第4章 疑惑〜26〜
第4章 〜26〜
自分を偽るって、何の意味があるの?
健康管理支援室・福本。
この人は一体何者?
そして、自分は…?
※差別偏見誹謗中傷厳禁
※不快と感じられるかもしれない言葉が含まれます。
その日、颯希は重い足取りではあるが、会社に向かった。
もちろん仕事ではない。まずは健康管理支援室の福本と話をするためだ。この先どう動こうが、まずは状況を話さなければ何も進まない。
しかし、自分の職場に顔は出したくない。そんな気持ちを汲んで、福本は健康管理支援室での話し合いをセッティングしてくれた。
入社以後、特に体調不良や怪我などなかった。それ故、この部屋と福本に対し、あまり馴染みはない。
それなのに、あの名刺の裏を見ただけで、福本の存在がとても身近に感じられる。話せそうな気がするのだ。
「どうぞぉ〜」
ドアをノックすると、奥からあの甲高い声が聞こえた。
ノブを掴み、ゆっくり回す。軽く押し開けると、そこに福本の姿があった。
「こんにちは。お忙しい中、ありがとうございます」
少し気遣う言葉で挨拶をすると、福本は笑顔で応えた。
「大丈夫ですよ。これが私の仕事ですから」
他に誰も居ない。2人だけの空間を用意してくれた。もちろん、ここでの話は記録されることになるが、横で聞く者が居ないだけでもかなり落ち着く。
遠慮がちではあるが、颯希は話し始める。
「あの…個人名出すのは大丈夫ですか?」
「一般の人には漏らしませんよ」
「それじゃ…」
個人名とは、高原の事だ。
たまたまとはいえ、同じ職場に配属された同級生。
ただ、同級生とは名ばかりで、高校生の頃から犬猿の仲と言って過言ではない。
「誹謗中傷を繰り返すんですよ、彼は。自分が小柄やっていうだけで、何かにつけて『オカマ』とか言うんです」
それも、個人の間でのやり取りなら我慢出来る。しかし彼は、他の従業員まで巻き込んで中傷する。
あの、過呼吸を起こしてしまった時。それは、まさに当該案件での話し合いの最中だった。
「でも日向さんね、あの時病院で、太田課長にも会いたくないって仰ってたでしょ?」
「あの時は本当に会いたくなかったんです。だって…」
颯希は少し間を置いてから言った。
「男として入社して、男として働いてる…それって、じゃあ本来は何者? 男なんやったら、それは当たり前やのに…何でそういう言い回しになるの?」
その時はそう思ったのだ。
しかし今は違う。何となく“自分”という者に気付き始めた事で、太田への憤りは鎮静している。
その自分という者が、剛に放った「女かもしれん」という言葉に込められている。
颯希は、改めて福本から受け取った名刺を見た。
『私と貴方は同じかもしれません』
「これは?」
福本は、ニッコリ笑って頷いた。
「違うと仰るならごめんなさいね。でも、そう感じたんです」
言葉を濁すように言うのは、そのひと言をズバリ言うより柔らかさがあるからだろう。
福本は、自身の喉にそっと触れた。
颯希は戸惑った。「女かもしれない」とは自らが放った言葉だが、それが何の感情から生まれるものかも理解出来ないでいる。
しかし、目の前に居る福本は、女性の容姿を持ちながら喉仏をも持っている。
「いいですか? 分かります? ここもそうだけど、こっちもあるんです。でも私は、この格好でいるのが自然だと感じてるんです。日向さんは違います?」
胸の辺りに衝撃が走った。
鴨川美化運動路上ライブ―。
確かに、化粧をし、女性物の服を纏った自分が心地良かった。
子供の頃からの事を思い出すと、いつも莉玖と遊び、欲しいものといえば可愛いキャラクターグッズ。
あの頃、何も気にする事なく“自分”でいられた。
思春期を迎えると、父親からの罵声と共に、周囲からの風当たりを気にするようになった。
自分らしさを封印し、男らしさを演じようともがいてきた。
―自分を偽るって、何の意味があるの?
自分自身の答えは、まだ出ていない。
面談を終えた後、颯希は自ら太田に会いに行った。
太田は颯希を一目見ると、今にも泣き出しそうな気持ちを抑え、深く頭を下げた。
「すまん、日向。課内で起こってる事への認識の甘さと、失言に対して、謝罪します。本当に申し訳ない…」
「課長、そんな。頭を上げてください」
「いや、俺…もう日向にとっての課長じゃない。異動になる。その前に、せめて君に謝りたかった」
―謝りたかった。
太田は何度も繰り返し、そう言って謝罪した。
「男として…」
デリケートなあの場でのこの言葉使いは、場合によっては失言に値する。太田は、福本からそう注意されたという。
「復帰は出来そうか?」
「復帰ですか…」
颯希は少し濁してから言った。
「福本さんとの面談で、いろいろ感じました。自分っていうのはまだ何者かは分かりません。でも、やるべき事は何となく見えてきたかもしれません」
「会社…?」
「じっくり考えて決めます」
その帰り、颯希は考えた。
福本が、あのような面談をセッティングした事。
太田に言った、「デリケートな」という言葉。
そして、「同じかもしれない」と書かれた名刺。
福本は、トランスジェンダーだった。
その事については初めて知ったが、彼女は、男性の体そのままに髪や服装は女性の物を纏っている。
その点だけで言えば、自身が演じた“ギター女子さつきちゃん”と同じだ。
そうなのか? 自分も―。
―行ってみる価値、あんのかもな。
行ってみる―。
福本は言った。
精神科と婦人科が連携して行っている診療。
ジェンダークリニック。
読んでいただき、ありがとうございます。
福本さん、なんとトランスジェンダーさんでした。
セクシュアルマイノリティについて理解の深い方の登場。颯希はどう付き合っていくでしょうか。
今は職業でも、「看護師さん」のように男女問わない呼び方が広まってきていますね。
少しずつですが、マイノリティの方への理解度は上がってきているようです。




