4 失われたもの
異能審査会。それは、この世界に存在する異能持ち達の研究を行う機関だ。
この国ではごく稀に異能持ちが生まれてくる。その頻度は一年で四、五人程度だと言われているが、正確な数は明らかになっていない。
初めて異能持ちが確認されたのは、今から約千年前。記録によれば、「神の使う武器を何処からともなく取り出し、敵を薙ぎ払った」という異能持ちらしい。そして驚くべき事に、その"異能持ちの始祖"は今現在も存命だと言う。
異能審査会はそんな異能持ち達に目をつけ、研究を行っている。
異能持ち達はその特性故世間から排他されやすく、戸籍を持たぬ者も多い。異能審査会は行く宛てのない彼らを保護し、支援している。そして異能持ちとそうでない大多数の者達との共生社会を目指し、世間に異能持ちの差別撤廃を訴えかけていた。
しかしそれは、表向きの事。
その裏で、異能審査会は非人道的な人体実験やら被検体達への虐待やらを繰り返していた。
―――かつてハジメ達が住んでいたのは、山の中、人里離れた小さな小さな村だった。
世間から排他され、迫害され、見放された異能持ち達が集い、最後に辿り着く場所だった。
住人は異能持ちが十二人、持たざる者が三人の、合計十五人だった。
ハジメと、彼の異能を持たない妻、娘、息子の癒糸一家。深玖とその子供達三人――十火、士草、水十二の狐ノ葉一家。そして弐ツ穴狛阿、氷熊弥生、木蔦エイプリル、五月雨清彩、濡鴉六爪、彩色七桜、捌ヶ音謡野。
村の周囲を狛阿が掘った深い穴で囲み、その内側は目隠しのようにエイプリルが作ったサザンカの垣根で囲い、外から誰も邪魔して来ないように、隠れるように過ごしていた。傷付いた過去を持つ皆が互いを癒すように、愛を求めるように、慎ましくも幸せに暮らしていたのだ。
―――その中で、七桜だけが心を閉ざし続けていた。
いや、閉ざしていたと言うには語弊があるかもしれない。
七桜は、「色を変える」という、地味な異能の持ち主だった。傷を癒したり、植物を操ったりする他の村民とは違い、実用性のわからない役立たずの異能、と本人はいつも言っていた。
だからなのだろうか、いつも自身を卑下し嫌っていた。
七桜とハジメの出会いは、ある山の崖下。瀕死の状態で倒れていた七桜の傷を癒したのが始まりだった。
それからなんやかんやあって村に辿り着いたが、七桜はずっと悲しそうな顔で黙り、誰とも会話しようとしなかった。不意に口を開いたかと思えば、私捨てられたの、とだけ零した。
「私、こんなくだらない、何の役にも立たない異能を持っただけで、他の人の何十倍もの時間を生きなきゃいけないの?なら、私なんて死ねばよかったのに。」
怪我をした娘の傷を癒すハジメを見た時、七桜はそう呟いていた。七桜は自分の事について、話をしたがらなかった。
そんな七桜を気にかける者がいた。
六爪と清彩。七桜とは歳が近く、若い三人はいつも一緒に過ごしていた。
「七桜。私の髪の色、変えてよ。」
六爪が七桜にそう頼んだ。その言葉に、七桜の心は少し揺らいだのかもしれない。
黒い羽根が所々飛び出した濡鴉色の自分の髪を、六爪は酷く嫌っていた。だから、七桜に変えて欲しいと頼んだらしい。
「七桜みたいな、桜色の髪がいいな。そんなに綺麗なの、羨ましいなあって。桜ってね、"優れた美人"っていう花言葉があるんだって。いいなあ、私も七桜みたいに美人になりたい。」
愛らしい童顔でにっこり笑う六爪は、自分の過去を浄化しようと七桜に縋っていたのかもしれない。しかし七桜は、六爪の願いを断った。
「私の方こそ、君が羨ましいよ。そんなに綺麗に笑えるんだもの。それに鴉は賢い。目だって良い。私なんかよりずっとずっと広い世界を、君は知ってるんだよ。私も、君になりたい。」
六爪にそう返していたのを、ハジメは近くの木陰からこっそり聞いていた。その時の六爪の驚いた顔は忘れられない。
それを聞いてどう思ったのか知らないが、六爪は七桜にすっかり懐いたようだった。まるで雛鳥が初めて目にしたものを興味津々でつつく時のように、六爪は七桜に頻繁に話しかけていた。
その内、そこに清彩も混じるようになっていた。若い三人は気付けばいつも一緒に行動して、遊んでいた。七桜がようやく笑うようになったのも、三人で過ごす事が増え始めた時期だった。
相変わらず自身の事について語ろうとしなかったが、七桜はすっかり村民達の間に溶け込んでいた。村民皆の事を、大切な家族だと言ってくれた時、ハジメも村民全員も、心の底から嬉しかった。
「ねえ七桜、ずっと一緒にいてよ。私今まで、誰もずっと一緒にいてくれなかったからさ。七桜と一緒がいい。」
「私も。誰も一緒にいてくれなかった。ずっと一緒だよ、六爪。例え死んでも。」
過去の悲しみを拭いきれる訳ではない。だが、今を皆で笑えたらそれで良かったのだ。
ハジメは村長として村民達を見守りながら、幸せを願っていた。
「ハジメさん、俺、あの人と結婚したいんだ。ハジメさんと奥さんは、どうやって結婚する事になったの?」
「秘密にしてくださいね、ハジメさん。…………僕、七桜ちゃんの事が好きなんです。」
「ハジメさん知ってます?六爪ちゃん……清彩君の事が好きみたい。だって、昔の私にそっくりだもの。」
「見てくださいハジメさん!こんなに大きな魚がとれたんです!六爪と七桜が手伝ってくれたんですよ!」
「ハジメさんの子供達、子守唄もういらないの?そっか……ちょっと残念。」
「愛してるよ、あたしの可愛い子狐達。」
「お母さん、私も愛してるよ。」
「母さん、母さん。俺、母さんの子になれてすごく幸せ。」
「私も幸せ。お母さんのところに生まれて良かった。」
「おかえりハジメ!子供達!お父さんが帰って来たよ!」
「パパ、おかえりなさい!今日の夕食は私が作ったんだよ!」
「父さん遅い!早く一緒に夕食食べよう!」
ようやく手に入れた平穏だったのに。大切なものはいつも、それを知らない何かに崩される。
ある日、七桜が何処かへ消えた。
六爪と清彩がそれを心配して、村の外へ探しに行った。それっきり帰って来なかった。
六爪と清彩がいなくなった次の日、異能審査会の研究員を名乗る人物が現れた。彩色七桜は何処にいるのか?と尋ねられた時、ハジメはその研究員から悪意と危機感を感じ取った。異能審査会の良くない噂は少なからず聞いていたから、その恐怖はひとしおだった。ハジメは研究員を怒鳴りつけ、追い返した。
その次の日、一部のサザンカの垣根が壊され、村の一番奥に住んでいたエイプリルがいなくなっていた。残っていた見知らぬ足跡に、エイプリルが攫われた、と理解するのに時間はかからなかった。
それから三日と経たぬ内に、今度は狛阿が姿を消した。村の一番外側で警戒にあたっていた彼の悲鳴を聞いてハジメが駆けつけた時、既に狛阿はいなくなっていた。
そのすぐ後、先日の研究員が再び訪ねてきた。そして、異能持ちの未来の為に実験に協力して欲しい、と言ってきた。
ハジメはそこで全て悟った。狛阿やエイプリルを攫ったのが異能審査会だという事に。
仲間達を返せと怒鳴っても、研究員はしらばっくれるだけでこちらの怒りを煽った。結局その日も研究員を追い返し、ハジメ達はいなくなった仲間達の捜索を続けるしかなかった。
が。
数日後、仲間達を探しに行っていた謡野が傷だらけで怯えた表情をして帰って来た。
「七桜さんが、七桜さんが……!あ、異能審査会に捕まりそうになってて……!それでっ……弥生さんが……!」
発見した七桜は、異能審査会の研究員に捕まりそうになっていたらしい。そこを弥生が庇い、七桜と謡野は這う這うの体で逃げ出したのだと言う。ただ謡野は七桜とはぐれてしまったらしく、七桜の行方を追う事はできなかった。
死にたくない、助けて。そう七桜は叫んでいたらしい。
しかしその後、すぐに異能審査会の研究員達が村に乗り込んで来た。大勢の研究員に包囲され、狐ノ葉一家と謡野はあっという間に捕らえられてしまった。
そして研究員の一人が、ハジメの目の前に立ってこう言った。
「約束しよう、君が我々の言う事を聞いてくれれば、君の妻子に手は出さない。だが我々に逆らえば、危害を加えるもやむなしだ。」
妻子を人質に取られ、ハジメは大人しく従うしかなかった。妻子と引き離され、研究所まで連行された。
―――そこからは、地獄のような日々だった。
自分に何をされたか、ハジメはあまり覚えていない。無意識の内に、記憶を閉じ込めてしまったのか、或いは―――――仲間達の無惨な姿に、かき消されてしまったからなのか。
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「―――ハジメさん、ハジメさんってば!」
十火の声に、ハッと我に返る。
「ハジメさん、大丈夫?泣いてるよ?」
細くて白い指先が、ハジメの右頬を撫でた。煌めく雫がつややかな爪の上で揺れる。
「……大丈夫。少し、昔の事を思い出してただけ。」
それだけ呟いて、ハジメは右目を擦る。
深玖の魂のもとへ向かう為に出発してから、既に一週間程が経っていた。車も持たず、金もさほど持っていないハジメ達が遠く離れた地へ向かうのは、簡単な事ではなかった。公共交通機関も近年の運賃値上げによって容易く使う事が出来ないし、仕方なく徒歩で旅をするしかないのだ。
それに、異能持ちであるハジメ達の姿は街中では目立ちやすい。異能を持たない一般人達は、黒髪や茶髪、あっても金髪か赤毛なのに対し、異能持ち達は色とりどりの髪を持っている。目の色も常識離れしたものばかりだし、獣化系の異能持ち達は獣耳を持っている事がほとんどだ。だから異能持ちはすぐにバレてしまう事が多く、騒ぎになってしまう事もある。それを避ける為に、人の少ない場所を行く必要があった。
伊賀までの道のりは遠い。それに、幼いツミとバツを連れているのだ。一日中歩くのは無理がある。現に今も、ツミとバツは歩き疲れてぐずり出しているのだ。
「ねぇ、おんぶ!おとうさん、おんぶして〜!」
「やだ〜!バツがおんぶしてほしい〜!」
弥生のコートの裾を両側から引っ張りながら、ツミとバツは騒いでいる。こうなってしまった時、弥生が大柄な白熊の姿になれば二人を同時に背中に乗せる事ができる。だが運の悪い事に、今は人里を歩いているから、それができない。全国的な大雪の影響で通れない道ばかりだった為、やむを得ず人の多い場所を通らざるを得なかったのだ。
「抱っこじゃダメ?抱っこなら二人一緒にできるけど……。」
目立つ頭を見せぬよう深くフードを被った弥生が呆れ顔で提案するが、双子はおんぶがいいといってきかない。大騒ぎする双子の甲高い声を聞いて、通行人達がチラチラとこちらを見ている。
「ねえハジメさん、何処か休める場所ありません?このままじゃ二人共、その内地面に転がって駄々をこねかねませんよ。」
ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てる双子を宥めながら、弥生はハジメに助けを求めた。
現在地は、まだ伊賀からは少し離れた木曽川のあたり。川を超えて伊賀まで行く道を探している最中だった。
「ほらバツちゃん。十火お姉ちゃんがおんぶしてあげるから。」
この状況をどうにかしようと、十火がバツに背を向けてしゃがみこんだ。
人里では目立たぬよう、耳も尻尾もしまい黒髪の少女に化けている十火の背中を、バツは不機嫌そうにべしんと叩く。
「いや!バツ、おとうさんがいいの!」
わがままばかりの幼い双子に呆れ果て、ハジメは大きなため息をついた。
「どうしようね。ここ、こっそりと休めそうな場所なんてなさそうだし……。」
厘を抱いた謡野がそこまで言った時、謡野の腕の中で厘がぴくりと動いた。
同時に、周囲が何やら騒がしくなる。
「――――初めまして、旅の人達!永遠さんから話は聞いてるよ!」
ハジメ達の背後から、ドイツ語まじりの少しハスキーな声が聞こえてきた。
振り向くと、銀髪ポニーテールに少し尖った耳の少女が立っていた。ダボついたブレザーとスカートを着て、厚底ブーツを履いた彼女はパッと見高校生か中学生に思える。しかし余裕たっぷりの笑顔と煌々と輝く金色の目が、彼女が只者ではない事を表していた。
「失礼だけど、どちら様?永遠さんの知り合い?」
謡野達を守るように立ちはだかり、ハジメは少女の前に進み出る。
「私は正壁エルフリーデ。この町を守る異能持ちだよ。聞いた事ないかな?"難攻不落の守護エルフ"。その本人だよ。」
"難攻不落の守護エルフ"。その名前を、ハジメ達は聞いた事があった。異能持ちの中でも、この世界を揺るがす程強い力を持っているとされる者達には二つ名がつく事が多い。"難攻不落の守護エルフ"は強大なバリアを作る事ができ、そのバリアはありとあらゆる攻撃、果てには台風や竜巻、水害からも守ってくれるのだと言う。
そのエルフが、目の前の少女だと言うのだ。
「さっき永遠さんから手紙が届いたのさ。君達、丁度いいところに来てくれたね!狐ノ葉深玖を探してるんでしょ?実は……彼女、伊賀からこの町に移動してきてしまっていてね。ちょっと問題起こして困ってるんだ。だから助けてくれないかな?」
「――――え?」
一同の声が重なった。