あやかしの沼へ、再び
ついに関所に権力者たちが集うと、ラルティス総司令官が持ち込んだより詳しい情報をもとに、さらに的確な対策が立てられた。
それによって、南の国境警備隊は関所の守りにあたるため、敵を監視する小隊を残して移動することになり、ほかにも、近くのリステナン城から援軍が加わることになった。
そして、イスタリア城を守るためにもまた、最も近いヴィンスロット城、そしてルファイアス騎士のカルヴァン城からも援軍が送られる仮決定がなされた。
その後、ラルティスは関守のマルクスと共に王都へ向かった。アレンディル陛下に無事でいる姿を見せるため、アディロンの森での出来事を報告するため、そして、多くの優秀な兵士を死なせてしまったことを詫びるために。一方のマルクスは、関所での仮決定を伝え、王の決断を仰ぐためにである。
そして、ほかの者たち。まず、イルーシャ王女と二人の付き人を迎えに行ったルファイアスは、その彼らを連れて、大街道からカルヴァン城へと帰って行った。
アベル、レイサー、リマール、ラキア、そしてコラルは、王都へ向かう二人の旅に途中までは同行したが、あやかしの沼へ行くためやがて別れて、フェルドーランの森の奥へと進路を変えた。
フェルドーランの森。
過去の、その時の旅の思い出が、鮮烈によみがえる。確か人気のない道を進み続けた。そして気づけば、いつの間にか野生の動物の気配すらなくなった。動物たちは、あやかしの沼の存在と、そこから流れてくる害悪を本能で知り、避けていたのだ。そこで恐ろしい幻影を見せられたアベルも、《あやかしの沼》の周辺は死人の世界、あるいはそこへの入口だと、あとで思ったものだった。
馬を常歩で進める一行。今回、レイサーと同乗しているのはコラルで、ラキアは念願かなってアベルの前に座っている。以前、ここへ来た時には、アベルとリマールは馬術を心得ているとはいえず、歩法もろくに知らなかった。だが今は、特にアベルについては、騎兵としては未熟でも馬上槍試合もできる腕前。普通に走らせるくらいなら、戦士でないそのへんの若者よりもだんぜん上手い。
これといった特徴のない、森らしい景観が続いている。しかし今はもう、例の沼の一帯といえるところを進んでいるのが、アベルには分かっていた。
意識を少し上空へ向けて、耳をすましてみる・・・やはり、風がちゃんと話してくれない。何かに邪魔をされていると言った方が正確かもしれないが、これは、前回と同じだ。そして、呪われた沼のせいだったのだと、あとで結論づけることができた。だから分かった。
しかし、むしろほかの場所より下生えも茂っていないし、地面は柔らかい野草に覆われていて、視界を塞ぐ鬱蒼とした藪が少ない。馬の背から遠くまで見ることができ、一見、のどかで綺麗な自然の風景が広がっているのである。危険区域とよぶにはそぐわない。そう思ったアベルだったが、一瞬あとでこうも考えた。植物までおびえて身をすくませ、成長を止めてしまったかと。
今回は大街道から曲がってきたので、前に来た時とは道が違った。大きな石がごろごろしている浅い小川を、馬に乗ったまま横断した。そして、再び小道に出た時だった。ここ見覚えがある・・・と、ふと気づいたのは。右手の少し先に、印象的な剥き出しの山肌が現れたから。
それから辺りを見回す。下藪は丈低いが、森を形作っている木々は背が高く、群生しているモミの木の間に、ブナなど別種の樹木もけっこう育っているのが分かる。それらは枝を長く伸ばして、頭上で不気味にねじれていた。
風もなく、静かだ。自分たちのほかは何の気配も感じない。どんどん沼に近づいていると、アベルはようやく差し迫って感じられた。
前を行くレイサーが振り向いた。ラキアを見ているようだ。それで気づいた。ラキアがうな垂れて元気がない。離れているのに、なぜ先に気づけたのだろうと、アベルはレイサーの顔を見つめた。
するとレイサーが目を合わせてきて、少し首を動かしながら視線をラキアに向けた。その動きの意味を、アベルも理解できた。気遣ってやれ、という合図だ。
「ラキア、もしかして気分悪い?」
アベルは優しい声をかけた。その言葉が自然と口から出てきて、思い出した。そうだ、確かあの時も・・・。
「うん・・・ちょっと。」
ラキアは弱々しく返事をした。胸やけと寒気がする。これをレイサーは、経験の浅い霊能力者が陥る呪いに対する拒絶反応と推測したが、それに違いない。
「いいよ、後ろにもたれて。」
「え・・・うん。」
「ほら。」
アベルは片手を回して、ラキアを抱き寄せた。
恥ずかしくて少し抵抗があったラキアも、そうされると素直に身をゆだねた。
そのうちにも、樹木でふち取られた楕円の小さな沼に、とうとうたどりついた。
馬からおりた一行は、それぞれ乗ってきた馬を木につないで、まずはじっくりと《あやかしの沼》なるものを眺めた。
まったく不思議な光景だ。アベルが以前ここへ来た時は夜だったので、半信半疑だった。だが、エオリアス騎士の執事が言っていたように、青空の下で、沼の水は本当にどす黒い鉛色に濁っている。風は《《そよ》》ともせず、動きのない水面は黒い石の床のよう。何も反射しない水面。アベルは何かに待ち構えられているような気にもなった。
それでも、アベルは毅然と沼の前に立っていた。前に来た時とは違って、まだ午前の明るさのおかげか、とりあえずは勇気を保っている。
一方、ラキアはもう怯えて、アベルやリマールを見たあと、レイサーにしがみついた。誰を盾にするか、ちょっと考えたようだ。
その沼は、伝説にある通り、そのまま何も変わってはいなかった。
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