1 一月一日
冷たい風が頬を撫で、ハジメは目を覚ました。
目を開ければ、寝室の窓を開ける十火の後ろ姿が見える。純白に所々まじる紅の髪と、揺れる細い九本の狐の尾が、えも言われぬ美しさを纏っている。
「……あ、おはようハジメさん!あと、あけましておめでとうと、お誕生日おめでとう!」
起き上がったハジメに気付き、十火は明るい声で笑う。
今日は一月一日。ハジメの誕生日だった。
もうこれで何度目の誕生日なのか、わからない。多分百回目だったような気がする。ハジメは相変わらず老いていない自分の身体を眺めて、人生で何度目かの寂しさを抱いた。
―――この世界には、"異能持ち"が存在する。
ごくごく普通の人間から突然生まれてくる、現実離れした力を持つ者達。火を操る者、動物の姿に変身する者、凄まじい怪力を持つ者―――その異能の種類は多種多様だ。だが生まれるのはごく稀で、何故生まれてくるのか詳しい事はわかっていない。
異能持ち達は、不老長寿でもあった。とある年齢まで身体が成長すると、突然ぴたりと時が止まる。そして、身体は老いず、永遠にも思える若さを保つのだ。どの年齢で止まるのかは個人差があり、五歳程で止まった者もいれば四十過ぎてから老いなくなった者もいる。
ハジメこと、癒糸一も、そんな異能持ちの一人だった。
ありとあらゆる傷や病を治す「回復」と、紐のような糸のような物質を作り出し操る「糸状物質生成」。異能持ちには珍しい、二つの異なる異能を持つ「二重異能持ち」だった。
「……お祝いありがとうね、十火ちゃん。ところで……他の皆は?」
望んで持って生まれた訳ではない、自分の異能に憂いを抱きながらも、作り笑いでハジメは十火に話しかける。
十火―――狐ノ葉十火は「九尾の狐」の異能持ちだ。頭から覗く三角の耳と細長い九本の尻尾がそれを物語っている。
「謡野さんは朝ごはん作ってくれてるよ。弥生さんは、ツミちゃんバツちゃんと一緒に、外で雪遊びしてるみたい。」
十火が窓の外を指差すと、降り積もった雪の中で転げ回る白熊の姿が目に入った。白熊のすぐ側では、灰桜色の髪をした幼い双子が、無邪気に笑いながら雪を投げ合っている。
「おーい、弥生さぁん!ハジメさん起きたよ〜!」
十火が窓から身を乗り出して呼べば、白熊はぱっと人間の青年の姿になって起き上がった。そして双子をたくましい両腕に抱き上げると、窓まで駆け寄ってくる。
「ハジメさん!誕生日おめでとうございます!ほら、ツミとバツも、ハジメさんにおめでとうって言って。」
アイスブルーの短髪に、ハジメより頭ひとつ分背の高いガタイのいい体、瑠璃色の目。そして、頭から覗いた白いふわふわの熊耳。「白熊」の異能持ち、氷熊弥生だ。
弥生が手に抱いた双子に笑いかけると、双子は顔にいっぱいの笑みを浮かべる。
「おめでとうハジメしゃん!」
「ハジメしゃん、おたんじょーびおめでと!」
もうすぐ五歳になる双子のツミとバツ。幼いからか、まだ異能は発現していない。だがこの二人も異能持ちである事は、ハジメ達はとっくに知っていた。
「ありがとうね、三人共。それより、もうそろそろ朝ごはんできる頃だろうから中に入ってきたら?そんなに雪まみれじゃあ、家の中がべちょべちょになってまた謡野ちゃんに怒られるよ。」
ハジメに促されると、三人は少し不満気な顔をしながらも渋々玄関へと向かって行った。
―――家と言っても、ここは普通の一軒家などではない。山の中、誰も気付かれないような所にある廃屋、いや、廃旅館だ。とっくの昔に捨てられ忘れ去られたこの旅館を、懸命に直して住めるくらいに改造したのだ。人里に住む事のできないハジメ達の、唯一の定住地なのだ。
そんな家の台所から、ふわりと良い匂いが漂ってきた。
「おっ?もうそろそろかな?」
十火が嬉しそうに尻尾を振りながら、台所へ駆けて行った。ハジメもその後に続き、台所の中を覗く。
台所では、茜色の短髪をした少女が焼けた餅を海苔で包んでいた。
「あけおめ、謡野ちゃん。」
ハジメが話しかけると、少女はくるりとハジメの方を振り向いた。いつも眠そうな半開きの垂れ目は芥子色で、身につけている柿色のチョーカーとグラデーションになっているようで愛らしい。
「あ、おはよハジメさん。お餅焼けたよ。」
どこか素っ気ない態度の彼女は、捌ヶ音謡野。声に出して歌った歌の内容に沿った事象を引き起こす、「歌唱性事象再現」という異能の持ち主だ。歌うには少々似合わないようなハスキーな地声とボーイッシュな見た目から、初対面の者は彼女を男性と勘違いする者が多い。事実、ハジメも謡野に出会ってから一年程は彼女を男だと思い込んでいた。
「まず顔洗って、着替えてきなよ。先にあの人にお餅持って行ってあげなきゃいけないしさ。」
「はいはい、すぐやってきますよ。あ、謡野ちゃん、俺海苔いらないから。」
「え〜、もう全部巻いちゃったよ。」
不機嫌そうな表情の謡野を台所に置き去りにして、ハジメは洗面所へと向かった。
洗面所のバケツに溜めてあった水には氷が張っていたようで、謡野か弥生によって砕かれたと思しき氷の破片がぷかぷか浮いている。柄杓で水をすくい上げ、顔を洗う。凍えそうな程冷たい水に、ハジメは思わず顔を顰めた。
「……清彩ちゃんがいたらなぁ。水が自由に使えるのに。」
ハジメは顔を上げ、鏡をじっと見つめた。
鳶色の髪に似合わない、紫苑色の右目。そして、開く事のできない潰れた左目。昔、異能持ちを迫害する者達に捕まり、拷問で抉られた目だ。かつては美しい空色の目が、この左の眼窩に存在していた。
「包帯、どこやったっけな。」
失った左目を見るのも嫌で、ハジメはいつも左目を包帯で隠している。今日も、しまっていた包帯を取り出して丁寧に左目に巻いてゆく。自分の事を誤魔化しているように思えて、あまりいい気分ではなかった。
やがて着替えも終えたハジメは、そのまま台所へと戻った。見れば、朝食の準備を手伝おうとしているのかツミとバツが皿を手に持って歩いている。
「今日はツミがおとうさんのとなり!」
「バツもおとうさんのとなりがいい!」
どっちが弥生の隣に座るかで喧嘩しだした双子を、弥生が慌てて宥める。その光景を見て、ハジメは胸の奥がズキリと痛んだ気がした。かつて一緒に暮らしていた妻子を思い出し、過去の記憶に引きずり込まれそうになる。
「……ハジメさん、何突っ立ってるの。」
いつの間にか目の前に立っていた謡野が、ハジメの手に何かを押し付ける。
「これ、あの人の分のお餅。待ってるだろうからさっさと行ってきて。十火ちゃんが先に行ってるから。」
そう言われながら、ぐいぐいと廊下に押しやられた。
ハジメは手に持った餅を見てため息をつくと、廊下の奥にある扉へと歩き出した。
廊下の一番奥、目立たないように設置されている扉を開き、真っ暗に等しい階段を慎重に降りる。階段を降りきったところで、十火と合流した。
「ハジメさん!早く行きましょ!」
十火に手を引かれ、ハジメは少し早歩きになった。暗くて埃っぽい、少しじめじめした廊下を歩き続ける。ごつごつした岩で囲まれたそこは、さながら洞窟のようだ。何の為に用意された空間なのかは、誰にもわからない。
やがて、広くなった廊下――もとい洞窟の奥に、重々しい鉄格子が見えてきた。いわゆる地下牢というものだろう。
鉄格子の前に立って、暗い中に向かってハジメは呼びかける。
「永遠さん、永遠さん。あけましておめでとうございます、お餅持ってきましたよ。」
すると、鉄格子の中でぼぅっと何かが燃え上がる。
「―――――あら、今日はハジメさんに十火さんなんですね。あけましておめでとうございます。そして……お誕生日おめでとうございます、ハジメさん。」
―――牢の中から、一人の女性が妖しく微笑みかけた。