夏野菜の冷しゃぶサラダ
緑が色付いて日差しが強くなる五月の月
ここ食堂「菜食兼美」では、
筍や山菜などの苦味の春野菜達が
今年最後の輝きを放ち、
トマトや胡瓜などの鮮やかな夏野菜達が
万全の仕上がりを整えている。
もちろん私も食材達の輝きに応えるべく、
生命を頂くことに感謝して日々腕を磨いている。
ランチタイムも少し過ぎた頃、
顔馴染みのお客様がお一人でご来店された。
「いらっしゃいませ!
お好きなお席へどうぞ!」
お客様は普段通りテーブル席へと座られる。
私はお水を提供しつつご注文をお伺いする。
「ご来店ありがとうございます。
ご注文はお決まりですか?」
お客様は慣れた口調でご注文される。
「青椒肉絲定食の
たくあん付きでお願いします」
「はい!かしこまりました!
少々お待ちください」
私は注文を受けるとすぐに厨房に戻り、
調理を開始する。
青椒肉絲は
筍、ピーマン、人参などの細切りにした野菜と
牛肉や豚肉を炒める中華料理で、
家庭料理としても親しまれている。
どの肉を使うかは人や環境によるが、
うちでは豚肉を使用している。
私は料理が出来上がると
お客様のもとへと向かう。
「お待たせいたしました!
青椒肉絲定食です」
「わぁ! ありがとうございます」
「熱いうちが華ですからね。
それではごゆっくりどうぞ」
「堪能しますね」
「ふふっ」
お互いに笑い合って私は厨房へと戻る。
「さて、それではいただきます」
あたしは顔の前で手を合わせてから箸を取る。
「まずは、お味噌汁から……」
器に口をつけて一口飲む。
「……ふぅ」
具材のわかめを味わいながらもう一口飲む。
「やっぱり落ち着くなー」
「体に染み渡っていくしねー」
お味噌汁をテーブルに戻し、
箸を青椒肉絲へと向ける。
「ふふー まずは……」
あたしは筍だけをつまんで口に運ぶ。
「うんうん、いい歯ごたえと食感」
「噛むたびに甘みも広がって油ともいい感じ」
シャキシャキとした歯ごたえを楽しみながら
さらに味わっていく。
「春の味覚の代表とあたしが思ってる筍。
旬を味わえるのも今年もあと少しかー」
「筍の旬がたしか3〜5月だったと思うから、
今月までに味わい尽くしてあげなきゃー」
そう新しい目標を一つ掲げて、
あたしはピーマンへと箸を伸ばす。
「そしてこれから旬を迎えて
輝きを放つピーマン」
口に含んで噛みしめる。
「ふふっ……苦みが最初に顔を出して、
唯一無二の存在であることをアピールする」
「そして噛みしめるごとに控えめな甘みが
強い苦みをそっとサポートして調和」
「苦みと甘み、この2つがあってこそ
ピーマンという野菜が活きてくるよねー」
あたしは自分の考えに納得する。
「ポカポカ陽気の春代表である筍と
ギラギラ熱波の夏野菜であるピーマン」
「春が一歩下がり、夏が一歩前に出る。
2つの季節の旬の味わいと移り変わりを
一皿で感じさせてくれて楽しめるのが
青椒肉絲の醍醐味なのかもね」
あたしは「ふふっ」と笑う。
「そして主役であるとも言える豚肉」
「まずは豚肉そのものをいただこう」
あたしは細切りの豚肉だけを口に運ぶ。
「うんうん、細切りといえど豚肉は豚肉」
「強いお肉の旨味と甘みが
主役であることを表現している」
「それに噛むたびに肉汁も顔を出して
刺激を与えてくれてるね」
目を閉じて豚肉のポテンシャルを感じながら
自然と笑みを浮かべる。
「さて、それぞれ個別の美味を堪能したら
次にすべきことは一つ!」
あたしは豚肉、ピーマンを
同時に箸でつまんで口へと運ぶ。
「あ〜~、やっぱりいいね~~!」
「豚肉の甘みにピーマンの苦みが合わさり、
それが味蕾を刺激して
幸福な感覚を与えてくれる」
「それにお肉の適度な噛み応えと
ピーマンのシャキっとした食感が
噛むという行為をより楽しくしてくれる」
「美容や健康のためにもよく噛んで
食べることは大切だからね」
あたしは自分の中で頷きながらふと思う。
「外で食事してるとたまに見かけるけど、
ご飯食べ終えるのめっちゃ早い人いるよね」
「早食いを得意気に自慢してる
動画もあるし……はぁ」
「そういう人ってただ
食べられたらなんでもいい」
「お腹が満たされたらなんでもいいって
感じなんだろうな、きっと」
「味わうこともできない、
工夫なんて概念もない」
「だいたいそういう人って肥満体だったり、
小太りだったりするからね」
「食を疎かにする人は仕事もできない」
「ほんと惨めだし可哀想だよねー。
食事に興味がなくて楽しめない人なんて」
「一体なにが楽しくて生きてるんだろう」
「後悔して困るのは自分自身なのに、
そんなことすら分からない」
「まぁ、あたしには関係ないし、
理解も同情もする気はさらさらないしね」
そこまで思い、考えを変える。
「さ、そんなどうでもいいこと考えてても
世の中になんの価値も生み出せないからね」
「新しい価値を生み出す工夫で、
大切な食事を最大限に楽しもう!」
「未来がさらによくなるように、
これからもあたしが更に
成長できるようにね!」
「なんたってこのお店はご飯とお味噌汁が
無料でおかわり自由だからね」
「無限に工夫やアイディアが湧いてきて、
それを実行してさらにそこから
新しい智慧が生まれる」
「次はどうやって食べようかな〜♪」
その時考え出した最大限の工夫で
食事を終えたあたしはお礼をしてお店を出た。
「はぁぁぁ~、堪能したね〜」
「ちょっとお腹が重いけど、幸せな温もりね」
「今回思いついた工夫は
次食べに来る時に活かすとして……」
「今日仕事終わったら明日作る
常備菜の下ごしらえ……」
頭の中で必要な食材をリストアップする
「さつまいもと人参は切っておいて、
玉ねぎと小松菜は作るときでいい……」
「キャベツもあるしいけるいける!」
そして思考は食から文へと移る。
「次に書く短編小説に青椒肉絲登場させよう」
「そして、今回の工夫を文章にして、
こういう工夫や食べ方もあるよって
読者様に伝えようかな」
あたしはこの先の流れを頭の中で組みながら、
足取り軽く馴染みのスキマバイトへと向かう。
場所は戻り、食堂「菜食兼美」
私は先程お帰りになられた
お客様のことを思い「ふふっ」と笑う。
「今日もたくさん食べられましたね」
「そして必ず残されないのも嬉しい」
食堂を経営する前は
他の飲食店でアルバイトをしていたが、
お客様の食べ残しがあると
明るい気持ちにはなれなかった。
そのため、残さずに綺麗に食べてもらえると
気持ちが嬉しくなり、これからの励みになる。
食中毒防止やその他諸々の事情から
食べ残しの持ち帰りをお断りする店もあるが、
うちではご希望があれば対応している。
もちろん、その後は自己責任だが。
「残さず食べていただいて、
その後もご来店いただいているのは
お互いとてもいいことだからね」
私はポジティブ思考で判断して、
新たにご来店されたお客様をお出迎えする。
そして営業時間終了後……
今宵、最後のお客様がご来店される……
閉店後の店内
入口に1人のお客様が立っていた。
背が高く細身ではあるが、
力仕事で鍛えられたであろう
引き締まった体つきが
服の上からでもみて取れた。
「いらっしゃいませ!
お好きなお席へどうぞ!」
お客様は一つ頷かれると、
しっかりした足取りで
カウンター席へと座られる。
本日は立夏。
夏の始まりを意味する日である。
立夏とは二十四節気のひとつ。
二十四節気とは春夏秋冬をそれぞれ6つに分け、
一年を二十四の節気に分割し、
季節の目安となる名称を付けたもの。
立夏の「立」とは中国語で
「始まり」という意味。
文字通り、立夏とは夏の始まりを表す。
5月5日頃から約15日間の立夏の期間は、
爽やかな新緑の時期。
初夏のような日もあれば、
意外と寒い日もあるがそこは自然。
人の思い通りになどなるはずもなし。
冷夏のような涼しい夏もあれば、
今年のような猛暑もありますからね。
そんな事を思いながら、
私は本日最後の料理をご提供する。
「お待たせしました。
夏野菜の冷しゃぶサラダです」
カウンターに冷しゃぶサラダの大皿と
小鉢、銀の水差しを並べる。
「ほぅ、これは美しいものだな」
お客様は笑みを浮かべて
顔の前で手を合わせられる。
「では、いただきます」
グラスのお水で口を湿らせてから、
レタスを掴んで口へ運ばれる。
「うむ、みずみずしくて新鮮、
シャキシャキとした歯ごたえも心地よい」
「葉物野菜単体でこれなら、
他の野菜や肉と合わせても美味いだろう」
「はい! どれと合わせられても
ご満足いただけると思います」
「たいした自信ではないか。
ではまずは茄子とともにいただくか」
そう言われるとレタスで茄子を
軽く巻いて口へと運ばれる。
「ふっ、茄子のトロッとした柔らかさに
葉物野菜の食感が加わって楽しめるな」
「それでいて決して茄子が
負けているわけではない」
「ともに個性があるからこその
調和とも言うべきかな」
軽く唇を笑みの形にされる。
「それにしても……」
「茄子や赤茄子、見たことがない
緑の野菜と色とりどりの野菜を
ふんだんに使っているな」
「はい。本日は立夏と名付けられる
夏の始まりの日とされています」
「そのため、今回の冷しゃぶサラダには
夏野菜をたっぷりと使わせて頂きました」
「ちなみにこちらの緑の野菜は
ズッキーニと呼ばれる夏野菜の一つです」
私は簡単に説明する。
「夏の始まり……」
「それで夏に美味くなる野菜を
ふんだんに使っているわけか」
お客様は納得されたのか一つ頷かれる。
「では、主役であろう豚肉を
頂くこととしよう」
お客様の目が鋭くなる。
「……」
私は言葉を発さない。
豚肉を箸でつまみ、口へと運ばれる。
「……」
目を閉じられてしばしの静寂が流れる。
そしてお客様が口を開き
しばしの静寂が終わりを告げる。
「……見事だ」
「全くの臭みがなく自然の甘み。
血抜き解体ともに充分」
「そして調理も手を抜くことなく
繊細かつ慎重で丁寧」
「調味料でごまかすことのない
豚肉本来の美味を味あわせてくれた」
「ありがとうございます。
お褒めに預かり光栄です」
私は本心からのお礼を述べる
「ごまかしのない豚と向き合うのは
あれが最初であったな……」
「お客様、豚とのご縁がおありですか?」
私は後学のために訪ねる。
「うむ、俺は蝦夷で豚事業を営んでいてな」
「解体はおろか、餌のことも小屋のことも
何一つ知らない状態での始まりだった」
私は黙って聞く。
「開拓のために単身蝦夷に渡り、
ひたすらに肉体労働に従事していた」
「ある時、世話になっていた老夫婦の
自宅に呼ばれて夕食を馳走になった」
「その中に豚の塩焼きがあってな。
思えばあれが始まりだった……」
「開拓地でろくな調味料もない中で
貴重な塩を使って作ってくれた」
「塩だけだからこそ、素材が持つ
本来の味を引き出せたのだろうな」
そこで一息つかれる。
「そこで俺が蝦夷で
やるべきことが見つかった」
「養豚のことを老夫婦から学び、
自分の豚を持ち養豚業を始めた」
「あの味を自ら作りたかった……
というのもあるのだろうがな」
そこまで話されると「ふぅ」と一息つかれる。
「素敵なお話です。
一つの料理から人生の仕事を
見つけられるのは素晴らしいことです」
私は本心から言葉を口にする。
「そう言えば聞こえはいいがな。
実際は試行錯誤と困難の連続だった」
「しかし、それはもう昔のことだ」
グラスを傾けてお水を飲まれる。
「今の時代の肉や野菜は
あの頃よりも遥かに美味い」
「より美味くしようとする心は
時代を超えても変わらないか」
私は言葉を紡ぐ。
「そうですね。
今は品種改良で良い物どうしを合わせて
より美味しくすることも多いですが、
もちろん昔ながらの方法もあります」
「特に北海道……お客様の時代の蝦夷は、
今やこの国における食の一大産地」
「豚肉はもちろん、お野菜や海産物まで
ありとあらゆる食材が生産されて
日本中の食卓を支えています」
「蝦夷の開拓民……今は屯田兵と呼ばれますが
その方達がいなければ、
活躍がなければ今もなお蝦夷は
未開の地であったかもしれませんし、
ここまで繁栄発展することも
間違いなく無かったでしょう」
「もちろん、こちらの冷しゃぶサラダも
ご提供することはできませんでした」
私は言葉を区切り、お客様に一礼する。
「……そうか」
「それは何物にも変えがたい喜びだな」
「豚肉に意識を向けていたが、
野菜もそれぞれで違う個性がある」
「それにさっぱりと爽やかで
清涼感……というのかな」
「体に風が通るようだ」
お客様は軽く目を閉じられる。
「夏野菜には、水分やカリウム、
ビタミン、ミネラルなどの栄養素が
豊富に含まれておりまして、
夏バテの予防や熱中症に
効果的とされています」
「それに水分を補いつつも
体の熱を冷やす野菜もあります」
冷しゃぶサラダを手で示す。
「今回で言いますと、茄子やトマト……
赤茄子がそれに該当しますね」
「それとそちらの小鉢のオクラの胡麻和え……
粘り気の野菜も滋養強壮に良いとされ、
夏バテ防止が期待できます」
「胡麻和えは胡麻も野菜の栄養素も
効率よく摂取できますからね」
お客様が唇を笑みに変えられる。
「ふふっ、よく考えられている」
「夏の始まりの日に夏野菜で
栄養を摂りながらも体の熱を冷まし」
「料理の主役に豚肉を選び、
くしくも俺の心に刺さった」
「さらに粘り野菜でバテるのを予防して
かつ美味で栄養効果も期待できる」
そこで言葉を区切られる。
「生野菜も含めているのは
夏で熱を冷ますだけではないな」
私はいたずらっぽく笑う。
「もちろんそれもあります」
「それに生で食べると栄養も逃しませんし、
美容健康にもいいですからね」
私は自分の頬に軽く指を当てる。
「ふっ……ふっふっふ」
「そうだな、せっかく美味に作られた
食材なのだから最大限の効果を
発揮させて食べてやらんとな」
「豚も野菜も全て同じ命。
命を頂く者としての感謝と責任が伴う」
「残すなど命への冒涜。
全て頂くことがせめてもの供養」
私も同じ想いです。
口には出さずとも心で紡ぐ。
「ふぅ、ごちそうさま」
「この命、感謝を込めてありがたく収めた」
そして顔の前で合掌される。
「満足させてもらった。ありがとう」
「こちらこそありがとうございます」
私は素直にお礼する。
「それにしても……」
「今の世は野菜も肉も
これほど鮮やかで美しく美味い」
「世の進化とは恐ろしいものだな」
「まぁ、それだけより美味な食を
求める欲望が強いということかな」
「ふふ」と笑われる。
「そうかもしれませんね」
「より美味しく食べるために、
食材だけでなく調理も進化してますから」
「それでも人の手で作り出すことに
変わりはありませんけどね」
「そうだな」
「どれだけ科学が進化しても、
結局動かして考えるのは人間だからな」
お客様はゆっくりと席から立ち上がる。
「今宵は世話になったな。
今の世のことが微かでも知れてよかった」
「機会があればまた味わいたいものだ」
「はい、いつでもいらしてください」
「そうさせてもらおう」
「ではまたな」
そう言われるとお客様は
ゆっくりと消えていった。
カウンターには空になった食器と
一つの小瓶が置かれていた。
小瓶の中には塩が入っていた。
生物が生きていくには必要不可欠な
自然の恵みであり、調理にも必須。
そしてお客様の人生を決めた
豚肉料理に使われていた塩。
私は小瓶を掌に収めて想う。
これから先の料理に大切に
使わせていただきますね。
お客様の人生を変える料理を
作り続けていけるように……
-----またのお越しを、お待ちしております-----




