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第4章 疑惑〜3〜

第4章 〜3〜


笑いたければ、人を傷付けることも厭わない。

なのに結局は、自分が可愛いだけ。

 ―いやっはっはっは!


 休憩室に、女性の笑い声が響き渡る。

 その声は気品も何もあったものではなく、まるで全力を振り絞ったかのような笑いだ。


 仕事においても家庭においても、主婦にとって心から落ち着ける時間などは極めて少ない。

 何しろ世の“主人”と呼ばれる男達は、帰宅すればドカッと座り込み、ビール片手に根っこを生やす者が多いという。

 今でこそ変わりつつあるが、昭和の親父達は、家事には無関心であり、あまり手を出さないのが常だと言われる。

 休憩時間の仕事仲間とのコミュニケーションは、そんな主婦達の、恰好のストレス発散時間だ。


 今日も何やら面白い話を聞いたのだろうか。休憩室の一画は、大盛り上がりだ。


「いやん、もう。高原君面白いわぁ!」


 話題を振り撒くのは、どうやら高原のようだ。ある事ない事、巧みに話題を作っては滑稽に色を付け、人を笑わせる。なんとも饒舌だ。

 そして彼が持ち込む話題とは―。


「アンタ、そんな話やめとき!」


 そんな言葉も飛び出す程毒舌であり、逆に一部の人に於いては不快感さえも感じる程だ。

 その話題のターゲットは、事もあろう颯希だ。



 兎に角酔わされた。

 酔っている間にどんな言葉を発したかなど、覚えてもいない。


「いやん、やめてぇ〜」

 ―あっはっはっは!


 実に不快だが、颯希は敢えて何も言わない。相手にすべきではないと思っていた。

 しかし、それで済む問題でもなくなってはいた。臨時従業員達は、徐々に颯希からの指示を聞かなくなっている。あからさまに拒否するのではなく、半ばふざけた態度で受け流していく。


 リーダーという立場にありながら、このような態度を取られる。

 職場としてあるまじき事案であり、颯希にすれば、実に居心地が悪い。


「荒木さん、急な注文入ったんで、この次から作業切り替えますね」


 こういった業務連絡に対しても―。


「いやン、やめてぇ〜」


 おふざけが過ぎるのではないか?

 これに対し、笑っていられる訳がない。


「荒木さん。仕事の話してるんです。今は冗談はやめてくださいね」

「あらぁ…」


 そんな様子を見て、周囲の臨時従業員達もクスクス笑う。

 そしてこの男―。

 高原は、不敵な笑みを浮かべる。



 そんな状況を“良し”としないのは、当然の事だ。

 工場内の片隅で、颯希は徳永に相談を持ちかけた。


「う〜ん、朝礼で言うのはどうかな? 逆に日向が辛くなるかもしれんぞ」

「じゃあ、どうしたら?」

「たぶんお前には難しいんやろうと思うけど、少しキツめの言葉も必要かもな」

「でも、パワハラとか言われたら、元も子もないですよね」


 兎にも角にも、噂話やその類のものと言えば、一旦広まれば止まる事を知らない。

 皆が飽きてしまい、自然消滅する。それまで待つのが無難ではある。

 では、いつになったら消滅するのか?

 そこに、高原の存在がネックとなる。

 そんな颯希と徳永とのやり取りを、神崎が聞いていた。


「俺が何とかする!」


 神崎は動いた。


 ―明日の朝、IP課全体で朝礼を行います。


 翌朝、各々が作業室に入る前、倉庫前広場に課員全員が集結した。

 神崎はマイクを手に、課員に向かって立ち、朝の挨拶もそこそこに要点を大きな声で言った。

 それはあたかも熊が吠えるような印象だった。


「健康管理支援室からの通達です! 各部署内での『誹謗中傷』に関する調査を行いたいとの意向です。どう言ったものが『誹謗』、どう言ったものが『中傷』かという事を、健康管理支援室・中塚さんに解説していただくよう、お願いをしています。では中塚さん、お願いします」


 さすがである。荒々しいが義理堅い。

 今の事態も、おそらく誰も傷付かずに収束するだろう。

 そんな手段を瞬時に思い付き、実行する神崎は、仕事への拘りは人一倍強く、品質意識も非常に高い。そして何より、人を蔑める行為を最も嫌う。

 それは厳しさと紙一重のようだが、はっきりした違いは理不尽であるかどうかだ。

 颯希の思うところではあるが、あの八田が異動になったのも神崎の力が働いたのではないだろうか。


 中塚の話が始まった。

 重要事項だ。話を聞かずに無駄話をする者は、すぐに注意を受けた。


「誹謗中傷という言葉を耳にする機会が増えたかと思います。特にインターネットなどでは、被害に遭われた方が命を絶たれた事も報道されたりしていまして、皆さんの中にもご存知の方が多いかと思います。つまり、社会問題でもあります」


 中塚の話が進むと、一部従業員の目が高原に向いた。

 先日まで大笑いしていたはずの者が、手のひらを返したようだ。

 要するに皆、笑う事でストレスを発散したいが、結局のところ自分が可愛いだけなのだ。

読んでいただき、ありがとうございます。


「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」

なんて、毒の効いたギャグがあったのですね。

今回のは、まさにそういう意味合いでしょう。

人数が寄れば、人を傷付けるネタもみんなで笑い飛ばす。


しかし、それを見過ごせない人も、やはり居るのです。

その人は、この場では少数派。

制止を試みると、今度は自分がネタにされかねない。

怖いですね。


ここはやっぱり、熊男(これもヤバイ?)のような人が必要なのでしょうか。

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