ラルティス総司令官とイルーシャ王女
ベンチ椅子にじっと座り、木々の上に見える夜明けの明星を眺める美女、イルーシャ王女。そばには侍女もおらず、一人きりだった。
その後、興奮が冷めやらぬ隊員たちが残っていた広場も、夜が明け初めた頃には、もともと次の夜警当番だった三人を置いて落ち着いた。
ただ、その若い兵士たちだけは、少し離れたところから王女のことを気にして、毛布を押し付け合いながら小声でちょっとしたケンカを始めている。この三人は焚き火で暖を取ることができているが、王女は防寒着のマントも羽おらずに、夜風に吹かれて何やら寂しそうに見えた。
イルーシャ王女が今いるところは、レイサーが案内したテーブルの席である。普段は上官たちの食事場所であり、会議の場だ。そんなことは何も知らない王女は、その席が、自分がここでおとなしくしておくのに無難な居場所と決めたようだった。
「ほら、行って来いよ、早く。」
同期でも年上からそう急かされているのは、まだ16歳の新米兵士。この国境警備隊の中では一番若い。
「無理だって。こういうのは年上の役でしょっ。」
「ああ、もう、早くしないと風邪ひかせるって。」
「何をもめている。」
声がして振り向けば、そこには仁王立ちのラルティス総司令官が。
新米兵士たちは息ぴったりで肩を飛び上がらせた。棘のない魅力的な声でも、部下たちには痛烈に効く。
背後にそびえ立つその上司は、疲労から解放されて、今は凛々《りり》しく引き締まった表情でいる。顔の汚れは綺麗に拭き取られ、ヨレヨレでくたびれきった軍服は、清潔な白いシャツと紺のズボンに変わっていた。どこか懐かしい感じもする、いつもの気高くハンサムな最高指揮官の姿で、彼はそこにいた。
だが本当のところは、凛々《りり》しいというより厳しいが正解。総司令官のその目つきは、少し怒っていた。任務を忘れて内輪揉めを起こしている新米たちに。
十代の若い隊員たちは肩をすくめておずおずと見上げる。
「あ、閣下・・・あの、お体は?」
「大丈夫だ・・・で?」
「ああ、あの・・・誰が王女様に毛布を差しあげに行くかで・・・。」
「この冷える早朝に、彼女をあのままいさせたわけか? まったく・・・。」ラルティスはため息をついて、右手を出した。「貸せ。」
「すみません・・・。」
毛布を最後に押しつけられた最年少が、それを献上するかのように両手で掲げた。
呆れながらラルティスはそのハーフケットを腕にかけて、堂々とイルーシャ王女に近づいて行く。
気づいた王女が、どこか戸惑うような顔を向けてきた。
ラルティスは穏やかな笑みで応え、広げた毛布を羽織らせてやり、隣に座った。それから声をかけた。
「眠れなかったのでは。」
「よくは・・・。」
「こんなふうに外で眠るのは初めてでしょう。寝心地については申し訳ない。」
「いえ、そういうわけでは・・・。」
イルーシャは少し目を大きくして、まじまじと彼を見ていた。顔から服装から、すっかり綺麗になった彼は、急に雰囲気が変わったように見えたから。痩せてやつれた顔でも、やや目尻の下がった青い瞳は優しく、男性でありながら美しい人だと思った。歳は自分よりもかなり上で、彼がもう若くはないのは分かる。それでも、ますます心惹かれてしまった。
「ラルティス総司令官、あの、お体の具合は・・・。」
「もう大丈夫です。おかげで。」
正直なところ、彼女たちのことが気になって無理に起き上がってきたラルティス。そして、心配した通りだった。
「あなたこそ、ひどくお疲れでしょう。歩きづらい道を、あんなに自分の足で歩いて。よく我慢なされた。」
イルーシャは、思わず込み上げてきた涙のせいで、ちょっと顔を歪めた。ほんとに辛かったのだ。精霊使いの少女が歩調を緩めるという配慮ができなくて、元気いっぱい進み続けるものだから。
イルーシャは潤んだ目をしばたたかせ、彼から少し顔を背けて、つんとなった鼻をそっとすすり上げた。
「姫・・・もし構わなければ、おみ足を・・・。」
ラルティスは少し屈んで、王女のふくらはぎへ手を伸ばす仕草をした。
イルーシャは恥ずかしそうに首を振った。
「だ、大丈夫です。レイサー殿がお湯を用意してくださって、イオラがマッサージをしてくれましたから。」
ラルティスは手を引いて、また微笑んだ。
「そうですか。」
医療用テントに向かう時、不安そうにしていた王女が気がかりだったラルティスだが、実は、レイサーがきっと上手く世話をしてくれると信じていた。
イルーシャは焚き火のあるところをのぞき見た。
若い隊員たちが、そろって顔を振り戻したのが分かった。
「あの・・・皆さん、私のことをよく思っていらっしゃらない・・・ですわよね。私の方を見て、なにか言い合いをなさっていたようですし・・・。」
「恐れ多くて、気後れしているだけです。あなたは・・・王女様なので。」
まさか、それで落ち込んでいるわけではないでしょう? といわんばかりに、ラルティスは笑った。
それに王女が困ったような可愛らしい顔を向けてきたので、ラルティスは思わず魅入った。
イルーシャの方は胸がドキドキしていた。少しのあいだ、二人は知らずと見つめ合った。
「イルーシャ王女、あなたは捕虜ではない。しかしすまない、簡単に帰らせてあげることはできないが、いずれはうまく本来の居場所へ ―― 。」
イルーシャ王女は下を向いて、首を振りたてた。
「どうか、あなたのもとにずっと置いてくれませんか。私には人質としての価値もありません。父はそういう人です。私にはもう、きっと帰れる場所なんて・・・。」
ラルティスは眉をひそめる。
「まさか・・・。」
イルーシャは青くなった顔で黙り込んだが、反射的にか右の肩口をつかんだ。
ラルティスは思わず王女のその腕をつかんで引き寄せ、不躾にも荒っぽく袖をまくり上げていた。
次の瞬間、驚いて目をみはる。
まだはっきりと痕が残っている痣がある。
「もしかして・・・私たちのことで・・・。」
王女は何も言わないが、きっとそうだという気がした。彼女は父である国王に間違っていると意見したのだろう。怯えながらも勇気を出して。
ラルティスは胸が熱くなり、そのままイルーシャ王女を抱きしめた。
「あなたはとても善良で、勇気のある御方だ。」
半ば衝動的な行動に出たラルティスは、慌てて身を引いた。それから、抱いた拍子にずり落ちた毛布を肩に掛け直してやりながら、ひと言。
「・・・失礼。」
顔を真っ赤にしたイルーシャ王女は、のぼせて眩暈を起こしそうになった。
一方、王女に対していきなりつかみかかったと思えば抱きしめたり、遠目に見ているだけの方には謎の行動でも、まだ初心な少年兵士たちはみな、感心せずにはいられなかった。「さすが・・・。」と。
「私はもちろん、あなたに恩を返さねばならない。あなたは命の恩人だ。しかし・・・私のもとにずっと・・・というのは・・・。」
つい感情的になってしまったラルティスだが、王女に言われた言葉を冷静に考え、困惑しながらきいた。
「すみません・・・私にもまだ分かりません・・・でも・・・帰りたくないのです。」
「あなたは、まだ若い。私のもとにいれば、きっと素敵な出会いの機会を逃してしまう。それに、私には家はあるが、私はそこにほとんど帰らぬ身。私と一緒にいることはできない。」
イルーシャ王女は羞恥と悲しみでうなだれ、口をつぐんだ。
ラルティスは心苦しかった。今の彼女に、突き放すようなことを言うのは酷すぎたと反省し、なぐさめ詫びる気持ちをこめてその肩に触れ、軽くつかんだ。励ますように優しく。
「だが見捨てはしない。あなたにとって良い方法を探します。」




