表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
今宵、一期一会の晩餐を  作者: 白鷺雪華
8/15

鰆のお茶漬け

季節は如月の月

春を迎えるとはいえ、まだまだ寒い日々が続く。


春は野菜や山菜、魚の多くが旬を迎えるので、

自宅でもお店でも作るのが楽しくなる。


ここ食堂「菜食兼美」では夜を迎えて、

お酒片手に談笑する声が聞こえている。

だが、客層に恵まれているのか、

これまで酔客の被害を受けたことはない。


そしてまた、お一人のお客様がいらっしゃる。



「いらっしゃいませ!お好きなお席へどうぞ」

女性のお客様はカウンターの端の席へ座られた。

そして、お荷物を隣の椅子へ置かれる。


「ポテトサラダとキムチもやし炒め、

 それと赤ワインのフルボトルをお願いします」

「はい! しばらくお待ち下さい」

私は調理場へと戻り、すぐにボトルとグラスを

お客様のテーブルへと運ぶ。

「お先に赤ワインのフルボトルです」

「ありがとうございます」

お客様が赤ワインをグラスに注ぎ、

グラスを目の高さまで持ち上げて軽く回す。

「お待たせしました。

 ポテトサラダとキムチもやし炒めです」

ご注文の料理をテーブルに並べる。

私は他のお客様のご注文を受けに席を離れる。



赤ワインを一口飲む。

「ふぅ〜〜」

「うん、一ヶ月ぶりに来たけどいいものだね」

グラスを置き、箸を手にする。

「ここのポテトサラダは本当に野菜たっぷりなんだよな~」

「レタスに胡瓜、人参にコーン……

 それでいて皮付きだから食べごたえも食感も良し」

「おかげで家で作るポテサラも野菜たっぷりだしね」

赤ワインを一口飲み、キムチもやし炒めに箸を伸ばす。

「ふふっ もやしのシャキシャキした食感に、

 キムチのピリ辛が相性バッチリ」

「ニラに鰹節の濃い旨味も

 もやしとキムチを引き立ててるね」

ここからは心の中での独白。

「……それにしても、一人飲みできないって人、

 結構多いんだね。男でもいるし、女ならなおさら」

「一人で飲んでも楽しくない、視線が気になる、

 相手がいないと寂しい……か……」

「全くわからないし、理解もしてないからな……

 いざやってみたら、こんなに快適で気楽で楽しいのに」

「一歩踏み出す勇気が出せるかだよね。

 人生何事も。全てにおいて。」

「僕からしたら、他人との食事や飲みの方が、

 よほど苦痛で意味のない無駄なことなのに……」

「飲みニケーション…酒で親睦を図る…はぁぁ、

 飲まないと仕事の話すらできないなんて情けない…」

「だいたい、飲んでるときに仕事の話なんてされて、

 楽しいわけないじゃない。なんでわかんないんだろ」

「他人との飲みなんてのんびりゆっくりできないし、

 落ち着かない。人の料理勝手に取るし乾杯なんて

 無駄なこと何のためにする必要あるんだか……」

「しかも、自分勝手な奴だと、なにも考えずに

 出るぞなんて言って終わらそうとするし……」

「あ〜やだやだ、群れないと何も出来ない哀れな奴らは」

「こういうの、烏合の衆もしくは

 群龍無首って言うんだっけ? ちょっと違うか」

「とにかく、こうして一人で見つめ直して、

 自分の時間を作れないと身も心も錆びついて

 貧しくなっていくよね」

長い独白が終わる。

「ふふっ 美味しい料理に美味しいお酒……

 一人で味わい尽くさないのは食材への冒涜だね」

そう言って赤ワインを一口飲む。



閉店間際、お客様がお帰りになられる。

「ごちそうさまでした。

 今日も美味しく堪能できました」

「ありがとうございました。

 またのお越しをお待ちしています」

「うん 僕が飲むのは赤ワインだけだから、

 また用意のほどよろしくお願いしますね」

「はい! お任せください」

そしてお客様はしっかりした足取りでお帰りになられた。


あの後、赤ワインのフルボトルをもう一本ご注文されて、

残した分はきちんと持ち帰って下さるのでありがたい。

廃棄はなしにしないといけませんからね。

自分自身やお店、国や地球のためにもね。



そして、今宵最後のお客様がいらっしゃることとなる……



閉店後……

入口に一人のお客様が立っていた。


肩まで届く黒髪に白を基調とした着物を召された、

成人を迎えようかと思われる、妙齢の女性。

形のいい唇が蠱惑的な笑みを浮かべている。


私は心からの笑顔でお客様をご案内する。

「いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」

お客様は優雅な足取りでカウンターへと座られる。


今宵は立春。

二十四節気において、春の始まりであり、

1年の始まりとされる日である。


二十四節気にじゅうしせっきは紀元前の中国で生まれた、

太陽の動きに基づいた暦である。

1年を4つの季節に分け、

さらにそれぞれの季節を6つに分割している。

4×6=24なので、二十四節気…ということである。


四季の最初が、立春、立夏、立秋、立冬。

この4つは「四立しりゅう」と呼ばれている。



私は春の始まりに相応しい食材で、

今夜最後の料理をご提供する。


「お待たせしました。鰆のお茶漬けです」

私はお客様の前に鰆のお茶漬けとたくわんを並べる。

お客様はしばらく料理を見つめていたが、

やがて箸を手にして、一口口に運ぶ。

「熱い……けれどお魚の旨味が口一杯に広がるわ」

「お米もお茶もすごく丁寧に仕上げてあるわね」

「お客様、今日は立春と言って、

 春の始まりとされている日なんですよ」

「春の……始まり……

 うふっ それはおめでたい日に来れたわ」

「彼と出会って、結ばれたのも春だったわね。

 愛しい我が子が産まれたのも……」

「共に産まれたもう一人の私が亡くなったのも……」

お客様の言葉は聞こえないが、

私はタイミングを見計らって言葉をつなぐ。

「今回のお茶漬けの主役、鰆は魚偏に春と書いて、

 春を告げる魚とも呼ばれています」

「春は鰆の旬の時期でもあるんですよ」

「春を告げるお魚……ですか……

 それは最後まで味わい尽くしてあげましょう」

「皮もしっかり焼かれて香ばしく、

 お野菜もたくさん入っているわ」

「春は出会いの季節……けれど別れの季節でもある……

 愛する彼と出会い、結ばれ、愛しい我が子が産まれ、

 これほど美味なお料理にも出会えた……」


「私の人生は幸せだったわ……」

お客様の目から一筋の涙が流れた……



「ごちそうさまでした。とても美味でしたよ」

お客様は蠱惑的な笑みを浮かべて、

深くお辞儀をした後に消えていった。


カウンターには空になった食器と、

一輪の梅の花が置かれていた。

梅の花言葉は「上品」「高潔」「忍耐」「忠実」

まさに花言葉に相応しい女性でしたね。

あちらでもお幸せに……


私は梅の花を掌に乗せて呟いた。


_____またのお越しを、お待ちしております_____

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ