陰謀への招待
あれから数日が経った。
窓際にひかえているエドリックは、ずっと難しい顔をして、一点から視線を動かさずにいる。考えることと言えば、あのことばかり。あの、ベルニア国の君主のもと側近から聞いた話は、実際、すぐに的確な対策がとれるような詳しい内容では無かったが、信憑性はかなり濃いものだった。それを彼は、まさに死ぬ思いで持ってきた。まず間違いないだろう。そうすぐに判断されて、権力者たちによる会議もすでに開かれた。
しかし、それによって、この国がただちにとれる対策は、とにかく警戒と兵士たちをより強化すること。どう考えても、情報が足りない。それに、消息不明となっているラルティス兄さんとその部隊のことも、結局、あまり議論されなかった。
エドリックには、大きな脅威にとらわれて、上の者たちはみな焦るばかりに見えていた。
エドリックは、アレンディル陛下に視線を向けた。陛下は・・・。
今、そのアレンディルは、王宮の塀で囲まれた小さな庭にいて、妻のアリシア王妃や子供たちと幸せな時間を過ごしている。
晴れた日の朝、芝生が綺麗に生えそろっている庭の木陰の椅子に、王はほほ笑みを浮かべて座っている。そこには、白いテーブルと白の軽い椅子が二脚置かれてある。テーブルを挟んだ向かいのもう一脚に、アリシア王妃がいる。そして、子犬と遊んで(遊ばれて)いる子供たちを一緒に見守っている。
ちなみに子犬は、耳の先が逆三角に折れていて、ふわふわのベージュの毛に覆われている雑種。王家の犬なのに。それというのも、アベルが拾ってきた捨て犬だからだ。アベルは、フィルディアとフィリージアが飛び跳ねて喜ぶだろうと思い、大胆にも王宮へ持ち込んできたのである。そして結果、双子ちゃんはアベルの期待を裏切らなかった。
美しく若い家族の幸せな姿。
エドリックには、悲しいことにそれが奇妙な光景に見えた。王は今、ひどく思い悩み、心を痛めているはず。会議の結果報告を聞いて、特に指摘することもなく、兄さん(ルファイアス)が一人で謎めいた森の調査へ行くことにも許可を出した。
大戦争が始まる・・・。
それを食い止めるための警戒を続けてきたが、話し合いも何も、もう届かないまでに敵は手を回していた。とうとう、それに気づくことができなかった。
再びこうなる前に、バラロワ王国とはじゅうぶん分かり合いたかった。それは先代からずっと受け継がれた願いであり、臣民の多くも望んでいることだ。王国各地で警備にあたっている騎士や兵士たちは、潜伏しているその怪しい部隊や侵入者を見つけ出しては、説得と戦いによって、自分の国へ帰れと強く追い返した。そんな小競り合いなら何度もあった。だがウィンダー国王に仕える戦士たちはみな、いつか武器を置いてこう言える日が来るのを、王と共に切望している。
それは、先代の王ラトゥータスの言葉。
【我々は、いつか武器を置いてこう言える日のために、涙をのんで正義のもとに戦う。もう戦争は止める。】
「もう戦争は・・・。」
その先の言葉が口の中で死んでしまい、エドリックは虚しくて目を閉じた。それから、ため息をついて、元気をもらおうと庭に視線を向ける。
そこには、キャンキャン吠えながら駆け回っている子犬を、よたよたと転んでもめげずに追いかけて遊ぶ、双子のフィルディア王子とフィリージア王女がいる。くるくると振り回す子犬のしっぽが面白くて仕方ないのだ。
だがやがて、疲れたのか、それとも尻尾に追いつけなくて《《もどかしく》》なったのか、王女が地べたにお尻をついて泣きだしてしまった。
「お見えになりませんわね・・・。」
そんなフィリージアを抱き上げたアリシア王妃が、子犬を見ながらため息混じりに口にした。二、三日に一度は子供たちに会いに来てくれるのにと。
それに対して、アレンディルはついこう答えた。
「アベルディンなら、しばらく無理じゃないかな。たっぷりと、しぼられたろうから。」
「え・・・。」
「ああ、いや・・・そんなこともあるだろう。」
アレンディルもフィルディアの脇を抱えて椅子に腰掛け、王子を自分の膝に座らせた。
あの晩アベルは、夜警当番中に行方不明になった件について、貧血で気分が悪くなって休んでいたら、なんだか頭がぼーっとしてきて、気がついたら徘徊していました。馬も一緒に・・・などと、自分でも何を言ってんだかと思うおかしな言い訳をしたところ、怒鳴られることは無かった代わりに、義務を果たさなかった分しっかり取り返せと説教されて、しばらく休憩時間を大幅に削られるという罰を受ける《《はめ》》になったのだ。
からかう相手がいなくなった子犬は、辺りを飛び跳ねたあとキャンと吠えて、つまらなさそうに伏せをした。
そこへ、連絡を取り次ぐ騎士がやってきた。
騎士は部屋に入り、エドリックと挨拶を交わし、庭へ出てひざまずいた。
「陛下、ベルニア国より、ムバラート様の使いが参りましたが。」
来たか・・・という気持ちを顔に出さずに、アレンディルはすぐに通すよう命じた。
エドリックは、王のすぐ斜め後ろまで近寄った。
「陛下・・・。」
アレンディルと同じく、この動きの意味を知っているエドリックは、どうされるおつもりか・・・と、少し腰を屈めて王の顔をうかがう。
もと側近からは、こんなことも聞いていた。
バラロワの君主の指示によって、ムバラート様はとにかく情報を欲しがった。そして、王都を混乱させたがっている。そのための策略を懸命に考えていた。近いうちに、何らかの誘いが来るだろうと。
エドリックの心配そうな、もの問いたげな顔に向かって、アレンディルはうなずき返した。
「あえてその誘いを受けよう。今こそ、確かに叔父上と話をせねばならぬ。」
その声は、そばにいるエドリックにだけ聞こえる小声だったが、アレンディルはさらにこう囁きかけた。
「それに、向こうに悟られてはならぬ。」
なるほど、確かに・・・と、エドリックも気づいた。こちらが手の内を知っていると敵に勘づかれれば、いつ作戦を変更し、予定よりも早く進撃してこられるか分かったものではない。敵の戦闘準備が、もうどれだけ進んでいるか把握できていないのだ。今そうなれば、きっと対抗できない。