チョコレートフォンデュ
寒さ厳しい如月の月
この日の街は甘い香りに包まれる。
食堂「菜食兼美」でもその香りを感じられる。
カップルがデートに使う
選択肢には含まれにくいが、
制服姿の女性客が
チョコレートの紙袋を抱えていたり、
「帰ったらチョコ手作りするの」
「えっ、すごいじゃない。
去年は買ってたのに」
「うん。今年はお友達のもいるから作りたい」
「あ〜、うちも娘が
手伝ってって言ってたな~」
とママ友同士の会話が聞こえてきたり…
私は「手作り喜ばれるといいな」と
思いながら調理を続けた。
「ごちそうさまでした」
「また来ますね」
紙袋を下げた女性客がお帰りになられる。
「はい、ありがとうございました」
「また、お待ちしてます。
気をつけてお帰り下さい」
私は頭を下げてお客様を送り出す。
そして…閉店時刻を迎える……
閉店後の店内
入口に男女のお客様が立っていた。
男のお客様は上等な仕立ての衣服を着て、
体つきもがっしりとしている。
女のお客様はところどころ
綻んだ衣服を着ており、痩せ気味だ。
そして2人共日本人ではない。
まぁ、そんなことは関係がないので
私は笑顔で「お好きなお席へどうぞ」と
お客様を出迎えた。
2月14日 バレンタイン
恋人たちが愛を育む一大イベントである。
バレンタインの歴史は、西暦1207年2月14日、
ローマ皇帝クラウディウスが
兵士に家族ができると、
軍の士気が下がると考えて結婚を禁じた。
しかし、キリスト教の司祭である
ヴァレンチノ(バレンタイン)が、
皇帝に秘密で若者たちの
結婚を行っていたため、
皇帝は怒りヴァレンチノを
ローマ宗教に改宗させようとした。
ところが、ヴァレンチノは
愛の尊さを説き皇帝に抵抗したため、
2月14日に処刑されてしまった。
後世の人々は、
ヴァレンチノ司祭の行動に感動し、
司祭が処刑された日を
「聖バレンタインデー」と呼ぶようになった。
悲しくも尊い話だな……と思いながら
本日最後の料理をお出しする。
「おまたせしました。
チョコレートフォンデュです」
私はテーブルに小鍋のチョコレートと
一口大に切ったバゲット、
いちごやバナナなどのフルーツと
フォークを並べる。
お客様たちは見たこともないであろう
食材や器具を見つめて首をかしげている。
「こちらは
チョコレートフォンデュと言いまして、
バゲットや果物をチョコレートに
絡めていただく料理です。」
私はお客様とは違うフォークで
バゲットを刺してチョコレートの中に浸す。
そしてそれを男のお客様に手渡す。
「そのまま食べてみてください」
お客様は手渡されたフォークを
しばらく見つめていたが、
チョコレートが絡んだバゲットを口に運ぶ。
「おぉ、これは甘くてとろけるな」
「ソースが絡んだパンが違う顔を見せている」
驚いた顔が笑顔に変わる。
それを見ていた女のお客様も
フォークを手にして、
いちごをチョコレートに絡めて口に運ぶ。
「本当ですね」
「チョコレート……と言いましたかね。
このソースが甘いだけではなく深みもある」
しばらく味わい、手を頬に当てて笑顔になる。
「フルーツの甘みと酸味にソースが絡まると
不思議な美味が生まれますね」
「ほう、では私も
フルーツをいただくとしよう」
バナナにチョコレートを絡めて口に運ぶ。
「これは酸味がなく甘みが強いが
チョコレートとの相性が抜群だな」
「では、私もいただきましょう」
そしてしばらく無言でチョコレートと
フルーツ、バゲットの美味に舌鼓を打つ。
「お客様、この国では結婚式の際に
新郎新婦がケーキをお互いに
食べさせることがあるんです」
「こちらはケーキではございませんが、
今日は愛する者同士が
その愛を確かめ合う日でもあります」
私の言葉になにかを察したのか、
頬にわずかに朱が交じる。
やがて、男のお客様がバゲットに
チョコレートを絡めて、
女のお客様の口元にフォークを向ける。
「さぁ……」
「……はい」
女のお客様はしばらく動かなかったが、
やがて差し出されたフォークの
先を咥えてバゲットを口にする。
バゲットを味わって飲み込んだ後、
女のお客様はバナナをチョコレートに絡めて
フォークを男のお客様に向ける。
「どうぞ……」
「……うむ」
男のお客様は一つ頷くと、
バナナを口にして味わう。
しばらく食事を続けていたが、
2人はお互いに顔を近づけて何かを囁きあう。
その声は私には聞こえないが、
2人の間でとても大切なことが
果たされたのだろう。
食事を終えると一礼をして
手を繋いだまま消えていった。
テーブルには2つの指輪が残されていた。
それぞれの指輪の内側に一文字の
アルファベットが刻まれている。
私も自然と笑顔になり、
「お幸せに」と思うと同時に呟く。
_____またのお越しを、お待ちしております_____