そら豆のスープとアジの南蛮漬け
季節は皐月
ここ食堂「菜食兼美」でも
色鮮やかで濃い野菜達が、
料理を華やかに彩ってくれている。
夜営業が始まってしばらくした頃、
1人のお客様がご来店された。
セミロングで落ち着いた雰囲気の
常連のお客様である。
「いらっしゃいませ!」
「お好きなお席へどうぞ」
お客様はカウンターの端に座られて、
カバンを隣の椅子に置かれる。
「ご注文はお決まりですか?」
私は注文をお伺いする。
「ジントニックと塩だれキャベツ、
それとかぼちゃコロッケをお願いします」
「はい! かしこまりました」
「少々お待ちください」
注文をお伺いするとすぐに厨房へ戻る。
コロッケを揚げて油を切っている間に
キャベツとジントニックを用意する。
そしてお盆に料理とお酒を乗せて
お客様の元へと向かう。
「お待たせいたしました」
「お先にジントニック」
「塩だれキャベツとかぼちゃコロッケです」
私は料理とお酒をお客様の前に並べる。
「ありがとうございます」
「ごゆっくりどうぞ」
料理を提供すると厨房へと戻る。
「さて、いただきますか」
私は手をあわせて頭を下げる。
ジントニックを手にして口に含む。
鋭く刺すような炭酸と強いアルコールが
口内に広がっていく。
一口分飲み込むとライムの苦味と
爽やかさに喉が刺激されて心地よい。
「はぁ、 ふぅ」
一息ついてジントニックを前に傾ける。
グラスの中の氷が「カラン」と音を立てる。
透明の液体を眺めながら、
初めて外飲みした時の事を思い返した。
「初めてお店で飲んだお酒も
ジントニックだったな……」
「カクテルってジントニック以外に
そんなに知らなかったし」
「むしろ1杯飲んだら違うお酒
飲まなきゃいけないなんて思ってたし」
最初の外飲みではジントニックの後に
違うサワーを順番に飲んでいた。
そこで自分がお酒を飲める体と
舌を持っていることに気づいた。
そこから連日仕事終わりに飲みに行っては
潰れることもしばしば。
今となってはお酒を覚えたての小娘に
よくある事と納得させての苦い思い出だ。
「まぁ、長い目で見て勉強になったな」
「お酒は潰れないと覚えられないし」
「お店のレモンサワーを
売り切れさせたこともあったな ふふ」
回想はここまでとグラスを傾けて氷を鳴らす。
ジントニックを一口飲んで、
キャベツを1枚箸でつまむ。
そのまま口に運んで噛み切る。
「シャキッ」とした心地よい音と共に、
甘くクセのない味が口に広がる。
噛むたびに適度な弾力が歯を押し返し、
シャキシャキの歯ごたえが押し寄せてくる。
野菜そのままの品だが、
酒飲みにとっては立派な一品となる。
単に高級料理や美食の類を美味とする
舌が肥えているという表現とは異なる、
酒を愛して酒を味わえる者のみが
持ち養える酒飲みの舌。
漫画によく登場する「神の舌」など
架空の存在とは一線を画す。
「神の舌って言っても所詮味は
食べた者にしか分からない」
「同じ物を同じ瞬間に食べても
味の感じ方は人それぞれ」
「旨味塩味苦味甘味酸味それぞれ
好き嫌いがあるからね」
「辛味は味覚ではないとされてるけど
好きな人はいる」
「結局食べた者が美味しければ
それでいいのよね」
自分の考えに納得して
ジントニックで喉を潤す。
そして箸をかぼちゃコロッケへと向ける。
箸を水平にしてかぼちゃコロッケの衣を
上から押すように切っていく。
表面の衣は硬くても少し力を入れれば、
箸は中へと入っていく。
衣を突き破って少し広げると、
かぼちゃの鮮やかなオレンジや緑と
甘い香りが目と鼻腔を刺激する。
「ふふ」
自然と笑みがこぼれる。
一口大に切り分けて口に運ぶ。
その途端、油を含んだ衣のサクサクとした
食感とかぼちゃの甘くホクホクとした
旨味が口の中全体に広がる。
私は目を閉じて咀嚼を続けて飲み込む。
そしてしばらくそのまま目を閉じて、
余韻を味わっていく。
かぼちゃの皮も使われているため、
少しゴロッとした感じもあり、
甘味だけではなくわずかに苦味もある。
静かに目を開けて微笑む。
「やっぱりかぼちゃは良い」
「美味や香りが良いだけでなく、
栄養素もトップクラスで美容効果も高い」
「しかも油と一緒に摂ると
吸収率も高いらしい」
「コロッケもかぼちゃも好きだから、
これは私にはピッタリ」
「そしてコロッケ単体で食べても美味だけど」
そう行って切り分けたかぼちゃコロッケを
キャベツに乗せて口に運ぶ。
「こうするとどうなるかな?」
油の濃いかぼちゃコロッケに
キャベツが加わることで、
油が中和されてキャベツの食感も加わり、
また違う味わいが生まれる。
「うん、間違いない」
「揚げ物をキャベツやレタスで
包んで食べるって別に普通だしね」
「焼肉やロールキャベツとかと似てるかな」
「後はピーマンの肉詰めとか」
そこで新たなアイディアが浮かぶ。
「コロッケの中身って肉魚野菜と
あらゆる食材がいける感じがするね」
「ビーフ、ポテト、かぼちゃやさつまいも」
「白身魚にハムエッグとかも」
「仕事としてコロッケやトンカツを
揚げることはあるけど、
素材から作ってはないからな」
「春巻きや点心もいろいろ変えられるね」
「ピーマンの肉詰めも肉をポテトにしたり」
果たして何から作ろうか……
今から楽しくて仕方ない気持ちで
ジントニックを傾けた……
「ごちそうさまでした」
「はい! ありがとうございます」
「またお待ちしております」
「はい またいずれ」
気分の良いお客様をお見送りすると
こちらまで気持ちが良くなる。
キャベツにポテサラをのせたり、
冷奴にキムチをのせて食べたりは
私も良くしますよ……
そんな事を思いながら
本日の営業を終了する。
そして……本日最後のお客様がご来店される……
営業終了後の店内入り口に
1人のお客様が立っていた。
白い衣を身に纏い、
華奢で小柄なお客様である。
「いらっしゃいませ!」
「お好きなお席へどうぞ」
お客様は小さな足取りで
カウンターへと座られる。
本日は「小満」と呼ばれる日。
「小満」とは二十四節気のひとつ。
二十四節気とは1年を約15日間ずつ24等分し、
それぞれの時期にふさわしい
季節の名称をつけた暦のこと。
小満には、
あらゆる生き物が勢いよく成長して
生命力に満ちるという意味がある。
また秋に蒔いた麦などの
作物が実る時期でもあり、
農家が「小さく満足する」ことから
「小満」と呼ぶようになったという説も。
もしかしてこちらのお客様も……
そんな事を思いながら
本日最後の料理をご提供する。
「お待たせいたしました!」
「そら豆のスープとアジの南蛮漬けです」
私は料理をカウンターに並べる。
「これは……豆の汁にお魚……ですか?」
初めて見る料理であろうから、
困惑するのも無理はない。
私は笑顔でなるべく横文字を
使わずに説明する。
「はい、こちらがそら豆や牛の乳などを
煮込んで汁状にしたものです」
「こちらがアジという魚や野菜を
漬け汁に漬け込んだものです」
伝わったのかお客様が一つ頷く。
「そう……なのですね」
「そらまめにあじ……」
「ではいただきますね」
お客様は匙を持ち、スープを口に運ぶ。
「あ……甘いです」
「それに口に残る濃い味わい」
「豆の味もしっかり感じられます」
お客様が笑顔になりこちらも嬉しくなる。
「気に入っていただけてよかったです」
もう一口スープを飲み
満足そうな表情を浮かべられる。
「お魚もいただきますね」
「はい、お召し上がりください」
アジをフォークで一口大に
切り分けて口に運ぶ。
「酸っぱい……!」
「けどさっぱりしてお魚の味も強い」
「こんなの初めて……」
「お客様、南蛮漬けは酢という
調味料を使っているので酸っぱいですが、
疲労回復効果もあるとされています」
「そうなのですね……」
「食べた時は驚きましたが、
お魚やお野菜も美味しいです」
「ありがとうございます」
「それに酢には防腐効果もあるとされ、
食材を長く保存することもできます」
それを聞いてかお客様が少し目を見開く。
「食材の保存……」
「あの時にそれがあれば……」
こちらの視線に気づいたのか
「……あ、すみません」
「あの頃は麦や作物が育たない事も多く、
不安に過ごしてきました」
「生活の糧が得られないとなるとやはり……」
お客様の時代を生きていない私には
想像もできないことだろう。
しかし……
「お客様、本日は小満と呼ばれる、
麦の実りを感謝する日とされています」
「え……」
「万物…動植物たちが成長し、
秋に蒔いた麦が穂を出して
小さく満足することが由来とも言われます」
「麦が穂を出す……」
「それは私達が生きていけること……」
「はい! 今私を含め人々の営みが
続いているのもお客様が
麦を蒔いて糧を得ていたおかげです」
「……」
「そして稲や野菜などの栽培は
文明の利器を使用しているとはいえ、
現代まで受け継がれています」
「保存技術も発達しましたが、
実りそのものがなければそれも活かせない」
「もちろん災害や冷害で
育たないこともあるでしょう」
「それでも諦めずに創意工夫をこらして
絶やさないからこそ今の私達が
生きて行けています」
お客様の目から涙がこぼれ落ちる。
「こちらのそら豆もアジも野菜も
諦めずに育てたからこその実りですね」
「……はい……そうですね……」
「ありがとうございます……」
「この時代の方達の育てた実り、
最後まで美味しくいただきます」
「ごちそうさまでした」
お客様は食後の感謝を述べる。
「あちらに戻っても今日のことは忘れません」
「ありがとうございました」
お客様は頭を下げた姿勢のまま消えていった……
カウンターには空になった器と
小さな袋が置かれていた。
袋の中には蒔く前の麦が入っていた。
この麦もいずれ穂を出し、
立派に成長してくれるといいな。
実るほど頭をたれる稲穂かな
その言葉の通り見事に成長するのは
まだまだ先のことではあるが、
その麦で作った料理をあのお客様に
食べていただきたいな……
私があちらに行ったら、
立派に実ったとお話してあげたいと思う……
-----またのお越しをお待ちしております-----




