第4章 疑惑〜27〜
第4章 〜27〜
自分の存在が、世間から大きくズレているのなら…
生まれ変わったとしたら…
※差別偏見誹謗中傷
夕刻、不貞腐れた顔で、スーパーで買い物をする男が居る。
自分が蒔いた種で、自分を貶めた。
―自業自得…か。
減給。
即ち、懲戒処分だ。
自身も分かっている事だが、間違いなく自業自得だ。つまらない誹謗中傷や虐めとでも言える行為の果ての今であり、1人の従業員を休職へと追いやったのだから。
高原は、珍しく凹んでいる。
一応この男も、そんな感情を持ち合わせてはいる。
自らの行った行為が、あまりにも大人気なく馬鹿馬鹿しいものであり、その末の懲罰。
その事を、ようやく理解した。
職場での噂というのは、自身の知らない所で幾らでも色を着けられては広まる。
人数が多ければ多い程、その規模も比例して大きくなる。
この件においては、B室リーダーである颯希が突然休職した事実があるのだから、最早何があったかは聞くまでもない。
高原からふざけたメモを受け取り、回していた臨時従業員達は、手のひらを返したように自己防衛に移行し、今度は高原の悪口で盛り上がる。
何と醜い光景だろう。
「お前、休むなよ!」
颯希が病院に運ばれた際、高原は太田から同じ事を言われていた。
太田の異動が突然決まり、課長代行に就く事になった神崎は、あらためて高原に強く言った。
あまりに強すぎればパワハラとも言われかねないが、高原にはそんな訴えなどする権利もない。もちろん法的ではなく、本人がそう感じていた。
太田が抜け、颯希が休職。自身は課長代行と来れば、さすがの神崎もB室へのサポートが不可能になる。
B室リーダーを代行するのは、徳永だ。室長と作業リーダーを一手に引き受ける形となり、大きな負担がかかるのは必至だ。
人員不足だ。高原を休ませる訳にはいかない。
―これも償いか。
高原は、毎日のようにそう呟く。
今さらながら、その罪の重さを肌で感じ取っていた。
「もう遅いねん」
颯希は会議室でそう呟いた。
リーダーという立場に居た颯希は、高原の数倍は臨時従業員達の噂話の怖さを知っている。
そして、信用を失った瞬間に誰も言う事を聞かなくなる事も。
今さら自らの行為を悔いたところで、もう遅いのだ。
そんな高原を、同じスーパーに買い物をしに来た颯希は遠目に見た。
自分をドン底に陥れた男。そんな男の姿を見て、思わず恐怖心に駆られる。
震える足でぎこちなく歩くと、製品を陳列する棚に隠れるようにして、レジで支払いを終えた高原が帰って行くのを確かめた。
颯希は、淡い栗色に染めた髪を耳にかけ、肩のステッチが二の腕の真ん中辺りまで落ちたオーバーサイズのカットソーを着ている。
ノーメイクとはいえ、その後ろ姿は殆ど女子だ。
引きこもりに近い状態で、買い物程度なら外出するが、その先で職場の人と出会ったら…そんな事を考えると、少しでも自分と悟られない格好で居たい。
前髪は、目を覆う程に真っ直ぐ下ろし、顔も分かりにくくしている。
その表情は、尋常じゃなく暗い。
結局のところ人を傷付ける行為は、誰も幸せにしないのだ。
「サッちゃん…」
夕飯の食材を買って帰宅すると、マンションの入口に莉玖が居た。
「あ、あぁ…」
声をかけられても、何も返事が出来ない。
言葉にならない程度の声を、静かに発するだけだ。
「入ってもいい?」
「うん…」
「晩御飯は?」
「買ってきた」
「食べる時、言うてね。あたし作るから」
「作るって…弁当やで」
「そっか。じゃあ、温めてあげるね」
それぐらい、自分で出来る。だけど、莉玖のこの何気ない言葉に癒される。
莉玖はいつもそうだ。子供の頃からしっかり者と言われながら、颯希にかける言葉はいつも穏やかで、かつリードしてくれる。
「サッちゃん。あたし、お茶買ってくる」
「あぁ、買っとくの忘れてた。ごめん。頼むわ」
今日も、朝からギターを弾いて小声で歌い、軽い食事を済ませただけの1日。話せる話題など、何処にも見当たらない。
ただ黙って寝そべっていると、莉玖は何も言わずに寄り添ってくれる。
自分から何かを言い出せば、そのひと言ひと言に笑顔で応えてくれる。
何者とも分からない、凡そ人とは違う自分に対し、貴重な時間を惜しみなく費やしてくれる。
今はこんな関係が愛しく思える。
「莉玖ちゃんはお前の事が好きやて言うてんねや」
剛は声を荒げてまでそう言った。
莉玖の想いは快く受け入れたい。でも、どうしても気になるのは、一度きりの人生の中で、莉玖は本当にこんな自分を選んでいいのだろうか? という事だ。
女性は男性を好きになる。至極当たり前の事だ。
そして、やがてはその人と共に生涯を過ごしていく事になる。だからこそ選ばれし者は、強く逞しく、包容力のある男性であるべきだ。
自分は、決してそんな男ではない。ないはずなのだ。
なのに莉玖は、何故自分を選ぶのだろう?
そんな事ばかり考えてしまい、脳内処理が追いつかない。
剛には言えた。
「莉玖が好き」
しかし、本人には言えない。
言えない理由が、自分の心の奥にある。
苦しめたくない。辛い思いをさせたくない。
渦巻く様々な気持ちが、自分の表情に影を落とす。
自分の存在が、世間から大きくズレているのなら―。
もし生まれ変わったとしたら、自分は一体どっちに?
「サッちゃん!!!」
莉玖の突然の大きな声に、ふと我に返る。
右手に握ったギラリと光るそれが、左手の手首に触れる様。
「ダメ! しっかりしてっ!!!」
莉玖は慌ててペットボトルを放り投げ、颯希の左手を取り、傷口を押さえた。
赤い液体が指の間から滲み出た。
莉玖は、颯希の左手首を握り続けた。
読んでいただき、ありがとうございます。
不安定な心って怖いもの。
日本では、LGBTQ+にあたる方の多くが、まだ生きづらさを抱えているそうです。
生まれ変わったら、自分が望んでいる性になれるのだろうか?
そんな事も、多くの方が考えてしまうようですね。




