惨劇の声
再び歩きだした一行。湧き水を見つけて昼休憩をとることにした。ぬかるみを避けて通り、倒れた木の幹に並んで腰を下ろしたそこで、空腹を満たして疲れを癒した。
アベルは、目を閉じて耳に手を当てる。声はとてもかすかで少ないけれども、風は今知りたいそのことも、ちゃんと伝えてくれていた。不意に脱線するものの、なんとかたどって行けそうだ。
やがて一行は、体力を回復して出発した。
しばらく進むと、木立の間隔が広がりだして、道は少し歩きやすくなった。
「あれ・・・。」
アベルが立ち止った。
「なんだろ・・・なんか・・・え・・・。」
また脱線か。今度は何だと、仲間たちはとりあえず黙って待つ。
ところが、これまでとは明らかに違った。様子がみるみるおかしくなっていく。仲間たちは、アベルのその異様さに釘付けになった。突然うろたえだしたかと思うと、眉をひそめて、ひどく不安そうな顔をしている。
「アベル?」
リマールが心配になって、そっと声をかけた。
「怖い・・・。」
アベルが息苦しそうに言った。
「え・・・?」
「何を聞いてる?」と、レイサー。
「・・・指揮官は・・・。」
「は・・・?」
レイサーは顔をしかめた。
「指揮官は・・・どいつだって・・・すごく嫌な感じの声が・・・。」
レイサーは辺りを見回した。自分たちのほかには、やはり人の気配はない。そもそも、アベルが聞いているのは普通に聞こえるものではない。どこか遠くの声や音、それに気配だ。
しかしこのことから、アベルには、まだほかにも聞けるものがあるのではないか・・・と、レイサーは感じた。
そのアベルは、地面に視線を向けていた顔を上げて、右手の方を見ると停止した。
今気づいたが、そちらの遠くには木が生えていない場所があるようだ。
「向こう、明るくなってる。」
ラキアが言った。
「行ってみるか。」
ルートの確認に必要だと思ったレイサーは、一人でさきさき歩いて行った。自然とほかの者たちもついていく。
目の前がパッと開けた。彼らは、空が見渡せる沼のほとりに来ていた。
完全にではないが、あぜ道のような足場で、沼はいくつかに仕切られているように見える。ハスの葉が大部分を覆い、ほかにも水中や沼のふちに水草が生えている。水は暗くて深そうだった。丈高い植物と、沼に浸かるまで伸びている木の葉をつけた枝と木々に取り囲まれている。
一行が出て来た場所には、足元の雑草を大勢が踏み倒した跡があった。
「待って・・・レイサー・・・ここ・・・。」
「どうした?」
レイサーが振り返る。そして眉根を寄せた。
アベルが腰を引いて体を縮め、足をすくませている。
「聞こえる・・・ちょっと、これ・・・な ―― ⁉」
アベルは目を固くつむり、耳を塞いでうつむいた。だがすぐにハッと顔を上げたかと思うと、いきなり涙を流しながら、右に左に首を向け始めたのである。そうして周りの茂みや地面を、木の幹を、まるで何か怖いものであるかのように見ている。怯えきった迷子のような目をしてだ。
仲間たちはいよいよ驚いた。
「え、なんで ⁉」
「アベル ⁉」
「おい、どうしたっ!」
ラキア、リマール、そしてレイサーが焦って声をかけた。
「この声・・・これ・・・。」
異常に震える声で、アベルは何かぶつぶつつぶやいている。
今、風が伝えてくるのは、この瞬間にどこかで起こっていることではなく、きっと、過去にここで起こった・・・惨劇の記憶。か細い悲鳴があがり、痛みと苦しみのあまり漏らす苦悶の声が続き、そしてまた一瞬あがる、とうとう殺されていく人の悲鳴。それは弱々しく響く、悔しそうな声。どうにもならない無念さを滲ませて、とても悲しく消えていく。いくつもの声が、全て同じように。
それが頭の中を繰り返し反響する。
これは、彼らが訴えているのだろうか。恨みをはらして欲しいと。でも、風よ、これ以上は耐えられない。だからお願い、止めてくれ・・・!
声が消えた。
アベルは、急に力が抜けた顔で呆然となったが、それからゆっくりと沼の方を向いて、その上に見える空を見上げた。
アベルは祈りを捧げた。
あなた方の仇は、きっと討ちます。この国の強い騎士たち、それに兵士たちが戦いに勝利して。
どうか安らかに・・・。
「レイサー・・・。」と、アベルはそのままで、とても静かに呼びかけた。
「ああ・・・なんだ。」
アベルに何が起こったのか、今になって、レイサーも何となく分かった気がしていた。
「ここが・・・たぶん・・・現場。」
「そうか・・・。」
その卑怯な襲撃が行われた日から、長い日数が経っている。そのあいだに天気は様々《さまざま》に変わった。荒れた日もあった。木々に囲まれた場所でも、ここは沼のほとりのわりと開けたところだ。きっと大量の血痕は豪雨に洗い流され、変色し、周りの茶色い植物や地面と同化して、森の自然の一部になった。だが、アベルの目には想像で見えたのだろう。
ラルティス兄貴はそれを実際に目の当たりにし、これ以上ない辛い体験をした・・・その心境を思うと、レイサーはしばらく言葉を失った。
「もしかしたらだけど・・・その沼の中に、彼らがいるかもしれません。」
アベルは涙をぬぐい、水辺の方を向いた。
「でも・・・ここにはいないよ。」
そう教えたラキアに、ほかの三人は注目。
「その人たちの霊。」
「ああ・・・。」と、レイサーも思い出した。
初めて会った時、この少女は確か霊と話しができると言っていた。
「昇天した・・・ってこと?」
リマールがきいた。
「それか、違う場所を彷徨ってるかも。」
レイサーは沼のきわまで近づき、恐る恐る水中に目を凝らした。だが、漂う水草や濁りで、中の様子はよく分からなかった。
「そうだとしても、今、この森は危険だ。亡くなった隊員たちの遺体は、落ち着いてから探してもらおう。とにかく、生き残った者たちを探そう。」
彼らは沼のほとりに並んで立つと、姿勢を正して(レイサーやアベルは敬礼を加えた)、長い黙祷を捧げた。




