太巻き寿司とけんちん汁
寒風吹きすさぶ如月の月
ここ食堂「菜食兼美」では、
冬季限定でおでんや石狩鍋などの鍋類、
けんちん汁や豚汁などの
暖かいメニューを提供している。
今年は例年よりも寒さが厳しく、
来店された女性のお客様が店に入るなり
「はぁ〜〜暖かい」と息をつかれた。
「いらっしゃいませ。
今日も寒いですよね」
「ほんと寒いですよね。
八宝菜定食お願いします」
「はい! お味噌汁、
けんちん汁か豚汁に
変更できますがいかがですか?」
「わぁ! けんちん汁でお願いします」
「かしこまりました! すぐに」
私はすぐさま調理に取り掛かる。
別のテーブルでは、
「豆って年齢プラス1粒食べると
いいって言うけどそんなに食べないよね」
「うん 数粒くらいだよね」
「そういえば、給食に小袋の豆菓子あったな」
「あ〜 あったあった」
そんな会話を聞きながら私は、
「そんな話もあったな」と思いながら
調理を続けた。
「おまたせしました。
八宝菜定食です」
お客様の前に料理を並べる。
「ありがとうございます。
いただきます」
「ふぅ〜〜 暖まるな」
「ここは野菜が
たくさん食べられるからいいんだよね」
「値段高騰で野菜も高くなってるし」
「ありがとうございます。
たしかにそうですね」
「お野菜、たくさん召し上がってくださいね」
少しでもお客様の助けになれれば幸いだ。
夜になるとお酒とともに
鍋をつつくお客様が増えてくる。
中には、豚汁を肴に
飲む方もいらっしゃるくらいだ。
「ごちそうさまでした~~」
お顔を赤くした女性客がお帰りになられる。
「次は釜飯も食べたいな~」
「ありがとうございます。
次回ぜひ召し上がってください」
「またのお越しをお待ちしております」
私は頭を下げてお客様をお見送りする。
……そして、閉店時刻が迫る……
閉店後
入口に男女のお客様が立っていた。
お二人とも適度に筋肉がついていて、
引き締まった体つきをしている。
肉体労働者だったのかな…と思いながら笑顔で、
「いらっしゃいませ。
お好きなお席の方へどうぞ」
本日最後のお客様をお出迎えする。
今宵は、2月3日 節分
邪気を払い、無病息災を願う行事である。
古より季節の変わり目は
邪気が入りやすいと考えられ、
また「2月上旬はまだ寒く体調を崩しやすい」
ことから新年を迎えるにあたって、
邪気を祓い清め、
一年間の無病息災を祈る行事として
追儺が行われてきた。
元々の発祥は中国だが、
平安時代の大晦日に宮中行事として
追儺が行われるようになったと言われている。
これは疫鬼などを追い払うもので、
大晦日に陰陽師が
厄や災難を祓い清める儀式である。
「続日本書紀」のなかに
疫鬼払いとしての記述が見られる。
宮中行事としての追儺は徐々に衰退し、
江戸時代には行われなくなったという。
しかし、追儺は豆をまいて鬼を払い
無病息災を願う「節分」行事として
庶民の間に広まり、定着したそうだ。
もしかして、今日のお客様も……
思いながらも本日最後の料理をお出しする。
「おまたせしました。
太巻き寿司とけんちん汁です」
私はテーブルに太巻き寿司とけんちん汁、
たくあんを並べる。
既視感があるのか、
お客様はしばらく料理を見つめていたが、
箸を手にしてけんちん汁を一口飲む。
「ほぅ……」と息をつかれる。
「これは暖まりますね」
「そうだな」
女性のお客様もけんちん汁の具材である、
人参や牛蒡を食べて笑みを浮かべている。
「これは……米を海苔で巻いたものか……」
「それに魚や乾物に野菜まで……」
「見事にまとめられている」
「いただきましょうか」
「うむ」
太巻き寿司はさすがに一口では難しいので、
歯で噛み切りながら召し上がる。
「海苔の磯の香りと味を米が包んでくれる」
「乾物の旨味が海苔とお米を
更に美味にしてくれます」
「野菜でさわやかとなり噛むと心地良い」
「海の恵みである
魚の強い味と海苔も抜群です」
太巻き寿司(恵方巻き)の発祥は大阪。
節分に恵方を向いて願い事をしながら、
太巻きを黙々と最後まで食べるというもの。
太巻きの具は、七福神にあやかり、
また福を巻き込むという意味も込め、
七つの具を入れるのがよいとされている。
太巻きは鬼が忘れていった
金棒という見立てもあり、
食べる=鬼退治という意味合いもあるようだ。
けんちん汁は大根や人参、牛蒡など
たくさんの具が入ったすまし汁。
もともとは精進料理で、
特に魔除けなどの効果はないらしいが、
関東周辺ではよく食べられているそう。
「お客様、今日は節分という行事で、
鬼を追い払い、息災を願う日なんです」
「……!」
お客様の顔色が変わった。
しかし、私は気づかないふりで続ける。
「鬼とはいったいなんなのか…」
「かつて朝廷に従わない、
もしくは反旗を翻した人々が、
朝廷から鬼や河童、
土蜘蛛と呼ばれ忌避された」
「……」
「しかし、朝廷は自ら鬼と呼んだ
彼らの作る米や野菜がなければ
生きられなかった」
「もしくは彼らによって
朝廷たちは生かされていた」
「……」
「そして彼らがいなければ今の世の中はなく、
私達が生まれてくることもなかった」
「今、私達が生きていられるのも
彼らがいたからなんです」
「そして今のこの国は
朝廷や貴族の名は消えて、
万人誰もが「人」として
生きることができます」
全てはあなた方の存在があってことです……
思うが口にはしない……
「そうか……」
「良い時代になったか……」
「そう……ですね……」
お客様たちは涙を流していた。
しだいに口元を手で押さえ、
嗚咽が漏れていた。
私は目を閉じてそっとその場を離れた……
気持ちが落ち着いたのか、
お客様たちは食事を再会した。
根菜は体を暖めてくれるし、
太巻き寿司との相性もよい。
ときおり、何かを話し合いながら
楽しく召し上がっている。
聞き耳を立てるのも失礼なので、
私は片付けに専念する。
食事を終えたお客様たちは立ち上がり、
「ごちそうさまでした」と口にされる。
「今の時代が私達の頃よりも
良くなっていると知れてよかった」
「えぇ、本当に」
「ありがとうございます
またお米やお野菜を召し上がって下さい」
「そうさせてもらうよ」
「えぇ、ではまた」
お二人は深くお辞儀をして消えていった。
テーブルには空になった器と
一つの小袋が置かれていた。
小袋の中には米粒が入れられていた。
私は小袋を手のひらに収めて、
「美味しくいただきます」と
思うと同時に呟く。
_____またのお越しを、お待ちしております_____