第2章 独立〜36〜
第2章 〜36〜
最後の1曲。
緊張は解けないままだが、自信もたっぷりな状態で演奏スタート。
そして…
あと1曲。
最高のパフォーマンスを見せて欲しい。
ここまでの苦悩を真横で見てきた莉玖は、祈るような気持ちで両手を組んだ。
ただただ酔いしれる詩織や穂花とは全く違う感情を抱き、ステージに視線を送っていた。
彰人のドラムスが歯切れ良く鳴り響くと、颯希のギターが奏でる単音リフが重なり、4小節。そこに剛のベースが入り込んでいき、イントロが完成する。
Amパワーコードのワンストロークから、ヴォーカルがフリーで入る。颯希特有の丸みがあり、かつパワフルなハイトーンヴォイス。小柄で華奢な体からは想像もつかない程の声量が、会場全体を呑み込む。
ドラムスの合図と共に、イントロと同じリフが繰り返され、再びヴォーカルのソロになる。
Bメロに入ると、剛によるハモリが入る。
自身が提案したAm7のノートが空間的雰囲気を作り上げる。しかし剛には、酔いしれている余裕などない。ベースを弾きながらのヘッドヴォイスは、限界ギリギリのハイトーンだ。
2コーラスを歌い切ると、颯希のギターソロによる間奏だ。
無理をしない速さの指使いで、有頂天まで上り切って転落していくのをイメージした、滑稽なメロディを奏でる。何と巧みな表現力だろう。
そしていよいよ、観衆とのかけ合いとなる。
「皆さん、返してくださーーい!!」
バスドラムがビートを刻む中、剛が合図を送り、颯希が叫ぶ。
「Wow wowow !」
「Wow wowow !」
―え!? 違う???
想定していた返しが来ない。しかし颯希は、戸惑う事なく機転を効かせ、ひとまず場を繕う。
客席では、莉玖だけが気付いた。
血の気が引く思い、悲鳴を上げそうな衝撃を、両手で口を覆って無理矢理抑えた。
吐き気がしそうな程の激しい鼓動と、強烈な緊張感に襲われる。
「Wow wowow !」
「Wow wowow !」
「Year ! Year !!」
「Year ! Year !!」
―そういう事か。
颯希は気付いた。しかし彰人が混乱し、リズムを外してしまう。
これに颯希は、先程のリズム外しの感覚をそのまま活かし、冷静に対応する。
―ゴリ、一回止めるぞ!
颯希は右手を上げ、続けてタムを連打する仕草をする。
彰人が上手く追随してくれた。
タタタタタッタッタッタッタ――
そして両腕を振り下ろす。
ダダッ――
右手の人差し指を突き出し、合図を送ると、彰人はスティックを4回合わせる。
「Ahーーーーーーーー!!」
ダダダダダダダダダダダダダダダダ――
―よし!
何とか戻せた。ここからは通常通り演るだけだ。
観衆も、何も気付かない様子だ。エマージェンシーに気付いたのは、客席では原曲を知る莉玖だけだ。もちろん、颯希の瞬時の対応にも。
―あ、も、戻した。サッちゃん、凄いっ!
ステージの袖で腕を組んで、一連を観ている5人、Day Lightのメンバー達は、思わず苦笑いした。
「やらかしたな。けど、日向君、凄いな」
「いや、3人とも凄いで」
プロのアーチストである彼らが、一度でも聴いた曲の異変に気付かない訳がない。彼らは全てを察知していた。
盛り上がりを取り戻した会場の片隅で、南条はさらに目線を鋭くし、スタッフを呼んだ。
「ブラーックリーーーーーースト!!」
エンディングに、颯希のロングトーンが響き、会場にこだまする。
持ち時間の40分にはやや満たないものの、持てるパフォーマンスは発揮した。
多少の悔いは残るが、何とか演り切った。それは、観衆からの拍手が物語っていた。
詩織と穂花も、惜しみない拍手と歓声を送っていた。しかし―。
「莉玖…どうしたの?」
「あ…ううっ…楽屋…行ってくる」
涙を止められない。胸が苦しくて仕方がない。莉玖は、ハンカチで顔を覆うようにして観衆を掻き分け、3人の戻った楽屋前の廊下に駆け込んだ。
「莉玖…ちょっと待ってくれ」
「サ…サッちゃん…」
「うん。ほら、涙出てる…」
「ありがとう…」
楽屋の前には颯希が居た。今は入れないと言って、ドアノブを掴みかけた莉玖の右腕をそっと掴んだ。
「あたし…あたしのせいやん…ね? あたしが要らんプレッシャーかけたから…」
「違う。自分ら3人のせいや。ちゃんと打ち合わせ出来てへんだんや」
ドアの開く音がした。
「入ってくれ…」
「あ、アッ君」
彰人は少し潤んだ目で、そっと莉玖を見た。
その奥には、頭を抱えて俯く剛の姿があった。
「心配要らんよ。こいつ、初めての挫折や。けど、3人のミスや」
「ちゃうねん! 俺がちゃんと言わんかったから…」
「そやないって」
―返してください。
剛は、観衆にそう言った。それだけを言った。だから、颯希のかけ声がそのまま返ってきた。
「Wow wowow ! Year ! Year !!…」
「うん。客席にはちゃんと伝えられへんかった」
ちゃんと説明しなければ、期待通りにはならない。剛は、緊張のあまり大切な事を言い忘れてしまっていた。
颯希の咄嗟の対応力は見事だった。彰人に分かりやすく、指揮を取った。少し戸惑いながらも、彰人は颯希の腕について行った。
しかし―。
「自分がMCせぇへんから。こんな声や言うて、しょうもないコンプレックス持って…そやからタケに負担ばっかりかけて…」
「だから颯希、ちゃうねんって…俺…俺がしっかりしやな…」
「失敗は付きものやて。俺かてリズム外してしもたから…」
責任の被り合いだ。
皆、傷つけ合わないように、自分の非を口にする。しかし、そんな事をしていても始まらない。
一連の言動を聞いていたスタッフが近寄り、3人の背中を叩いた。
「何を言うとんねん!! 結果オーライやったやろな!? 先を見ろ、先を!! お前ら、凄い事やってのけたんやぞ!!」
結果オーライなのか? それで良かったのか?
そんな3人の疑問への、プロからの答―。
「これは失敗って言うんか? この事態に対応出来た事は賞賛に値するで」
スタッフはそう言った。そして、イベント終了後に南条が待っている事を伝えた。
「莉玖ちゃん、ほのちゃんとしーちゃん送ってあげてぇな」
「でも、あたし…」
「ええし。な!」
「分かった」
3人は、莉玖を帰らせた。
夜だからと、タクシーで帰るよう促した。
その後の南条から大切な話…。
深夜に及んだそれは、3人にさらなるプレッシャーをかけてきた。
読んでいただき、ありがとうございます。
本番でまさかの失敗。
人に求めるには、正しく伝えないといけない。
そんなところを表現しています。
それにしても颯希、凄いですね。
プロでも失敗はするし、演奏を止める事もあるようです。
颯希の咄嗟の対応は、リズム外しを基に、「ずれていくリズムに合わせていく」という、前回のインストゥルメンタルを応用した逆パターン。
ちょっと盛りすぎたでしょうか…笑。




