手毬寿司と桜餅
生命が芽吹き出す弥生の月
ぽかぽか暖かな陽気も相まって、
道行く人の表情が笑顔で足取りも軽い。
ここ食堂「菜食兼美」でも緩やかな空気が流れて、
静かに談笑しあうお客様の声がBGMとなっている。
時間帯が夜のためか、
お酒と濃いめの料理の注文が多くなる。
そして、
春風に誘われてまた一人のお客様が来店された。
「いらっしゃいませ! お好きなお席へどうぞ」
ショートヘアの女性のお客様は、
カウンターの端の席に着席された。
私はお盆に水を乗せてお客様のテーブルに向う。
「ご注文はお決まりですか?」
「レモンハイとマカロニサラダをお願いします」
「今はそれで」
「はい! かしこまりました。少々お待ち下さい」
私は注文を受けるとすぐに調理場へ戻る。
マカロニサラダはすぐにお出しできるし、
その間にレモンハイを用意する。
「お待たせしました。
レモンハイとマカロニサラダです」
「ありがとうございます」
「また注文しますね」
「はい! いつでもどうぞ」
料理を届けると調理場へと戻り、
料理とお酒作りを再会する。
「ふふ、いただきます」
レモンハイを手にすると喉を鳴らして飲んでいく。
「ごく…ごく……っはぁ」
「いやーやっぱり美味しいねー」
「今は乾杯はビールじゃなくて、
レモンハイが多いって聞くけどわかる気がするなー」
「まぁ、一人飲みしかしない
あたしには関係ないけどねー」
「春とはいえ、ここまで歩いてくると喉が渇くし、
最初はレモンハイやライムハイにしてるんだー」
「お酒で水分補給にはならないことは
分かってるけど、まぁそこは気分」
レモンハイを一口飲むとグラスを少し揺らす。
「渇きが癒えて落ち着いたら、
赤ワインボトルだけどねー」
そういって箸を手に取る。
「マカロニサラダ好きなんだよねー」
「ここのは、胡瓜に人参にコーンかー」
「野菜のみだけど彩り綺麗でいいねー」
マカロニと野菜をつまんで口に運ぶ。
「うんうん、野菜は生でさっぱりだけど、
歯ごたえがあっていいねー」
「塩胡椒もしっかり効いてるし、お酒にもバッチリ」
「家で作る時は野菜もだけど、ゆで卵入れるなー」
「卵マカロニサラダってとこだねー」
レモンハイを一口飲む。
「お惣菜でも売ってるけど、
やっぱり自分で作るのが美味しいよねー」
「けど、ポテトサラダとは違って、
提供してる店は多くはないよねー」
「作り置きすると、味が落ちるとか、
マカロニが固くなっちゃうとかかなー」
「ま、ないなら自分で作ればいいしいいかー」
そう言って、空のグラスをカウンターに置く。
「さて! 喉も潤ったし赤ワインにいきますか!
すみませ〜ん!」
「ごちそうさまでしたー」
「また来ますねー」
「はい! ありがとうございました!
お気をつけてお帰りください」
お客様は軽い足取りで歩いていかれる。
あの後、赤ワインを1本飲まれて、
だし巻き卵や鮭茶漬けをご注文頂いた。
更に、お土産感覚なのか、
開けていない赤ワインを1本お持ち帰りされた。
飲み残しを置いて帰られても、
廃棄になるのでありがたいがこれは少し違うか。
営業時間終了。
そして、今宵最後のお客様がいらっしゃる。
入口の前に二人のお客様が立っていた。
一人は20代と思われる、長い黒髪の女性のお客様。
もう一人は5歳くらいの幼い女性のお客様。
親子だろうか……と思いながらも、
笑顔でお出迎えする。
「いらっしゃいませ!
お好きなお席へどうぞ」
お客様たちはテーブル席に向かい合って着席された。
今の季節はお花見シーズン真っ盛りだ。
日本の花見は奈良時代の
貴族の行事が起源だといわれる。
奈良時代には中国から伝来したばかりの
梅が鑑賞されていたが、
平安時代に桜に代わってくる。
貴族たちは桜を春の花の代表格として愛で、
歌を詠み、花見の宴を楽しんでいた。
また、豊作祈願の行事として、
農民の間でも行なわれていた。
桜は、春になって山からおりてきた
田の神様が宿る木とされていたため、
桜の咲き方でその年の収穫を占ったり、
桜の開花期に種もみをまく準備をしたりした。
いつの時代も美しいものに心奪われる……
そんなことを思いながら、
私は今宵最後の料理を提供する。
「お待たせしました。手毬寿司と桜餅です」
手毬寿司と桜餅を載せた盆をそれぞれの前に置く。
「わぁ!」
「きれいね」
お二人の顔が綻んでそれだけで私は嬉しくなる。
「葵、手を合わせて」
「合わせて」
「いただきます」
「いただきます」
お二人は揃って食前の礼をして箸を手にする。
「ふふっ 胡瓜の歯ごたえが心地良いわ。
ご飯との相性もいいわね」
「母上、こっちの黄色いのも美味しいよ。
つぶつぶが甘くて楽しい」
「ふふ そうね」
胡瓜の寿司ととうもろこしの寿司を
食べてお互い微笑み合う。
「こっちの赤いのはなんだろう?
甘いんだけど酸っぱい」
「葵、これは赤茄子ね。外国から来た野菜なの」
「へぇ! そうなんだ!」
「生のまま食べることが多くて、
体にもいいのだけれど」
「お寿司になるとは思わなかったわ」
「あ! じゃあ母上もはじめて?」
「えぇ、赤茄子のお寿司は初めてよ」
「えへへ 母上と一緒」
「えぇ、葵と一緒ね」
そう言って、お互い笑い合う。
「あら、お漬物のお寿司もあるのね」
お客様が白菜の浅漬けのお寿司を箸で掴む。
「はい! 今回はお肉を使わずに、
お野菜だけの手毬寿司をご用意しました」
「ふふ 嬉しい気遣いね。
私も葵もお肉は馴染みがないの」
「お肉ってあの臭いやつでしょ?」
「きちんと血抜きして処理すれば臭くないのよ」
「そうなんだ! でもお野菜が美味しいからいい」
「そうね。お野菜美味しいものね」
「うん!」
お二人と味覚が一致したようで私も安堵する。
そして、葵が桜餅に狙いを定める。
「あれ? お餅少しちがうね?」
「そうね。少し形が違うわね」
「お客様、桜餅は東と西で違いがあるんです。
平たいのが東、丸いのが西です」
「水溶きした小麦粉を平たく焼いた皮で
餡を巻く関東風と、水に浸した餅米を干して
粗めにひいたものを蒸した生地で
餡を包むのが関西風とされています」
「東国と西国でそういう違いがあるのね……」
「葵、丸いのから食べる!」
「あらそう、なら私は平たい東国のお餅から頂くわ」
「葵、喉に詰まったら大変だから、
よく噛んで食べるのよ」
「はい! 母上」
桜餅は桜にちなんだ和菓子であり、
桜の葉で餅菓子を包んだものである。
雛菓子の一つでもあり春の季語でもある。
一般に「桜餅」と呼称されるものには、
関東地方で考案されて東日本を中心に広まったものと、
関西地方で考案され広まったものの2種類が存在する。
どちらも通常は「桜餅」と呼ばれるが、
互いを区別する必要がある場合には
関東地方のものを「長命寺」、
関西地方のものを「道明寺」と呼ぶ。
ちなみにお餅を包む葉を食べるか食べないかは、
個人の判断で決まる。
「お餅が美味しい。なかにあんこが入ってる」
「平たいお餅も食べやすくていいわね」
「こちらもあんこが入ってるけどこしあんね。
西国のはつぶあんかしら」
「うん! あんこがつぶつぶしてる」
「そういえば、あんこにも東西で
違いがあると聞いたわね」
「東国がこしあんで、西国がつぶあんだったかしら」
「葵、どちらも甘くて好き!」
「そうね、どちらも甘くて美味しいわね」
そして、心の中で呟く。
「桜……はじめて見たときは美しくて
しばらく呆然としていたわね……」
「葵とも一緒に見れたらよかった……」
唇を笑みの形に変えて、
桜餅に夢中になる愛しい我が子を見る。
食事を終えるとお二人は立ち上がり、
礼とともに消えていった。
テーブルには桜餅の葉が残された食器と、
梅と桜の花弁が置かれていた。
梅の時代から桜の時代へ移り変わっても、
人々が美しい花を愛でる心はいつの時代も変わらない。
私は梅と桜の花弁を掌へ納めて呟いた……
_____またのお越しを、お待ちしております_____