第4章 疑惑〜20〜
第4章 〜20〜
※非常にデリケートな描写があります。
病院に駆け付けた莉玖。
帰宅後の颯希の言葉に耳を疑う。
自宅に居る莉玖に、電話が入った。
電話など、極めて珍しい。多くはメッセージでのやり取りだ。発信者からの番号通知を見て、不安ながらも電話に出てみる。
「はい…」
「福島莉玖様でいらっしゃいますか? 私、京都伏見救急センター・駒井と申します」
何故救急センターから?
「日向颯希様が職場で体調を崩されて…」
血の気が引くような感覚を覚えた。
慌てるな。慌てまい…そう心の中で自分に言い聞かせながら、駒井という医師の説明を聞いた。
「病気ではありません。過換気を起こして、呼吸が乱れておりまして…先程ようやく落ち着いてきたのですが…」
兎に角病院へ。
莉玖は自転車に乗り、勧修寺の横を抜けて稲荷山から連なる山道を、体力の限り漕いだ。
下り坂とて足を止めない。1分でも、1秒でも早く…
―早く、早くサッちゃんの顔が見たい。
逸る気持ちを抑えつつ、総合案内所で颯希と自身の名を伝えると、そのまま処置室へと案内された。
「救急車の中で、譫言のようにあなたのお名前を言ってたんです」
家族ではない。なのに、苦し紛れにその名を繰り返していた。
駒井はそう言って、颯希が眠るベッドの横に立った。
「寝てます?」
「はい。かなり疲れたんでしょうね」
「過換気って?」
「過度のストレスが引き起こす事が多いですね。仕事上の何かとか、お聞きになってます?」
莉玖は瞬時に思い浮かべた。
高原だ。高原のハラスメント行為に違いない。
「先程まで、所属部署の課長さんがお見えやったんですけど、日向さん、会いたくないって仰いまして…」
「課長さんって、太田さん…でしたっけ?」
「そうですね」
―課長さんに会いたくない?
颯希がようやく目覚めた。
青白い顔。虚な目を、莉玖に向けた。
「サッちゃん…何があったの?」
しばらく沈黙した。その日の出来事、脳裏に残る全てが、整理できない。
「うん、言いたくなかったら、別に…」
莉玖がそう言いかけた時、颯希はか細い声を発した。
「誰も…自分の事を…」
「うん、ゆっくりでいいよ」
「なぁ、莉玖…自分って…」
誰かに問いたい。なのに、その答が怖くて言葉に詰まる。
苦しい時こそ、自分が支えてあげなければ。
そんな思いが、目の前に居る颯希に届いたなら…
「自分って何者!?」
その頃、会社に戻った太田は、福本と松浦に話し合いの時間を取ってもらっていた。
誹謗中傷や嫌がらせ行為を繰り返していたのは高原だが、何故自分にまで会ってくれないのか。信頼してもらっているつもりだったのに、それは思い上がりだったのか。
高原を交えた話し合いの内容をあらためて思い出しながら、ひと言ひと言に問題がなかったかをチェックしていくのだが、それらの1人ひとりの言い回しまでは記録されていない。
そんな中、元々同席していた松浦が、颯希が乱れた瞬間のやり取りに気付いた。
「太田さん…」
―まさか、あの言葉が。
颯希の仕事に対する肯定的内容と思っていた。
言葉というのは、受け取り方次第でどうにでも変わってしまう。
「男として…」
その言葉が、性別に対してデリケートな状態にある颯希の心を、さらに深く抉る結果に繋がったのかもしれない。
それが、松浦の見解だ。
莉玖は自転車を病院の駐輪場に置き、タクシーを呼んだ。
福本は、自分を呼んでくれれば車で送ると言ったが、颯希が何か話したいのなら、2人きりの方が気が楽に違いないと思ったのだ。
タクシーの中で、颯希は無言だった。
運転手にも聞かれたくない何かを抱えているのだろう。
自宅マンションに帰り着くと、莉玖が福本に連絡を入れ、会社に置いたままの荷物を届けてもらった。
莉玖は、自宅にも連絡を入れ、颯希のマンションに泊まるかもしれないと伝えておいた。
無言のまま、時間は過ぎていく。
何を言うでもなく、莉玖はただ颯希に寄り添っていた。
話したくなったら、話せるようになったら―。
その時を、じっと待っていた。
「お腹空いたら、言うてね」
颯希はコクリと頷いた。
食欲はないのだろう。時折、胸を押さえて目を瞑る。
表情は、夕方には落ち着いていたが、夜遅くなるにつれ、何かを訴えようとして、それでも言葉に出来ず、唇を噛むような仕草を見せた。
莉玖は、自分の顔を見る颯希の表情が気になった。
何を求めているのだろう。何が欲しいのだろう。
「サッちゃん…食べたいもの、ある?」
颯希は、首を横に振る。
「いいよ。欲しいものがあったら、言うてね。買いに行くから…」
「莉玖…あの…」
「うん」
「ずっと…ずぅっと思てた事、言うてもいい?」
「いいよ」
「変やと思わん?」
「何が? 今の気持ち、素直に言うて」
ドキドキする。
何を言い出すのだろう。
颯希は、今にも泣き出しそうな顔をして、莉玖を見た。
何でもいい。何を言われても動じない構えだ。課長にも、看護師にも、聞かれたくないその気持ちを話してくれるなら、例え悲しいひと言だったとしても受け止めるつもりだ。
「サッちゃん…」
「莉玖…あの…あのね…」
颯希の表情が、いつもとは違う。
「お…おっぱい…」
―へ!?
「おっぱいが欲しい」
「あ、あ…い、いいよ。好きにして…」
「違うの。そうじゃなくて…」
思春期から時々ふと思っていた事。
誰にも言えなかったそれを、颯希はこの世でただ1人、莉玖の目の前で初めて呟いた。
「自分の体に…その膨らみ…」
―はっ!!!
読んでいただき、ありがとうございます。
いかがでしょう?
男子として男子の体を持ちながら、自分にはないものに対する思いも併せ持つ颯希。
決しておかしな感情ではなく、もしかしたら多くの人が、こんな事を思ったりするのかもしれませんね。
それは、自分じゃない体への憧れなのか?
自分の体への違和感なのか?
私自身、今回の最後の言葉を書くかどうかは、凄く慎重に考えました。
この物語を通して伝えたいものとは?
ここまではまだ匂わせる程度の助走段階で、徐々に深い部分へと進んでいきます。
どうか差別・偏見のようなものをお持ちにならず、最後まで読んで下さいね。




