みぞれ煮
生命目覚める弥生の月
ここ食堂「菜食兼美」では筍や蕗などの
春が旬の食材を取り入れた
メニューを提供している。
春は目覚めの季節でもあるので、
しっかりと「苦み」を摂らなくてはならない。
「いらっしゃいませ~
お好きなお席へどうぞ」
早速新規のお客様から注文をいただく。
「山菜の煮物定食下さい」
「はい! ご飯は豆ご飯に
変更できますがいかがですか?」
「では、豆ご飯に変更でお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
私はすぐさま調理場へと戻る。
山菜の煮物はわらびやゼンマイ、
蕗や油揚げと野菜を煮た
女性客に人気のメニューである。
季節が春ということもあり、
多くのお客様からご注文いただいている。
「おまたせしました。山菜の煮物定食です」
私はテーブルにご飯、味噌汁、煮物、
小鉢、漬物が乗ったお盆を置く。
「ありがとうございます。いただきます」
「うんうん、しっかり苦味もあるし美味しい」
「ありがとうございます
たくさん召し上がってください」
私はお礼を言って調理場へと戻る。
夜になると男性のお客様たちがお酒片手に、
きんぴらやコールスローサラダなどを
肴にして会話に花を咲かせている。
「今日、妻にバームクーヘン贈ったよ」
「お! 奮発したじゃん」
「さすがにスーパーとかじゃアレだと思って、
洋菓子店検索して行ったよ」
「高かったんじゃないか?」
「まぁ、それなりには」
「俺はもらう相手も
あげる相手もいないからな~」
「それはそれで、気楽でいいよな」
「だけど、バレンタインとか
クリスマスとかに、
一人で街歩いてると気まずくなるぜ」
「あ〜〜」
そんな会話を聞きながら私は
「奥様喜んでくれるといいな」と
思いながら調理を続ける。
「ごちそうさま」
「ありがとうございました
またお待ちしております」
閉店間際にお客様がお帰りになられた。
そして、閉店後……
本日最後のお客様がご来店された……
閉店後の入口に女性のお客様が立っていた。
幼さの残る顔立ちで女学生の出で立ちである。
しかし、芯の強さを感じさせる目と、
固く結ばれた唇が馴れ合いを拒む
鋭い雰囲気を醸し出している。
私は笑顔で
「いらっしゃいませ お席にどうぞ」
とお客様を迎える。
お客様は一礼をして、
優雅な動きで席に座られた。
今宵は3月14日 ホワイトデー
バレンタインデーのお返しとして
広まったイベントである。
バレンタインデーにチョコをもらった男性が、
キャンディーやマシュマロなどを
女性にお返しする日とされている。
ホワイトデーの習慣は日本で生まれ、
中華人民共和国や台湾、韓国など
東アジアの一部でも行われているという。
欧米やオセアニア、南アメリカやアフリカなど
その他の世界各国では見られないらしい。
起源については諸説あり、
老舗の店舗や協同組合が
マシュマロなどを売り出したなど、
様々な店が主張しており定まっていない。
「まぁ、お返しをするための
イベントなんて日本らしいね」
と思いながら私は
本日最後の料理をお出しする。
「おまたせしました。根菜のみぞれ煮です」
私はテーブルにみぞれ煮と味噌汁を並べる。
「……いただきます」
お客様は顔の前で手を合わせて一礼した後、
箸を手にすると味噌汁を一口飲む。
「……っ……」
お客様は目を閉じて
「……ふぅ」と息を吐かれる。
「本日のお味噌汁は
春キャベツや新玉ねぎなど、
春の野菜を取り入れております」
私は念のためお伝えしておく。
「お客様、今宵はホワイトデーと言って、
バレンタインデーの
お返しとして広まったイベントです」
「バレンタインデーに
チョコレートなどを贈られた方が、
そのお返しとして
お菓子などを贈る日とされています」
「……!」
お客様の目が見開く。
そして、その目から一筋の涙が流れる。
何かを思い出すようにお客様が目を閉じる。
しばらくして、その口から声が漏れる。
「……そぅ」
「いい日……なのね……」
目元の涙を拭い、みぞれ煮に箸を伸ばす。
みぞれ煮にも大根や南瓜、蓮根などの
野菜をふんだんに取り入れている。
根菜は体を暖めてくれるし、
生活習慣病の予防にも
効果があるとされている。
「……」
一口口にすると目を閉じて2回頷かれた。
「お気に召されたようでなによりです」
料理を美味しく食べてもらうのが私の喜び。
みぞれでお客様の涙も
洗い流してくれますように……
食事を終えるとお客様は
「ごちそうさま……」と口にされる。
席からの立ち上がり際に
「ごめんなさいね」と呟かれる。
「涙など見せてしまって……」
「いえ、涙を流すことは人として、
当たり前の感情です」
「感情を押し殺して生きるのは、
辛く悲しいことではないでしょうか」
「それは相手から見れば感情のない
人形のように見えるのではないでしょうか」
「……!」
「……そぅ……なのね……」
「あの人も……そう思っていたのかしら……」
そのつぶやきは聞こえないふりで私は続ける。
「誰しも笑顔を向けられると嬉しいものです」
「……そう……ね」
「がんばってみるわ……」
「はい、
お二人のお越しをお待ちしております」
「……えぇ」
お客様は深くお辞儀をした後に消えていった。
テーブルには空になった食器と
一つの小袋が置かれていた。
小袋の中には数粒の
キャンディーが入っていた。
ホワイトデーにおけるキャンディーの意味は
「あなたが好き」「付き合いが長続きする」
私は目を閉じると
「あちらで想いが届きますように」
と思うと同時に呟く。
_____またのお越しを、お待ちしております_____