輝く、美しい九尾の狐の異能持ちだった。ハジメは彼女に初めて出会った時に、深玖の事を古の女神かと思ってしまった程だった。
夫を亡くし、三人の子供を連れた彼女がひっそりと住み着いていた、山奥の廃村。行く宛てを無くしたハジメと妻子は深玖に導かれ、その村に辿り着き、そこを居住地とした。
『この子達は、私の宝物。』
深玖は子供達を心の底から愛していた。
だから、異能審査会に捕らえられても子供達を離そうとしなかった。
しかしふとした拍子に引き離され、深玖は発狂した。
怒り狂い、暴れ回った。
そして、研究員達に撃ち殺された。
やむを得ない、苦渋の決断による殺処分だったと、研究員達は言っていた。
やむを得なかっただと?嘘をつけ。本当は邪魔になったから殺したのだろう。
深玖の遺体を前にした時、ハジメはその言葉を飲み込む事しかできなかった。
「……ん、ここがさっき写真で見せたとこだよ。」
エルフリーデが立ち止まったのは、焼け落ちた一軒家の前だった。焦げた柱が立ち、炭と化した屋根が地面に落ちている。黄色い規制線が張られているからか、余計に哀れに見えてしまう。
「二日くらい前かな、ここは。他にも不審火がこの一週間で十件くらい?家が全焼したのはここを含めて三軒だよ。」
エルフリーデの説明を聞きながら、ハジメ達は呆然とその現場を見つめていた。
「で、どう?子狐さん。何かいる?」
エルフリーデの問いに、十火はハッと我に返る。
「今は……何もいません。でも……でも、お母さんのにおいがほんの少しだけ……。」
震えた声で話す十火を、謡野が優しく抱き寄せた。十火は真っ青な顔をして、その場に立ちすくんでいる。
「狐ノ葉深玖の魂は厄介だってねぇ。この国じゃ怨霊、って言うんだっけ?不審火以外にも、野良猫達が怪我したり、夜中に恐ろしい呻き声が聞こえたり、突然物が壊れたり……まあ色々続いててね。」
エルフリーデは腕組みをしながら、焼け落ちた家を見つめていた。あまりいい気分ではない、とでも言いたげな表情を浮かべている。自分の縄張りも同然のこの町に危害を加えられて、心底迷惑しているのだろう。
『―――道中でお世話になればと思いましたが……。まさか深玖さんがここまでやって来ているとは、私も驚きましたよ。』
ハジメの真横を漂っていた厘から、永遠のため息混じりの声が聞こえてきた。
「お、永遠さん起きた?久しぶりだね!」
厘から永遠の声が聞こえる事を不思議に思う事なく、エルフリーデは永遠に挨拶する。
永遠は彼女自身の異能に異常が起きているのか、近年は睡眠時間が増えつつある。起床時も極度の疲労感に襲われる事がしばしばで、こうして起きて会話できるのも時間が限られていた。
彼女の力や知恵なしではどうにもならない事も多い為、ハジメは永遠が目覚めた事に少しの安堵感を覚えていた。
「………ハジメさん。」
エルフリーデと永遠が語らっているのを横目に、十火が不安げにハジメの服を掴む。
「………お母さん、今度こそ私を見つけてくれるかな……?」
目を潤ませ、唇を噛みしめる十火。実年齢に見合わぬ幼子のようなその仕草に、ハジメが胸を痛めるのはこれが初めてではない。
―――深玖の魂は、愛する我が子を認識する事ができなくなっている。
それに気付いたのは、初めて深玖の魂と接触した時の事だった。
いわゆる"怨霊"と化していた深玖の魂。彼女の声は、絶え間なく我が子達の名を呼んでいた。獣の咆哮と人間の慟哭が混じったような、痛々しい叫び声。我が子達を探して暴走しているのは、永遠に教えられずとも明らかだった。
なのに、いくら十火が呼んでも、深玖は答えなかった。
それから深玖を見つける度に、何度も十火は母を呼び、手を伸ばした。だが、深玖が十火を見つける事は一度もなかった。
数度接触したにも関わらず、深玖を救ってやれなかったのはそれが大きな原因だ。
「……保証はできない。でも大丈夫。何度でも救えばいい。深玖さんだって、愛する我が子をこれ以上傷付けたくないはず。それは俺がよくわかってる。」
愛する我が子と離れ離れになってしまった心の痛みは、言葉では言い表せない。ハジメはそれをよく理解できていた。ずっと一緒に暮らせると思っていた妻子と離れざるを得なくなったからこそ、深玖と十火の痛みがわからないはずなかった。
「…………んで、狐ノ葉深玖の話に戻すんだけど。」
エルフリーデが一同の方を振り返って、自分の手の平を開く仕草をした。すると、彼女の右手が黄色く光る球状のもので覆われた。半透明のそれは棒付きキャンディの包み紙のように、エルフリーデの右手をすっぽり包んでいる。
「こんな感じで、私の異能によってこの町にはバリアが張られていてね。私の匙加減で通すものを決めているんだ。ただやっぱり、魂を相手にする事は難しくてね。狐ノ葉深玖には入り込まれてしまった。けど彼女をここに留めおく事もできない訳だから、君達が相手になってくれても狐ノ葉深玖には逃げられてしまう可能性の方が高い。」
それでも、と、エルフリーデは右手をハジメ達に向けた。彼女の右手のバリアが消えたかと思えば、ハジメ達の周りに同じようなバリアが張られる。
「……君達はここで狐ノ葉深玖に会うべきだろう。私の異能なら、物理的な攻撃からはある程度守ってあげられる。頼まれてくれるかい?狐ノ葉深玖の怨霊をどうにかしてくれるのを。」
バリアはすぐに、ハジメ達の目には見えなくなった。
難攻不落の守護エルフは、まっすぐこちらを向いていた。信頼の眼差しではない。この町を護り続けなければならないという、使命感を湛えた目だった。
「もちろんです。その為に、ここへ来たのですから。」
十火が答えた。焔のような紅い目に、涙を滲ませたまま。エルフリーデの金色の目が、母の毛並みと重なって見えたのかもしれない。十火はエルフリーデの目をしっかりと見つめていた。
『強かな子ですよ、十火さんは。エルフリーデさん、よろしくお願いしますね。私もできるだけ手助けはいたしますから。』
永遠が言うと、エルフリーデはにぃっと笑った。
「素晴らしい!君みたいな子、嫌いじゃないよ!だが今日は長いこと歩いて疲れたろう?うちに止めてあげるから、明日から仕事に取り掛かろうか!」
エルフリーデは機嫌良さげに笑い声を上げながら、来た道を戻り始めた。
「変な人。本当に自分の事エルフだと思ってるみたい。」
ボソリと呟いた謡野の腕の中で、厘が呆れたように炎の尾を下げた。
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「―――それでねそれでね、おやまはみどりで、ときどきピンクなの。」
夜。エルフリーデの家で風呂に入れてもらったハジメがリビングに戻ると、床のあちこちに紙とクレヨン、鉛筆が転がっていた。そして一心不乱に絵を描きながら、ツミとバツがエルフリーデにひたすら話しかけていた。
「そうかそうか。お山は全部緑じゃないんだね。ピンク色は春の桜かな?」
エルフリーデも床に転がりながら、ツミとバツの絵を楽しげに眺めていた。弥生は近くのソファーに腰掛けたまま寝息を立てていて、謡野と十火は二人で頭を寄せあってこの町の地図を真剣に読んでいた。
「良いお湯でした、エルフリーデさん。……ツミちゃん、バツちゃん、あんまりエルフリーデさんに迷惑かけちゃダメだよ。」
髪をタオルで拭きながらハジメが言うと、床に転がっていた三人が一斉に顔を上げた。
「お、ハジメ君。別に大丈夫だよ。よく町のチビ達の面倒見てるし、これくらい慣れっこだよ。それに私、子供が大好きだからね。」
エルフリーデが隣にいたバツの頭を撫でると、バツは嬉しそうにきゃっきゃっと笑い声を上げた。
「そういえば……明日からの仕事は危険だろうから、この子達は連れていく訳にはいかないよね。君達四人の内、二人がここに残ってこの子達の面倒を見るのはどうだい?数日かかるだろうから、日替わりでこの子達の面倒を見ればいいと思うんだ。それとも、やっぱりお父さんと一緒がいいかな?」
エルフリーデが提案すると、それまで眠っていたはずの弥生が顔を上げた。
「僕が残ってこの子達の面倒見ます。やっぱり、父親である僕が世話すべきだと思うんで。ハジメさん達は深玖さんの事をよろしくお願いします。」
「ん、そっか。いいよ。ただ私もハジメ君達に同行するから、しっかり留守を頼むよ弥生君。入っちゃダメなとことか、触っちゃいけないものとかは後で教えるね。」
弥生とエルフリーデが話し終わったのを見計らい、ツミが「おとうさん、こっちこっち!」と手招きをした。
その様子を眺めながら、ハジメはため息をつきながらソファーに腰掛けた。
「……七桜ちゃんが今のこの子達見たら、何て言うんだろうなぁ。」
ハジメの憂いに満ちた呟きは、誰にも聞こえる事はなかった。
「……すごい!これ、ツミが描いたの?上手だね!」
自信満々にツミが見せてきた絵を見て、弥生は思わず感動の言葉を口に出した。
紙の上には、幼児特有のたどたどしい絵柄で、大きな人間と小さな人間が二人ずつ描かれていた。小さな人間はグレーのクレヨンで髪が塗られていて、大きな人間の片方は頭から熊の耳がぴょこんと飛び出している。そしてもう片方の大きな人間は、ピンク色の髪、黒い右目、白い左目をしていた。
「おお、可愛らしいね!これは一体、誰を描いたんだい?」
エルフリーデが紙を覗き込みながら尋ねた。するとツミは満面の笑みを浮かべながらひとつひとつの絵を指差した。
「これがツミ。これがバツ。これがおとうさんで、これがおかあさん!」
「――――ねぇ十火。何処にいるの?」
黄金の尾が、風間に揺らめく。
「何処にいるの?私の十火。私の士草。私の水十二。」
獣の息遣いに、驚いた野良猫がぎゃーおと叫びながら逃げ出す。
「何処に連れて行ってしまったの?ねぇ返してよ。私の大切な子供達を返してよ。」
禍々しい空気が、ぐるぐる渦巻いて沈んでゆく。
「――――何でいつも、私から幸せを奪ってゆくの?」




