3 痛み
―――痛い。
痛いよ、助けて。
痛いよ。苦しいよ。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しいやめて助けて助けて助けて助けて助けて助けてやめてやめてやめてやめて痛い痛い痛い痛い痛い痛いこっち来ないで来ないで来ないでやめて触らないで触らないでもうやめてお願いもうやめてお願い助けて苦しいよ苦しい苦しい苦しい苦しい何でこんな事するの何でこんな目に遭わなきゃいけないの痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいお願いもうやめてごめんなさいごめんなさいやめてやめてやめてこれ以上はもう嫌だもうやめて嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だもう殺して一思いに殺してよねえ嫌だ誰か助けて助けて助けて助けて何で助けに来てくれないの何処にいるのみんな何処なの助けてお母さんお父さん助けて助けて助けて助けてみんな助けて助けて助けて助けて助けて
助けて深玖さん。
助けてエイプリルさん。
助けて弥生さん。
助けて狛阿さん。
助けて謡野さん。
助けて六爪。
助けて七桜。
助けて――――助けてハジメさん―――。
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「――――うぇぇぇぇぇぇん!!!!」
けたたましい泣き声が聞こえ、ハジメは驚いて手に持っていた財布を落としそうになる。
泣き声が聞こえた方を振り向くと、昼寝していたはずのツミが起き上がって、顔を真っ赤にして泣き喚いている。
「ツミ!?どうしたの!?」
弥生が、まとめていた荷物を放り出してツミに駆け寄り、慌てて抱き上げた。泣きじゃくるツミを必死に宥める弥生の足元で、目が覚めてしまったバツも不安そうに双子の姉を見上げている。
今、ハジメ達は深玖とエイプリルの魂のもとへ向かう為、旅の準備をしている最中だった。
永遠から聞いた話を弥生と謡野、途中で話を放り出してしまった十火に説明し、早速向かおうという事になったのだ。仲間達の魂を求めて旅をした事は何度もあった為、荷造りもそこまで時間はかからないはずだった。
だが、突然泣き出してしまったツミに気を取られ、全員が手を止めてしまう。今までとは比べものにならない程の大声で、甲高い声で泣き出したツミに皆驚かずにはいられなかった。
「どうしたのツミ?おでこぶつけた?よしよし、大丈夫だよ。」
娘の背中を優しく撫でながら、弥生は必死にあやした。しかしツミはなかなか泣き止まず、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を弥生の肩に擦り付けている。
「こわいよぉ!こわぁい!まっくらこわい!こわいひといる!」
幼児特有の舌っ足らずな喋り方でそう訴えるツミに、ハジメ達はようやくツミが悪夢を見て泣き出したのだと気が付いた。
「よしよし、怖い夢見たんだね。大丈夫大丈夫、ただの夢だから。お父さんがいるからもう大丈夫だよ。」
弥生はその巨体に似合わぬ柔らかい声で娘をあやし、宥めた。悪夢を見るのは誰にでもある事だが、幼いツミには恐怖そのものだったのだろう。ツミはぐずぐず鼻を鳴らしながら、未だに涙を止めない。
「いたいいたいって言ってるよぉ……!こわいひと、いたいいたいって言ってるよぉ……!ハジメしゃん、たすけてたすけてって言ってるよぉ……!こわいよぉ……こわいよぉ……!」
しりすぼみになっていくツミの言葉を聞いた一同は、えっと声を上げた。ツミが夢を見ていたのは間違いないだろうが、その内容に不可解さを感じずにはいられなかった。何よりハジメの名前がツミの口から出てきたのが、夢の謎を深めている。
「たすけてハジメしゃん……たすけてって言ってる……いたいいたいって…………くるちいって…………しゃあや……」
泣き疲れたのか、言葉の途中でツミは再び眠ってしまった。一同は呆然とその場に佇み、ツミを見つめる。
「……ツミちゃん…………最後なんて……?」
十火がボソリと呟く。
ツミが眠りに落ちる直前に呟いた言葉を、ハジメは聞き逃していなかった。
「……"さあや"……?清彩って言ったのか……!?」
聞き間違いでなければ、ツミは間違いなく"清彩"と言った。しかし清彩はツミとバツが生まれる前に死んでいるから、ツミとバツが彼の事を知るはずがない。それに清彩の話を二人の前でした事もあまりないはず。ならば何故、ツミは清彩の名前を出したのか。
『―――どうしましたか?』
不意に永遠の声が聞こえてきた。ハジメが振り向くと、そこには桃色の人魂が浮かんで不安げに炎の尾を揺らしている。
この人魂は永遠によって"厘"と名付けられた魂で、ハジメ達の行く先々について来ては永遠の意識を繋いでいる。永遠は厘に意識を繋ぐ事で、離れた場所にいてもハジメ達と話したり僅かだが手助けをする事ができるのだ。
ハジメがツミの様子がおかしい事を説明すると、厘は眠っているツミのそばに飛んで行ってくるくると周囲をまわり始めた。
『知るはずのない、清彩さんの名前を出したと……。詳しい事はわかりかねますが、もしかしたら魂の欠片に触れてしまったのかもしれませんね。』
永遠の声に、厘がぴくりと反応した。そしておどおどと明らかに動揺し始め、申し訳なさそうにツミのそばから離れる。
『清彩さんの魂を見つけてくれたのは、厘です。それどころか、以前壊れかけていた清彩さんの魂の欠片を持ち帰ってきてくれたのも、厘です。実は今回も、厘は清彩さんの魂を持って帰ってきてくれたのですよ。崩壊寸前の清彩さんの魂から落ちた小さな欠片を拾って、保護してくれたのです。……ツミさんとバツさんはまだ幼いですから、霊的な存在の干渉を受けやすい。もしかしたら、厘の持ってきた魂の欠片にうっかり触れてしまった事で、清彩さんの思念を受け取ってしまったのかも……。』
長々と、淡々と永遠が説明する間にも、厘は落ち着きなく動き回っている。自分のせいで幼いツミを怖がらせてしまったのだと、責任を感じているのだろうか。
「りんちゃん、だっこ〜。」
そんな厘の尾を、バツが鷲掴みにする。わたわたと焦りを見せる厘に構わず、バツは厘をぎゅっと抱きしめた。バツはハグをするのが大好きだから、いつも厘や刹那等の魂達を容赦なく抱きしめている。だが今は状況が状況だから、一同は驚いてバツから厘を引き離そうとする。
「こら、バツ!厘ちゃん痛い痛いだから離してあげて!」
弥生は慌てて息子の手を掴み、厘を離すよう促す。しかしバツはなかなか厘を手放そうとせず、それどころかぐずりはじめてしまった。そこに謡野も加わって、二人がかりで厘を引き離そうと必死になる。
『……清彩さんの思念を受け取ってしまったのなら、ツミさんが悪夢を見たというのも合点がいきます。……しかし、少々不思議な事がありまして……。』
慌てふためく厘には似つかわしくない、永遠の落ち着いた声が重々しく響く。
『……厘の持っていた清彩さんの魂の欠片が……小さくなっています。魂の欠片は脆いですが、生者が触れる事はまず出来ない。なのに、小さくなっている……もしや……』
永遠が何かを言いかけたところで、すぽんっとバツの手から厘が引っこ抜けた。ハグする相手を失ったバツはみるみるうちに顔を赤くし、泣き出してしまった。
「すいませんハジメさん、僕の荷造りお願いしてもいいですか?僕は二人をもう一度寝かせて来るので……。」
片手にツミを抱え、もう片手でバツの手を引きながら弥生は寝室へと消えていった。この様子では、今日中に出発するのは無理だろう。ハジメがため息をつくと、すっかりしょぼくれた厘がふよふよとハジメの横まで飛んできた。
『ハジメさん。もしかしたら、ツミさんとバツさんの異能の発現も近いかもしれません。』
永遠の言葉を聞いて、ハジメと十火、謡野はえっと声を上げる。
かつて、生まれて間もなかったツミとバツを見て、この子らは非常に強い異能を持っていると断言したのは、他ならぬ永遠だ。異能は魂に直結したものだと言うから、双子の魂から異能の強さを感じ取ったのだと言う。だがその異能がどんなものか、どういった時に現れるのか、いつ発現するかは永遠の力を持ってしても不明だった。
そもそも、異能持ちは滅多に生まれない。異能持ちが生まれる機序として判明しているのは三つ。
動物系の異能持ちからは同じ動物系の異能持ちが生まれやすい事、両親共に異能持ちでも両親の異能を必ずしも受け継いで生まれる訳ではない事。
そして、異能持ちの人口密度が高ければ高い地域程異能持ちが生まれやすい事。
―――ツミとバツを産んだのは、異能持ちである七桜。
七桜が双子を産んだのは、ハジメを初めとする多くの異能持ちが集う場所だった。だから、ツミとバツが異能持ちでも何ら不思議ではない。
そんなツミとバツが、異能を発現させるかもしれないと言うのだ。
『今は、完全な発現はしていません。ですが、あの子達ももうすぐ五歳です。いつ発現してもおかしくありません。二人の異能が、どういうものなのかはもう少し調べる必要がありますが……もし、二人の異能が発現したら、すぐに私の元まで連れてきて下さい。おそらく、あのままでは危険でしょうから。』
「危険……?危険ってどういう事ですか?」
ハジメが尋ねると、永遠は『そのままの意味ですよ。』とだけ答えた。
『とにかく、今は深玖さんとエイプリルさんの元へ向かわなければならないでしょう?深玖さんはどうなるかわかりませんが……エイプリルさんなら、助けてくれますよ。エイプリルさんの魂を味方にしない限りは、貴方達が魂に干渉する事は難しいですから。』
永遠に促され、ハジメ達は荷造りを再開した。しかしハジメの脳内には、ツミの言った"清彩"という名前がずっとこびりついていた。もし本当にツミが清彩の思念を受け取ったというならば、ツミの見た悪夢は清彩が助けを求めるものだったのではないか。事実、ツミは「痛い」「ハジメさん、助けて」といった言葉を発していた。この言葉は間違いなく、清彩のものなのだろう。
『――――面白かったよ。ずーっと君達に助けを求めてたんだ。』
『泣き叫ぶ姿が、本当に可愛くて可愛くて!「助けてハジメさん」「何処なの、苦しいよ深玖さん」……とか言ってたね。これって君達の事でしょ?』
『勿体ない事しちゃったなあ、本当はもっともっと遊ばせて貰いたかったのに――――。』
―――異能審査会の研究所。囚われの身となっていたハジメの目の前に突きつけられた、惨たらしい現実。生前の面影も残らぬ程変わり果てた死体となった清彩を嘲るように、へらへらと笑っていた忌々しい研究員。その男の顔と言葉が、ハジメの中で蘇る。
「…………ねぇ、先に清彩さんを迎えに行っちゃダメかな。」
ハジメの心境を代弁するかのように、ぼそりと謡野が呟いた。
「そんなにボロボロで苦しんでるならさ、清彩さんを先に助けてあげないといけないんじゃないの。ずっと苦しめられ続けてるのに後回しだなんて酷だよ。先に清彩さん迎えに行こうよ。」
『それはできません。』
きっぱりと、永遠が答えた。
『謡野さんのお気持ちは痛い程わかりますし、多くの傷付いた魂を見てきた私も、清彩さんをいち早く助けるべきだとは考えています。しかし、清彩さんの魂は崩れて消滅しかかっている。魂に干渉できない貴方がたが下手に手を出せば、助けるどころかかえって悪影響を与えかねません。だからまず、同じ魂となっているエイプリルさんを迎えに行く必要があるのです。魂同士ならば、慎重に事を進める事が可能ですから。』
永遠に説得されても尚、ハジメと謡野は納得できなかった。清彩は魂を殺されたも同然の仕打ちを受けて死んだのに、死後も苦痛から逃れる事ができていない。対するエイプリルはというと、彼女は殺される前に自分を殺したのだ。故に魂の損傷が少なく、美しい姿を保っていると報告されているのだろう。
それを考えれば、どちらを先に迎えに行くべきかは明白だった。
「…………永遠さん。もし、もしエイプリルさんを先に助けられたら……清彩さんだけじゃなくて、お母さんも助ける事ができるようになるんですか?」
それまで沈黙を貫いていた十火が、恐る恐る尋ねた。
永遠の代わりに、厘が力強く頷いた。
『決定的な違いは、魂の強い繋がりです。仲間として、家族同然に暮らしてきた魂だからこそ、傷付いていても錯乱していても、きっと届くでしょう。生者では干渉できない、ならば死者同士で。そういう事です。確実に助けたいなら、それが最善策です。』
答えを聞いて、十火は溢れ出す涙を拭って立ち上がった。
「ハジメさん、謡野さん、行こう。エイプリルさんを迎えに。私、早くお母さんを救いたいし清彩さんを解放してあげたい。」
―――永久に消えぬ痛みを、次の一歩に踏み出した瞬間だった。
ハジメの中から、迷いが消えた。
そして翌朝、厘を連れてハジメ達は西へと旅立った。まずは深玖の魂が目撃された、伊賀を目指して。