第2章 独立〜16〜
第2章〜16〜
間違っているのは課長? 父親? それとも…
繊細でナーバスな心に抉り込むように踏み入ってくる言葉の数々。
※一部表現上、人よっては若干不快と感じる部分があるかもしれませんが、それは全ての方に投げかけているのではなく、ストーリーの流れとご理解ください。
剛の自宅は、颯希や莉玖と同じ小学校区にありながら、全く異なる地域にある。大通りを見下ろす高台へと足を進める。
「ほら、ここ…」
「滝川…?」
「おう。しーちゃんのお兄さんの家や」
「そうか。お兄さん居ゃはったんや」
「結婚して、ここ買わはったんや。お兄さん、俺の事知ってはったわ。ははは…」
滝川詩織。颯希に恋をし、積極的にアプローチしながらも、卒業と同時に遠くへ行ってしまった女の子。
「名古屋かぁ。今ごろどうしてんねやろ。仕事、頑張ってんねやろな」
ボソッと呟いてみる。
颯希自身、詩織に興味がなかったわけではない。
いつもどこか遠慮がちな態度や表情。柔らかな言葉使い。そこには、颯希の苦手とする“押しの強さ”など皆無だった。
そんな彼女が颯希にだけ見せた、いじらしい恋心。それは、恋に疎い颯希ですらも、薄々気付いたてはいた。
文化祭のライブ動画を収めたDVD。そこにあったのは、颯希の姿ばかり。これを何とも思わない訳がない。
「自分って、何に関しても一歩二歩引いてばっかりやな。もっとちゃんと受け止めてあげんとあかんかった」
「しーちゃんか? お前、ずっとそんな事考えてたんか?」
「いや、それは、今思たんやけど」
ジャズのライブを観に行った日のことが思い出される。
思いっきり楽しんだあとの、笑顔なのに涙が溢れていた、あの公園のベンチ。その時の詩織の顔。
「今思たら…あの時、どうしていいんか分からんかった。付き合うって言うても、しーちゃんはすぐに名古屋へ行くし、かと言うてなぁ」
「気持ちはどやったん? 好きとか、そういうのは…?」
「好きって言うんやったら、勢い突っ走るやろ。それが自分でもはっきりせぇへんから、分からんかったんや」
「いやぁ、俺もよう分からんけど、ほな、その時はお前、何もリアクション要らんかったんやろ。結果として、それで良かったんやで」
―ほぅ。
少しの沈黙の後、颯希はクスッと笑った。
「お前、偉そうに!」
「は?」
「恋愛経験ない奴が、能書だけは一丁前やんけ!!」
「返す言葉ないわ」
―わっはははははは!!
築20年ぐらいだろうか? リフォームでセキュリティを強化した真新しいドアが、少し古びた外壁の中でひときわ目立つ。
頑丈な鍵は、ガチャっと軽い音を立てて開く。
「まぁ、入れや」
「サンキュ。すみません。夜分にお邪魔します」
「あらぁ、誰かと思ったら、颯希君」
「すまん、おかん。颯希な、急やけど今日、泊まっていくって」
「まぁ! どうしよ。晩御飯、何食べたい?」
「いや、そんな…大丈夫です。ハンバーガーか弁当、買ってきます」
剛とは小学校からの付き合いだが、学校行事の関係もあり、母親同士もよく知る仲だ。
剛の母親も、かつては颯希の事を“サッちゃん”と呼んだが、今は違う。成長を感じた時、呼び方も変えた。
「しーちゃんには連絡しとくね。私も久しぶりに話したいし」
―しーちゃん? そうか。
一瞬ドキッとした。無理もない。
颯希の母親の名は志津香。友達には「しーちゃん」と呼ばれているのだ。
偶然ではあるが、ややこしく感じてしまう。
築年数の高い家にありがちな、真っ直ぐな階段を登ると、右側の見晴らしの良い部屋へと案内される。ここが剛の部屋だ。
剛はおもむろにケースを開け、愛器を取り出す。
颯希もつられるようにギターを取り出し、何となく生音で合わせてみる。
「あんだけ弾いたのに、まだ演るか」
「生粋のミュージシャンや」
―あははは!
手を止めると、お互い大腿部に置いた愛器をそのままに、剛から話を切り出した。
「おかんは別に嫌な事ないんやろ? また親父さんと揉めたか?」
何ともストレートだ。そう、颯希が家の事で愚痴を言う時は、大抵父親と何かあるのだ。
「まぁな」
ギターを置いて立ち上がり、窓の外を見てそう呟くと、颯希は苦虫を噛み潰したような顔をし、両手で頭を掻く様に髪を弄り回す。その両手を拳にして両膝を叩くと、少し潤んだ目を剛に向けた。
「自分、おかしいんやろか?」
「何がや?」
「あのな、会社の…」
課長とのやり取りを振り返る。
「若い者に用事なんてないんやからって、『休日も仕事あるから出勤せえ』って」
八田は、確かにそんな事を言った。
「用事なんてないってか? 俺らにとっては、練習は大事な用事やんけ」
「それは『遊び』らしいわ」
剛は右手で握った拳を顎に当てる。
「好かんね、そいつ」
「うん…」
しかし―。
「そいつが親に電話したらしい。そしたら、あの親父…」
これも確かに言った。仕事を最優先せよと。
「分かる。言いたい事は分かるねんで。働いてるんやし、必要とされるんやったら協力しやなあかんのも…」
「でもそれ、人には人の事情もあるやんけ。それは無視かいっ。その課長? 性格悪すぎやろ」
颯希は少し沈黙した。そして口籠もりながら、言いにくかった胸の内の不安を言葉にした。
声は小さいながらもその口調は少し荒々しく、まだ学生である剛に対し、助け舟を求めるかのようだ。
「自分、あんな職場で耐えていけるやろか? 親父と組んで、自分を産業ロボットにしようとしとる」
「ちょ、ちょっと、ちゃんと話せ」
自分が聞いて何になる?
自分に何が出来る?
自分はまだ社会を知らない学生なのに。
剛はそんな事など考える余地もなく、颯希の言葉と表情に見える心の病みに応えてやりたいと思っていた。
読んでいただき、ありがとうございます。
まだ日程に余裕がある。そう思っても、大イベントに向いた心はナーバスにならざるを得ませんね。
働く事を選んだのは、決意の表れだったはず。
でもそこには、若い颯希には予想もつかなかった壁が立ちはだかった。
悔しいけど、悲しいけど、これって現実なんですよね。
社会に出たのだから、ここからまた成長していかねばなりません。
辛いと思った時、友達の存在ってありがたいんですよね。




